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tea break  作者: ふゆき
8/30

◆◇“Happy Halloween!”◆◇

トレーニングを終えて待機室へ戻ると、中の様子が一変していた。


赤、青、黄色、黒に白……。


極彩色に彩られた室内を、呆然と眺めることしばし。


そんなはずはないが、ひょっとしたら部屋を間違えたのかと、振り返ってドアに貼られたプレートを確認してみる。


うん、あってる。


ちゃんと美濃班のプレートだ。


ウチの会社は、ふつうの民間の警備会社とは少し異なる。


民間企業でありながら、やっていることは警察の下請け的な仕事ばかりだ。


平たく言ってしまえば、警察の手に負えない凶悪犯との大立ち回りが主な仕事である。


厳しい審査を通り抜けた企業だけが、政府に登録された『猟犬』と呼ばれる兵士を雇うことができる……、というのは建前で。


警察だけでは対応しきれなくなってきた凶悪犯たちを、ゴロツキはゴロツキを使って始末しようという発想のもと、発足された職種らしい。



少なくとも、かつては。



いまやかつての面影はなく、めでたく花形職種の仲間入り。


イロモノ、キワモノ扱いされていたのは、遠い昔の話になったはず、なんだけど…………。


室内に所狭しと散乱するモノの意味がわからず、入り口で固まる。


班ごとに与えられた、出動がかかるまでの待機室じゃなかったっけ、ここ。


『小鳥遊 翔太』と、オレの名前プレートが置かれた机までもが、ソレに侵略されていて……。


入っていいものかどうか、躊躇する。


他のモノなら、たいして気にもならなかったんだろうけど。


オレの机を侵略しているソレは、さすがに手に取る勇気がない。


床や共用ソファに散らばってるモノならまだしも――……。



「あ、坊や発見」



「香乃子、文緒。捕獲」



「「イエス、マム」」



「ふぎゃ」



どこにいたのか。


突然躍りかかってきた下着姿の女性ふたりを払いのけることもできず――だって、半裸の女の人なんて何処を触ればいいのかわかんないし! ――床に押さえつけられる。


乗っかられてるだけだから、はね除けようと思えば、はね除けられる、とは思う。


ただ――……卑怯にも、両腕はそれぞれ、がっちりとふくよかな谷間で拘束されてしまっている。


美濃班に配属されて、数ヵ月。


オレだってバカじゃない。


この状態で迂闊に動けば、確実にこっちが悪者にされる。


勝手に押しつけてきておいて、セクハラもなにもないだろう、なんて言い分。


ここの人たちには通用しない。



「ヒヨコ、おまえ何色がいい?」



そんな非常識集団の元締め……もとい、班長の美濃カズサ女史に背後からのし掛かられ、逃れようと足だけでじたばたともがく。



中腰で跪かされ、両腕を後ろに捻られた状態で背後からのし掛かられれば、当然、胸があたるわけで。


なんでみんなして、胸で人を押さえ込もうとするかな?!



『彼女を見るだけで、美濃班が如何に非常識な人間の集団かがよくわかる』



そうまで言わしめた女傑のふくよかなバストを押し退ける勇気が、オレにないからなんだろうけどッ。


どう逃げを打ったって誰かしらの胸を触るはめになるこの体制では、どうしようもない。


両腕と背中にあたる弾力はもう、立派な暴力だ。


勝手に押しつけといて!


