木(もく)して語らず
ピンポーン
反応が見られないが何か中から不穏な音がする。思わずドアノブに手をかける。鍵はかかっていないようだ。セールスマンはドアをそっと開いてみた。
「あ、お忙しいところ申し訳ありません。私、ドクト林社の……って何されているんですか!?ロ、ロープを首に巻いて!」
「放っておいてください。何をやっても失敗ばかり。この世にハマっていない。人には向き不向きがあるように私は生きることに向いていないのです。どうかお情けがあるのならば放っておいてください。」
「まあまあ落ち着いてください。これも何かのご縁です。私で良ければお話を聞きますよ。」
男が語ることには生まれついての内向性、コミュニケーション能力の低さ、要領の悪さ、運のなさでやることなすことうまくいかない。愚痴る相手がいればいくらか解消されるだろうに、内省的で常に自分が悪いと責めてしまい誰にも相談せずに抱え込んでしまいそんな自分をさらに責める悪循環を繰り返している。勉強もできないし、酒にも弱い。ギャンブルに面白さを見いだせないし、体を動かすことも苦手で読書なども面白くない。異性にももちろんモテない。
この世の中で娯楽や息抜き呼ばれるものが尽く慰めにならないのであるからストレスが解消されるわけがない。また家族は事故や病気で次々と亡くしてしまい天涯孤独であり、逃げ場として帰る家もない。就職しても自分のミスや要領の悪さはもちろん、急な会社の倒産や濡れ衣、他人に巻き込まれてのクビなどザラである。このように運まで悪いとなるといよいよ自分がこの人間社会に迷い込んでしまった異物のように思えてしまい、世を儚み、もはや死んで来世にかけるしかないと思い立ちロープで首を括るのが良かろうという結論に至ったという。
セールスマンは深く同情した。
「そうだ、我が社は海外から様々なものを輸入して販売しているのですが、ちょうど良いものを最近仕入れました。ようがす、ひとつお譲りいたしましょう。」
そういってセールスマンが持ってきたのは木の苗であった。
「これは、木の苗ですね?これはいったい?」
男は不思議そうに木の苗を見つめた。いったい何なのか?植物でを紛らわせとでもいうのか。
「この木はとある国で見つかった新種でしてね。人間のネガティブな話を養分とするんです。実は面白がって仕入れたは良いがどうすれば良いのかわからなくて。あなたに是非モニターとして使っていただきたいのです。なんでもたいそう美味な実をならすとか。気休めかもしれませんが辛い事があった時にそれを木の肥料にしてしまえば嫌なことも無駄にはならないと思えるかもしれません。」
なるほど。無料で貰うとなると気が引けたがモニターだと思えば受け取りやすい。これもセールスマンの気づかいなのかもしれないなと感謝しつつも男は木の苗を受け取った。
「しかし植物に向けて話しかけたりクラシックを聴かせると成長が良いなどは聞いたことありますけどね。ネガティブな話で成長するとは珍しい。」
「まったくです。しかもクラシックの話などはどうも眉唾らしい。ましてネガティブは話で成長など私も信じられませんでした。しかし実際育てた人によりなる実の味が全然異なるようですよ。私も育ててみましたがどうも凡庸な味でね。とにかく育ててみて下さいよ。」
そういってセールスマンは帰っていった。
不幸話には事欠かさぬ男はこれまでの経験を木に向けて話し始めた。木の成長は驚くほど速かった。小さなアパート暮らしでその家賃すらいつまで払えるか心配であったがそんなことお構いなしで木は育つ。
植木鉢で育てるのも限界がある。だが不思議なことに成長しきっていないというのに木は実を付け始めた。
桃程度の大きさの果実で葡萄の実のような水分をたっぷりと含んだそれを一口食べてみた。
まるで食べた事のないその味はその甘さ、瑞々(みずみず)しさも含めて極めて絶品であった。なによりどの果実とも似ていないこの味には新鮮な喜びがあった。自分の話でなった果実か。そう思いながらこれを食べている間だけは日ごろの憂鬱を忘れることが出来た。
様子を見に来たセールスマンにも試食してもらったがその味に驚いたようであった。
「もしかしたらこれは商売になるかもしれませんよ!」
そういうとセールスマンは忙しく準備を始めた。まずは知り合いなどにこの果実を配って反応を見る。するとすこぶる反応が良い。これはいったいなんという果実なのか?こんなおいしいもの食べたことがない。ぜひ売ってくれ。といった按配だ。確かに美味ではあったがこれほど反響が大きいとは男は意外に思った。
商売になるのかと始めは半信半疑であった男も売り上げが日に日に増えていくと、もしかしたらこれは立派な商売になるのかもしれないと思い始めた。不幸話は尽きず、木はどんどん実をつけてくれる。そして木の成長に併せて収入が増えて小さなアパートから木を植えるスペースがある程度の家に引っ越すことも出来た。まるで木に併せて住処が大きくなるようであった。
ネットの情報の伝わる速さは尋常ではない。ネット通販を始めると、幻の果実を求めて男のもとには毎日注文が殺到した。ひたすら家から出ることもなく注文を受け続けているとさすがに不幸なことも起こらない。男は日記を引っ張り出して過去の不幸話を毎日木に向けて話した。
木は毎日実をならした。男はいつしかお金持ちになっていった。
だが予想していた事は起った。不幸話が尽きてきたのである。焦った男は世の中に目を向けてみれば不幸な話はいくらでもある。それを見れば心を痛めるし木も実をならしてくれるのではないのかと思った。すると意外なほど木はあっさりと実をならしてくれた。恐る恐る食べてみると、今まで通りの味ではないか。
安心した男は果実を売り続けた。他人の不幸ゆえか次第に毎日、世を憂いて世相を切るコメンテーターの如き男の罵声が辺りに響き渡るようになった。今どきの若者は、政治家は、官僚は、拝金主義者どもは、くだらん芸能人どもは!
果実の評判は少しづつ落ちてきた。味が薄い、大味だなどという声が次第に大きくなってきた。男は自分では変化が分からず首を傾げたが、悪い噂が伝わる速さは、なによりも速いことを思い知らされた。
毎日暗い話を続けるのも虚しくなってきた。男は木の前で沈黙した。
「例の果実の販売は止めたんだ。」
久しぶりにセールスマンが顔を見せた。もはや彼とは友人だ。お茶でも飲みながら語り合うのが男のひと時の楽しみだ。
「うん。もう残りの人生を慎ましく暮らせるだけのお金は手に入れたし、自分の不幸な話を全て話すとなんだか気分もすっきりしてね。悪いものがすべて養分になってくれたようだ。わざわざ探して嫌な話をする必要もないよ。」
「そうか、それは何よりだよ。でも君があの木の権利を我が社から買い取った時は驚いたよ。しかもそれを無料で配布しているとか」
「ああ、私のように不幸な人間にその不幸だって何かの役に立つって伝えたくてね。私のようにこの世にハマっていない人にプレゼントしてまわっているんだ。皆、果実の味が異なるから面白い。ただ今度は不幸合戦になってしまわないか、それが心配だけれども」
「そこまで心配することはないよ。後は人それぞれさ。それにしてもあの木のキャッチコピーはわかりやすいね。印象はともかく。」
「そう『他人の不幸のような蜜の味』ってね。」
そういって二人は笑いあった。
完
2015.10.15
思ったよりも長くなってしまったかもしれません。もっとスマートに書けるようになりたいです。




