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第76話(謀)

 表面上は普段と変わらぬ体を装っている主人を、満面の笑みで見送ってから暫くして。


「ふんふふん、ふんふふん…」


 屋敷の前面にある広い庭、そこで箒片手に掃除をしているアザレアの姿があった。

 しかし、いつか指摘があったように、そこかしこに塵が落ちているわけではない。むしろ、掃き掃除よりも木々の剪定が必要な状態である。


 だが、アザレアは一切気にすることなく、鼻歌を歌いながら何もない地面を掃き続けていた。


 そこに、静かに近づいてくる影が、一つ。


「アザレア」

「ふふんふんふんふん、ふんふん…」

「アザレア、その手を止めなさい」

「ふんふふ…ん?」


 上機嫌で箒を動かしていたアザレアの鼻歌が途切れる。が、箒を動かす手は止まらない。

 けれども、その視界に控え目な緑色のドレスの裾が留まった瞬間、掃除の手どころか、全身の動きが停止する。


 誰かしらん、と知らぬ振りで顔を持ち上げたアザレア。その視界一杯に、長い茶髪を靡かせた令嬢、クラヴィアが映りこむ。

 途端、フリギアの女中となっているアザレアは直立し、主の許嫁であるクラヴィアへと頭を下げる。


「クラヴィア様、ようこそおいで下さいました。フリギア様のために、今回わざわざ…」

「仰々しいのは煩わしいわ。普段どおりにして頂戴」

「それならば。クラヴィア様、今日からよろしくお願いし…」

「ああもう、そんなことはどうでもいいのよ。アザレア、何が起きているのよ」


 畏まったアザレアの言葉を最後まで聞くことなく、クラヴィアは誰かを思い出させるような鋭い目を吊り上げる。

 対して、突然詰め寄られた女中には心当たりがない様子で、顔全体が疑問符で覆いつくされていた。


「と、言いますと?」

「既に三家、動き出したわ。それも、前々から準備をしていたわけでもなく、突然に」

「あれまあ」

「あまりにも動きが速過ぎるわ。あの男、フリギア様が連れてきたあの、何の取り柄もないような男…一体何があるというの?」

「全く、嫌になっちゃいますねえ。皆々様、頑張らなくていい時だけ張り切って」

「アザレア、あなたね…」


 常人ならば身を竦ませるような鋭い視線をものともせず、さすがクラヴィア様お耳が早いですねえ、と両手を合わせ感嘆してみせるアザレア。

 危機感の欠片もない反応を前に、クラヴィアは小さくため息を吐き、何かを期待している表情の女中へと、疑いの眼差しを向ける。


「もしかして、こうなると分かっていたのかしら?」

「いえ、まさか」

「それにしては、平然としているわね」

「とんでもございません! 今もクラヴィア様から新鮮な情報を聞いて、驚きのあまり箒を落としかけたじゃあないですか!」

「あらそう」


 女中のわざとらしい否定を受け、クラヴィアの視線は益々厳しくなっていく。

 これはまずい、と令嬢の機嫌が急激に悪化していることを察知し、アザレアはここだけの話なんですけど…と、声を落とす。


「実はですね…フリギア様より、シアム君を狙う輩がいるかもしれない、注意せよ、と言われまして」

「フリギア様が? 戻って早々、こちらの現状を把握していたなんて流石だわ……でも、あの男のことなのよね」


 アザレアより婚約者の名を聞いた瞬間、クラヴィアの険しい顔が若干綻ぶ。

 けれど同時に、自身を一瞬で不愉快にさせてみせた、全てが適当過ぎる男を思い出し、また元の表情へと戻る。

 判り易いですこと、と素直な反応を前にしたアザレアは、それならば…と悪戯を思いついた顔で口を開く。


「クラヴィア様、心配することなど何一つありませんよ!」

「ア、アザレア? 何を突然叫んで…」

「どうしたもこうしたもありません! フリギア様が一番大事になさっているのは、クラヴィア様に決まっているじゃあないですか!」