逃げようとしたオレの体が触れるのはセクハラだとか。


いくらなんでも理不尽すぎる。



「や、あの……これ。状況がわかんないんですけど……」



どのみち、この手の強引な手段に走られた時には、オレに拒否権なんてものは存在しないとわかってる。


けれど、黙って言いなりになるのも癪である。


悪あがきよろしく、なんとか足だけで女性3人分の重みをひっくり返すべく暴れてみるが――……。



「姐さん、あかんて。坊は今年がはじめてなんやさかい、ちゃんと説明したらな」



よいしょ、と助け起こすフリをしながらがっちりホールドしてくれた加地さんのお陰で、完全に押さえ込まれてしまう。


うわーん。


加地さんの裏切り者〜ッ。



「社内報が回ったろうが」



「うふふ。毎年恒例の、ハロウィンの仮装コンテストよぉ」



「ああ……って、参加するんですか? ウチの班」



「知らないのぉ? 優勝商品目当てに、当直以外のほとんどの班が毎年参加してるわよう」



「ウチも例外なく、優勝とりにいくからそのつもりでねえ?」



外見だけはやたらと見目麗しい雌豹どもが、艶やかに笑みを浮かべる。


その表情って……どっからどう見ても、獲物を狩る直前の顔じゃないかッ。


しかも、あんたら!


にこやかに広げて見せてるそれ……ッ!



「「「で、何色にする?」」」



ミニのドレスってゆーか、倒錯的なエロゲーに出てくるようなメイド服にしか見えないんですけどッ。



何色にするって言った?


何色にするってことは、だ。


オレに着ろって言ってんの?!


その、見るからにそっち系の怪しげな、エロデザインのメイド服を…………?



「え、あの、『仮装』コンテストなんですよ、ね?」



ない。


ないない!


いくら上司命令でも、エロメイド服はない!!



そんなもの――……着てたまるかッ。



絶対着ないって言ってるのにィッ。



「坊やが着てくれないのなら、砂兎さんに着せちゃおぅ」



と、長く伸ばした栗色の髪を手櫛で整えながら香乃さんが言えば。



「香乃ちゃんステキ! 坊やを人質にすれば、ばっちりだわぁ」



暴れてほどけた三つ編みを直しながら、文さんがおっとりと応じる。


どちらも目のやり場に困る、セクシーなランジェリー姿だ。


眼福だろうと言われれば、そうなのかもしれないとは思いはすれど。



「文ちゃんもそう思う?」



うふふ……と幸せそうに笑い合う女性たちの表情は、雌豹のソレ。


『砂兎』は、この前までオレの指導員だった兎場さんの字だ。


口説いて口説いて口説きまくって、先だってようやく、おつき合いらしいものをはじめたばかりの人でもある。


年の差だの世間体だのを気にする人だ。


こんな辱しめ。


嫌がるに決まってる。


物憂げな色気のある人だけど、どう考えても女装は似合わなさそうだし。



兎場さんに恥をかかせるくらいなら――……ッ。



「着ますッ。着ればいいんでしょう?!」



「んん〜。無理に着てもらわなくてもぉ」



「砂兎さんの方がインパクトあるしィ。ポイント高そおぅ」



「あーもーッ! 着たいです。着させてくださいッ。てか、そんなの兎場さんに着せたりしたら、オレしばらくボイコットしますからねッッ」



インパクトもくそもあるかッ!


ポイントだってどうでもいい!!


なんだかんだで押しに弱いんだよ、兎場さんはッ。


オレを盾にされたら、しぶしぶ着てくれるに決まってる。


つか、後のフォローをするの、誰だと思ってんだ。


女装なんてさせてみろ。


しばらく沈み込んで使い物にならなくなるぞ、あの人。



「んふふ〜。言質とったぁ」



「いくらなんでも、砂兎さんにこんなの着てくださいだなんてお願い、できやしないわよぉう」



「天の岩戸されちゃうものぉ」



「ねー?」と声を揃えて可愛らしく小首を傾げてみせる雌豹どもを、上目遣いに睨みつける。


毎回、この甘ったるい舌ったらずな喋り方にしてやられるんだ。


わざとだって……ッ!


わざとだってわかってるのにィッ!!



「泣いてやる……」



「あらやだ」



「かぅわいいィ〜」



きゃっきゃっ、と可愛らしくはしゃぎながら、アマゾネスの本領発揮か。



「加地、加地。裸に剥いて?」



「試着試着。坊やに似合うのはピンクかしらぁ?」



ご無体な要求を口にしながら、 エロメイド服とオレの机の上に散らばっていたブツとを組み合わせはじめる。



なんで下着姿なんだろうと思ってたら、衣装合わせの最中に戻って来たのかオレは。


てか、人が真面目にトレーニングしてる時に、遊んでたのかよ、この人たち!



「チラ見せするなら白かしら?」



「総レースも素敵よねえ」



「班長ぉ。班長はどっちがいーい?」



や、待て待て。


どっちがいーい? じゃないッ。


それ、そのブツを!


オレに着けさせる気か、あんたらッ!!


さわ、触るのも躊躇われるようなモノを、着ろって言われても……ッ!



「か、かかかかか加地さんッ。離し、離してくださ……ッ」



「堪忍なあ。今回の優勝商品、オレも欲しいねや」



「ちょ、ちょ、ちょ、ちょッ! 下着ッ! 下着まで剥ぐの止めて……ッ」



「砂兎さんには怖ぁて見せられん絵面やなあ」



ガッチリとオレをホールドしたまま、器用に動く指先が、するすると衣服を剥いでゆく。


脱がし慣れてるとゆーか。


こんだけ暴れてんのに、ちくしょう〜ッ。


なにがなんでも、パンツだけは死守してやるッ。


女性用下着なんて、着せられてたまるか!




「なかなかいい眺めだな、小鳥ちゃん。どうせならもっと可愛らしく恥じらえよ」




くつくつと低く笑う声がふいに落とされ――……。


喧騒で溢れていた室内の空気が、一瞬にして凍る。


いつの間に入ってきたのか。


部屋の真ん中に置かれた共用ソファの上で背中を丸めて胡座をかいた兎場さん、が。


ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、室内を楽しげに睥睨して……いて。




「「「うひゃあッ」」」




加地さんと香乃さんと文さんの悲鳴が重なる。


ペイっとオレを放り出した加地さんがあわてて逃げれば、雌豹たちも、そそくさと美濃班長の後ろへと避難する。


動じないのは、命じるだけ命じておいて、自分用の衣装選びに戻っていた美濃班長だけだ。


もともと強気な人だし。


兎場さんのすぐ下の後輩だとかで、好き勝手しても大目にみてもらえる程度には仲がいいみたいだし。


なにより、オレにはまだいまいち理解しきれていない兎場さんの壊れ具合を、そこそこ正解に把握しているのが強味なのだろう。



「どうした。今日は早いな、砂兎」



室内の惨状を気にすることもなく、なにごともなかったかのように兎場さんに話しかけている。



「どっこもハロウィンの準備で浮き足立っててよ。訓練になりゃしねえんで切り上げてきた。…………ここもすげえことになってんなあ」



そして――……どうにも納得がいかないのだけれど。


兎場さんにとって、室内のこの状況は、許容の範囲内であるらしい。



アマゾネスたちが頭の上に投げ散らかしていった下着を手に取り、平然といじり回している。



「毎年のこったが、よくまあこんだけ盛り上がれるもんだ」



「優勝商品がいいからだろうな」



「いいっつっても、導入を見送ったサンプル購入品だろ?」



「コスト面で配備を見送られた物も多いからだろう。今年の移動用コンテナもそうだ」



ふうん、と興味の無さそうな相槌をうちながら、女性用の下着にも興味が失せたのだろう。


ソファの上に散乱しているモノをおざなりに払いのけ、怠惰な仕草でゴロリと横になってしまう。


って、兎場さん。


助ける気なし?


オレ、パンツ1枚にされちゃってるよ?


もうちょっとでそのパンツまで剥ぎ取られるとこだったんだけど。


ぜんぜん、まったく、気にならないの……?



「おまえのモンスターバイクが増えてから、どうにも手狭でなあ」



「んな牽制せんでも、遊びだろ? いちいち嘴挟んだりしねえよ。んで、なにやんだ?」



うっわ、酷ッ!