「えっ……ちょっとアザレア! そんな大声で。はしたないわ…」


 女中の力強い言葉が放たれた途端、クラヴィアの凍て付く目が宙を彷徨い出し、耳から頬から、見る間に顔が真っ赤に染まっていく。

 慌てて大声を出すアザレアを窘めるも、その声は数分前では考えられないほど、小さく消え入りそうなもの。


 というわけで、アザレアは聞こえない振りをして、拳を握り締め、熱弁をふるい始める。


「加えて、クラヴィア様の溢れんばかりの愛という愛は、フリギア様に十分伝わっています! これはもう、誰も邪魔できませんよ!」

「そう、かしら」

「はい! それとですね、フリギア様は今回のお仕事中、報告書に同封していた手紙の中で、クラヴィア様のお体を心配していたんですよ」

「そんなの、私に一言も…」

「そこがフリギア様ですよ。クラヴィア様に直接伝えてしまうと、余計な負担になるのではないか、と悩んでいたみたいで」

「頼りがないのは元気な証拠だ、とお父様には言われていたけれど、そんなことが…」


 益々顔を赤らめ、あらぬほうを見やるクラヴィア。

 よしよし、と調子に乗り出したアザレアは、クラヴィアの視線がこちらを向いていないのをいいことに、悪戯をしかけている顔のまま大きく頷いてみせる。


「序でなので、言っちゃいますけど…クラヴィア様と一緒にいるときのフリギア様って、とっても穏やかなんですよねえ」

「えっ? アザレア! それは本当のこと、なの…」

「本当ですです! 普段は何事にも厳しいフリギア様が、クラヴィア様の前では眉間の皺が…おととと」

「恥ずかしいわ…」

「というわけで、シアム君なんて、道端の石ころと思って間違いありません! お二人の仲をどうこうできるわけもありません!」

「そ、そうよね! 嫌だわ…私、何を心配してたのかしら…」


 アザレアのどこか間違った、そして一切根拠がない、ただただ熱意だけが溢れる言葉。

 平時ならば即座に誤りを指摘するはずの、クラヴィアの表情は完全に和らいでいた。


 一方で、作戦通り、と女中にあるまじき悪い大人の笑みを浮かべていたアザレアは、勢い良く頷き続ける。


「クラヴィア様は何も心配することはありません!」

「そうね。でも、フリギア様が、あの男を気にかけている理由が…気になるわね」


 難しい顔をしたクラヴィアへ、アザレアは大したことではないですよ、と箒を振ってみせる。


「シアム君、独り身で行く当てがないみたいで。それを知ったフリギア様が、捨て置けなかったから連れてきた、という次第で」

「わざわざ国にまで?」

「はい。そうしてまで、フリギア様はシアム君の身の振りを真剣に考えているようで」

「周りに迷惑しかかけてなさそうな男に、そこまで…」

「いやはや、本当にフリギア様はお優しいですねえ」


 適当な物言いをし、軽く感動してみせるアザレアは、完全に令嬢を相手に遊んでいる。が、婚約者のことで目が曇っているクラヴィアは気付かない。

 それどころか、自身が知らなかった事実を耳にして軽く驚き、相槌を打ちながら、益々誤った方向への納得をしてみせる。


「本当に。なんてお優しい方」

「ええ! ですから、クラヴィア様が積極的にシアム君を守っていると知れば、フリギア様も絶対に大喜びですです!」

「そうね…」


 止めとばかりの勢い、だが、前後になんの繋がりもない強引な理屈。

 だが、クラヴィアの曇りがかった頭は都合良く解釈し、納得してしまう。


 果たしてそこには、数分前とは打って変わり、目に決意の炎を宿らせたクラヴィアが立っていた。


「そうよね。許婚である私がフリギア様不在の今、家と客人を守らなければならないわ!」

「その通りです! さすがクラヴィア様!」

「有難うアザレア。貴方と話して、私、すっきりしたわ」

「お悩みを解決できたのは、クラヴィア様自身のお力ですよ! 私はただお話を聞いただけですから」