完全に傍観する気だ、この人ッ。


恋人が目の前で裸に剥かれてるっていうのに!



「今年のテーマが『童話』だったんでな『不思議の国のアリス』にしてみた」



「班長が白ウサギでぇ」



「香乃ちゃんが帽子屋さんでしょおう」



「文ちゃんがハートの女王さまで、加地はトランプの兵隊さん。それから――……」



「「坊やがアリス!」」



「主役か。そりゃいいな。ま、この程度なら他と比べりゃ、まだマシだ。あきらめて楽しめよ、小鳥ちゃん」



切れ長で鋭い鈍色の瞳がふと和んで、さもおかしそうに、キュッと細まる。


チラリとドアに流された視線、は。


訓練場からここへ戻ってくる道すがら見てきたものを、示唆しているようなのだけれど。


え?


まだマシって……。


これでホントに…………?


って、この惨状がマシな方?!


いったい他の班てどうなって……?



「楽しめって言われてもッ。女性用の下着を着けて喜んでたら、ただの変態……ッ」



「違いない」



「うわぁん。兎場さんの薄情者ぉ〜。オレだけこんな格好、絶対ヤだあッ」



「よしよし。おまえだけでなくなれば、大人しく着るんだな。加地。砂兎にも仮装させてしまえ」



「は……砂兎さんに、コレ……を?」



コレを、と床に散らばるエロメイド服を指差した加地さんを見て。


兎場さんが、ズルリとソファから落ちそうになる。



確かに、オレだけなのはヤだとは言ったけど……ッ。



だからって兎場さんにエロメイド服だなんて!


いくら美濃班長でも、やりすぎだ。


オレのために兎場さんを巻き沿いになんてできるか!



「こんな目付きの悪いのに女装させたって似合うものか。適当に見繕って飾っとけ」



――……って、あれ?



それって結局、女装するのはオレだけだよな?



「はぁいはいはいッ。不肖 上坂 文緒。その任務謹んで承りまっす」



「ではでは、不肖 陣内 香乃子。アリスを担当いたしたく思いまっす」



だったら兎場さんが仮装する必要がどこにある、なんて突っ込む暇があればこそ。


身の危険を感じたらしい兎場さんが、雌豹その1に飛びかかられる前に逃げようとするよりも早く……。



「うわッ」



長い脚をひょいと伸ばした美濃班長が、足払いをかけて床へとひっくり返してしまう。


いつも思うんだけど。


どこにスイッチがあるんだろう、この人。


オンオフの差が激しいと言おうか、気を抜いている時は、ホントどんくさいよな。


仕事中は、こっちがやっとついついけるかどうかってくらいの動きをしてみせるくせして……って。


人のことを気にしてる場合じゃなかった!


雌豹その2にニコニコと迫られて、ジリジリと後退る。


あ、ダメだ。


満面の笑みを浮かべてるのに、香乃さんの目が笑ってない。


これは……逆らったりしたら後が怖い。



「し、ししし下着まではヤですからね……?」



「うふん。本番当日は、なにがなんでも着替えてもらうわよ?」



「だから、なんでオレがッ」



「ヒヨコ〜。命令に従って優勝できなかった場合、おまえに責任はない。だが、おまえが命令に従わずに落選した場合、きっちり責任をとらせるぞ。それでも嫌なんだな?」



這いつくばって逃げようとしていた、オレの真上で。


仁王立ちした美濃班長が、無慈悲にも最後通告を突きつけてくる。


足の下に踏まれてる兎場さんが、ものすごーく気になるんだけど。


その気になれば簡単に逃げられるくせして。


さっさとあきらめたのか、はたまたいつものめんどくさがりが出たのか。


兎場さんはもう、逆らうことなく採寸されるがままになっている。


もっと抵抗してくれないと!


巻き添えをくらわしたオレの方が、往生際悪くいつまでも抵抗していられないでしょうよ。



「返事」



「…………大人しく着替えますぅ」



「よし。申請書類に添付する写真を撮らにゃならんからな。今日中に衣装を決めてしまえ」



「アイアイ、マム。お任せあれ」



香乃さんの、心底楽しそうな目が怖い。



ハロウィンに仮装コンテストって!


なんなんだよ、この会社〜ッ。


えぐえぐと泣きながら着せ替え人形にされているオレを見て良心が痛んだのか。


はたまた単に、なんの説明もなくいきなり衣服をむしり取ったことに気がついたのか。


香乃さんの助手をつとめながら加地さんが説明してくれたところによると。


ハロウィンの仮装コンテストは、福利厚生の一環で行われる、レクリエーションのひとつだとかで。


導入を検討して試験的に購入してみたものの、様々な理由から見送られた装備品の払い下げを目的としたお祭り騒ぎなのだそうだ。


年々過激になり――……仮装コンテストでなにがどうしたら過激になり得るのか理解に苦しむが――……今年から細々とした規定がもうけられ、事前申請が必要になったんだとかなんとか。


平たく言えば、『山車は作るな、凝っていいのは衣装だけ』という通達が出たらしい。


そんでもってこれまた今年から、ある程度の秩序を保つために、事前の申請が必要になった、と。


そういうことのようだ。



…………仮装コンテストで山車ってナニ?


ある程度の秩序って?



てゆーか。


オレにこんな格好させようとしてる時点で、秩序なんてなくないか?



それよりもそれよりも!



これだけの衣装を揃えてあるってことは、通達があったの、もっとずっと前だよな?


なんでオレにだけ、書類申請の受け付けがはじまるまで内緒にされてんだよッ。


嫌がるのが目に見えてたからかもしれないけど!


心の準備をする時間をくれたっていいじゃないかッ。


それを、みんなして面白がって〜ッ。



「うん。やっぱりアリスは青のエプロンドレスだわね」



一仕事やり終えた顔で、香乃さんが満足そうな笑みを浮かべる。


そりゃそうでしょうよ。


下着からなにから、何十種類もの衣装をとっかえひっかえ。


その都度化粧を変えられ、髪の毛を弄くり倒されて。


見比べる用の写真を撮るからポーズをとれだのなんだの。


怒濤の勢いで人を玩具にしたんだ。


楽しかったでしょうともよ。


しかも、スタンダードに落ち着いたっぽいことを言ってるけど、これ。


絶対、エプロンドレスなんかじゃないよな?


背中は紐で編み上げる式になってて、ほっとんど丸出しだわ。


胸元には谷間見せ用の切れ込み入ってるわ。


偽物の胸まで詰めてくれちゃってさ……。


オマケに、このスカート丈!


ひらひらふわふわしたペチコート? とかいうののお陰で辛うじて隠れてるだけで。



お尻半分丸出しだよな?



そのくせ、靴下は太ももの半ほどまであるんだから、意味がわからない。



「うふふ。かぁわい〜い」



ご満悦な雌豹どのに突っ込む勇気もなく、いたたまれなくなって流した視線の……先。


床に直接敷かれた毛皮の上で、怠惰に寝転がる『ソレ』と目が、合って。






「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ?!」






鼓動が跳ねる。



なにアレ!


なんだ、アレ!!


いつから寝転がってたんだ、アレ?!