「それでも、礼は言わせてもらうわ」

「勿体無いお言葉でございます! ささ、長話でお体が冷えたんじゃあありませんか? 屋敷でサフォーがお茶を用意して待っていますので、行きましょう!」


 どこか晴れやかな表情をしたクラヴィアの背を、失礼にならない程度に押すアザレア。


「………」

「クラヴィア様? どうされました?」

「ねえ、アザレア」


 けれど立ち止まる彼女に、アザレアが首を傾げる。

 数秒して、クラヴィアがゆっくりと振り返る。その顔は、どこか後ろめたさを含んでいた。


「私が、侵入者に対して直接手を下していいのかしら? サフォーと貴方に任せた方が、フリギア様にとって良いと思うのだけど?」

「クラヴィア様もお優しいですねえ。ですが、遠慮なさらず! そのような些細な事、フリギア様が気にすると思いますか?」

「…そうね。そうよね」


 悪戯めいた光を湛えた女中の言葉を受け、背に手を伸ばすクラヴィア。

 一見して分からないように装着された鞘。ほっそりとした、けれど鍛えられた手がそこへ伸び、握り締めるのは…短刀の柄。


「何人たりとも、立ちふさがる敵を、主人に近づけさせない。それが、将来の妻たる、私の…役目」


 覚悟を決めた目を前方に広がる屋敷へ向け、クラヴィアは一言一言、噛み締めるように声を出していく。


「はい、はい! 全くもって、その通りでございます! クラヴィア様…………ご立派です!」


 感動のせいか、アザレアの声は震えている。

 全身を震わせ、目頭を押さえ、口元は………笑いを堪えているかのように噛み締められているアザレアの姿。

 完全にこの状況を楽しんでいる女中に、全く気付かないクラヴィアは、短刀の感触を確かめた後、ドレスに仕込んでいた武器を一つ一つ確認していく。


「この刀、振るわせてもらうわよ」

「はい! 賊の始末、後始末については私たちもお手伝い致しますので、クラヴィア様は周囲を気にせず存分に腕を振るってくださいまし」

「ええ。頼んだわよ、アザレア」

「はいっ!」


 直立した女中に見守られたクラヴィアは姿勢を正し、フリギアの許婚、ではなく、一人の戦士として屋敷へ向かう。


「うふふふふ。クラヴィア様ったら坊ちゃんのためになった途端、健気になっちゃって。うふふふふ」


 頼もしい後姿が屋敷に消えていくのを、静かに、じっと見つめるアザレア。


「皆様、坊ちゃんが若いくせに高い地位にいるから、引きずり落としたくて仕方ないんでしょうけど…」


 庭で一人、小さく哂うアザレア。その身体に、冷たい風が吹き付ける。

 冷えていく身体を気にもせず、じっと屋敷を、その周辺を見つめる女中。その口元は大きく歪んでいき、目には仄暗い輝きが灯る。


「さあて、墜ちるのはどちらかしら?」


 日が傾く庭へ、小さな哂い声が落ちていった。











 この更新速度で、更新を待っている方がいるとは思えませんが…

 投稿遅くなりました。そろそろ「いつものことじゃん」とか指摘されそうで恐々としている今現在でございます。申し訳ないです。


 突然ですが、今回で絶賛~(仮)からの話数は恐らく76話ですが、絶讃~(謀)単体では26部になります。

 話の展開上きりが良くなりそうなので、30部前後になったら一旦こちらを完結済にして、また新しくタイトル変えて続きを更新しようかと考えています。


 今更ですが、サブタイトルを「第〇〇話」で通している場合、サブタイトルを考えなくて良い、という利点はあります。が、どこまで目を通したか覚えていられない、話数と内容を一致させられない、という大問題点がありますね。後、ずらりと並んだ「第〇〇話」というのを見て、読書意欲を削がれる、という弊害もありますか。

 いやはや、実に困ったことですね。


 以上。

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