無精をして中途半端に伸ばしたままの黒髪を、きれいに梳られて。


素肌に直接羽織らされているのは、丈の短い上着だけ。


袖は手の甲を覆うくらいの長さがありながら、お腹が丸出しな上着は、少し小さめなのか。


着ている意味がないくらい、ピッチリ素肌に張りついている。


ズボンもまた然りで。


形のいいお尻もしなやかな美脚も、全部が全部、丸わかりだ。


短い腰巻きがかろうじて前だけを隠しているのがまた、なんとも言えずエロい。



弄られるのに飽きたのだろう。



物憂げな倦んだ表情で長いしっぽに指を絡めては弄んでいる姿が――……破壊的なまでに艶かしくて。


思わず、うっとりと見つめてしまう。


絡んだ視線の先で、キュッと細まる鈍色の瞳。


退屈そうだった表情が一変し、面白そうにオレを、上から下まで眺めまわす仕草がまた、色っぽい。


そしてその艶かしさをバカみたいに増幅しているのが……。



整えられた黒髪の間からにょっきりと生えている――……獣の耳。



よくあるパーティーグッズの髪飾りとはまた違う。


どうなっているのかは知らないが、ごくごく自然に生えているようにしか見えないソレは。



たぶん、猫の耳だ。



「へえ。化けたな、小鳥ちゃん」



「変、ですよ……ね?」



「うんにゃ。可愛い可愛い。どれ。こっちに来てよく見せろ」



「は……い」



手招きされて、吸い寄せられるかのようにふらりと一歩、無意識に歩みを進める。


ああもう、なんだよこの靴。


踵が高くて歩きにくいったらありゃしない。



「もっと小股で歩かねえと、パンツ見えっぞ」



「もう。覗かないでくださいよ」



横向きだった姿勢を変え、俯せになって頬杖をついた兎場さんが、上目遣いにスカートの中を覗いてくる。


すかさず、パシャパシャとシャッターを切る連続音がすぐ側で響いて。



ふと正気に返る。



ヤバい。



上目遣いにやられて、ここが何処だか忘れるところだった。



普段から無駄に色気を振りまいてる人だから、多少の免疫はあるつもりだけど。


いまの上目遣いは、久々にキた。


我を忘れてしまう前に正気に戻してくれた文さんに感謝だ。



――――……カメラを向けられている兎場さんは、ものすご〜く嫌そうだけどね……。



いつの間か、三つ編みだった髪を優雅に結い上げ、豪奢なドレスに身を包んでいる文さんに、ちらりと視線を向ける。


時代がかった豪奢なドレスは、ハートの女王を意識してなのか。


襟が高い上品なデザインでありながら、胸元がハート型にくり貫かれている。


明らかに、谷間見せ用だ。


グラマラスだし、似合ってるからいいんだけどさ。


仮装コンテストのテーマ、『童話』だとか言ってなかったっけ。



オレのもそうだけど。



ハロウィンの仮装にしては、方向性がおかしくないか、その衣装。



「文緒。衣装にシワを作るなよ」



――……って、美濃班長もか。



こちらにグッと親指を立ててみせながら、ひたすらに兎場さんを連写している文さんに注意をくれる美濃班長は。


体にぴったりフィットした燕尾服姿だ。


紳士用なのだろう。


胸元が苦しそうではあるが、凛とした雰囲気の美濃班長には、よく似合ってる。


そう……上半身だけを見るならば。


残念なことに、視線をちょっと下へと向けると、バニーガール仕様に早変わりしてしまう。


ヒールではなく、太ももまである編み上げブーツを履いてはいるけど、バニーガール。


ついでにウサ耳。




――――……絶対遊んでるよな、この人たち?




だいたい、兎場さんは仮装コンテストに参加しないんだから、写真なんていらないはずだ。


それを、パシャパシャパシャパシャ。


デジカメならではの気軽さで、ひたすら連写。


嫌がられてもお構いなし。


逃げようとするのを追いかけて、また連写。



「砂兎さんがじっとしてくれてたら、今日の報告書だけじゃなくて、明日の報告書も入力してあげたくなっちゃうんだけどなあん」



カメラをむずがって逃げようとしていた兎場さんが、ピタリと止まる。



ああ――……さっきもコレでおとなしくなってたのか。



ほんっと、パソコン苦手だよな、兎場さん。



敷物の上に引き戻されて、しぶしぶ座り直している後ろ姿はどこかしょんぼりとしていて。


理性がものの見事に頓挫する。




――――……なッんだ、この可愛らしいの!




ふらふら〜っと引き寄せられ、俯いたうなじにそっと唇を押し当てる。


シャッター音が激しくなった気もするが、そんなの知ったことか。


ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ、と啄んで、首筋にかぶりと噛みつく。



「ちょ、コラッ。悪戯すんなって」



「髪の毛。オレ以外にも触らせたんですか?」



「耳つけるのにピンで止めるっつーから、って。コラ待て。痕つけようとすんなッ」



「オレのなのに」



「こぉら。悪ふざけしてんじゃねえよ」



しなやかな身体を敷物の上に押し倒し、のそりとのし掛かる。


カメラを前にして、オレが悪ノリしいるとでも思っているのだろう。


クスクスと笑いつつ自ら寝転がった兎場さんは、ほぼ無抵抗だ。



「化粧してんの?」



「塗ったくられました」



「その偽乳、中身どうなってんだ?」



「シリコン性の作り物みたいでしたけど」



「触っていいか?」



「どうぞ?」



それどころか、楽しげにオレをまさぐって、かなりのご満悦である。


偽物の乳房を触って、本物そっくりの質感に感嘆を浮かべる目元にひとつ、口づけを落とす。


頬に、耳に、首筋に、鎖骨、と。


指先で辿った後を、唇でゆっくりと追いかける。


シャッター音が続いているせいだろう。


兎場さんは、まったくもって無防備に、されるがままだ。




――……だいぶ麻痺してきてるよな、この人。




オレが美濃班のアマゾネスたちのオモチャにされるのは、もはや日常茶飯事だ。


逆らっても喜ばせるだけ。


あきらめて退屈しのぎにつき合った方が、さっさと解放してもらえる。


今回も、オレがさっさと解放されたくて、雌豹たちのご機嫌とりをしているとでも思っているらしい――……が。



はっきり言って、そんなのもう、どうだっていい。



ペチコートとかいうののお陰で、兎場さんは気がついていないみたいだけど。


20代若者の瞬発力を甘く見るなよ?



そんなカッコウで、無駄に色香を振りまく、あんたが悪い。



「加地、加地。ハンディカメラ取ってきて!」



「おまえの衣装は汚すなよ、ヒヨコ」



鈍い恋人より、周りの方がよほどよくわかっている。


オレしか知らない艶姿を、あまり他人に見せるのはいい気分じゃないし…………。


さてどこまで、この無防備な猫を鳴かせてくれよう。



「…………ん? んんん?」



ちゅっ、と音を立てて、むき出しの脇腹を啄む。


チェシャ猫を押し倒すアリスってのも、なかなか……被写体としてはいい素材なのではなかろうか。



ようやく、なにかおかしい、と気づいたらしい兎場さんの。


足首をつかんで持ち上げる。


そのまま膝丈の編み上げブーツの爪先に、唇を寄せて……。



「う……わッ。待て待て、待ったッ。おま、なにして……ッ」



見せつけるようにべろりと舐めあげる。


下ろしたての、革靴の匂い。


性的な意味合いが込められていると、ようよう理解したのだろう。



余裕たっぷりだった笑みが、ぎこちなく固まる。



兵隊さんの衣装を身につけた――……ひとりだけまともな兵隊スタイルなので、後で文句を言うとして――……加地さんが、背中を向けて避難したせいか。


はたまた、雌豹どもが嬉々として、ハンディカメラを構え出したからか。


サァッと青ざめた兎場さんが、あわてて身を翻そうとするのを許してやらず、膝頭で押さえ込む。


左の足首はオレの手の中で、右の太ももの上には、オレの膝頭。



上体を捻り、なんとか這いずって逃げようともがくも――……手遅れである。



ブーツの上から歯を立てて、ふくらはぎにがぶりとかぶりつく。


びくん、と跳ねた兎場さんの、なにをする気だと怯えた表情がまた……そそる。



「セクハラ禁止っつってんだろーがッ」



「セクハラ? セクハラなんかしてませんよ」



くるぶし辺りに唇を寄せ、頬をすりつける。


迂闊に暴れれば、オレの顔を蹴り飛ばすことになるからだろう。


なんとか引き抜こうと足に込められていた力が、すとんと抜ける。



相変わらず、オレには甘い人だよなあ。



「お手伝いしてるだけですよ。――……ねえ?」



チロリと視線を流せば、文さんと香乃さんが、カメラを構えてコクコクと頷く。



「あなた、報告書の入力をしてもらう代わりに……写真を撮るのを許可したんでしょう?」



「それとこれとなんの……ッ」



「だから。みなさんは、こういう写真を撮りたいんでしょうし?」



体重をかけて膝を曲げさせ、ぐっと顔を近づける。


唇同士が、触れるか触れないかの距離。


反射的にだろう。


ギュッと閉じられた瞼を、舌先でなぞる。


はね除けようと思えば、オレなんか簡単にはね除けられるくせして。


腕を突っ張ってなんとか距離を保とうとするだけで、力業に訴える気は、毛頭ないらしい。


まあ、この体勢で力業に訴えられたら、この形だ。


避けきれずにたぶん、怪我をする。


兎場さんにも、それがわかっているのだろう。


渾身の力でオレを押し戻そうとするものの、それだけだ。



ニヤニヤと笑って見ているだけの美濃班長と。


ニコニコと機嫌よくカメラを構える雌豹2匹。


加地さんは、完全に見ないフリでそっぽを向いてしまっている。



身の危険をひしひしと感じてはいるのだろうが――……。



決して足を蹴りあげようとしない兎場さんの甘さが、たまらなくいとおしい。



猫耳の生えた髪に指を挿し込み、柔らかくかきあげる。



「おま、いい加減に――……ッ」



上着の上から胸の飾りを押し潰されて、さすがに焦ったのだろう。


兎場さんが本気の怒声をあげたの、と。


控え室の内線が鳴り響いたのが、ほぼ同時。



室内にいた全員が、ビクン! と身を竦め――……。



条件反射で身を翻す。



内線の音で意識が切り替わるのは、半ば職業病だ。



「はい、美濃班」



一番近くにいた加地さんが内線に出るのを、全員の視線が追う。


アマゾネスたちに至っては、出動準備だとばかりに、さっさと衣装を脱ぎ捨ててしまっている……が。



「………はい、居てはります。ええ、はい。代わりましょか? はあ、はい。……あの、砂兎さん。長谷川部長が呼んではりますけど……」



どうやら、出動要請ではなかったらしい。


内線を切った加地さんが、言いにくそうに、長谷川部長からの伝言を告げる。



「すぐ行く!!」



ガバリと跳ね起き、それこそ脱兎のごとき勢いで、兎場さんが走り去る。


ちょっとやりすぎたかな……って。




――――……いいのかな、あれ。




猫耳のまま出て行っちゃったけど。



「ヒヨコ、上着持って追いかけろ」



ああ、やっぱりダメなのか。


珍しく焦ったような美濃班長の声に追いたてられるも……。



「ヤですよ、こんな格好で!」



「でも坊や。あなた砂兎さんのズボンの前、くつろげてたでしょお?」



「て、ゆーか。あんな格好で社内を歩かせたりしたらぁ、後で部長たちに怒られると思うの」



「だったらあんたたちの誰かが行って下さいよ!」



「「「この格好で?」」」



思わず顔を見合せ、唯一まともそうな格好をしている加地さんを見る。


だが、加地さんは兵隊さんスタイルで。


がっちり甲冑を着込んでいる。



それに――――……。



おそらくはもう、手遅れだ。


開け放された扉から、ざわめきと喧騒が広がってゆくのがわかる。



室内に残った全員で視線を交わし……。



あっさりあきらめて、そっと扉を閉ざす。







※その年の仮装コンテストが辞退者続出で、兎場さんの不戦勝になったのは、言うまでもない※















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