おうちでごはん
リビングのソファの上でたらしなく四肢を投げ出した獣が、のんびりと盃を傾ける。
ほうっておくと、湯呑み茶碗で焼酎を煽るような人だ。
徳利と盃をセットして出しておいたのは、どうやら正解だったようである。
いつの間にやら徳利が一升瓶に変わっているものの、盃でちまちま飲んでいるだけまだマシだ。
なにせこの人ときたら、オレの前でも平気で酩酊してくれる。
普段からさんざん好きですと言いまくってるのに、いい度胸だ。
もっとも、酒の上での過ちだった、なんて言われでもしたらへこむので、つけ込むつもりなどありはしないが。
あまりにも無防備すぎると、ムラッとすることもあるわけで。
辛抱たまらなくなって手をだしてしまう前に、さっさと食事を与えてしまうことにする。
兎場さんは、自覚はないが、立派な食い道楽だ。
口に合うものをだしてやれば、酒より料理に熱中してくれる。
「兎場さん、お酒ばっかり飲んでないで、ちゃんと食事もしてくださいよ?」
「小鳥ちゃん。これこの甘辛いの。コリコリしてて旨いな」
目の下をほんのり朱に染めて嬉しそうにつまみを頬張っている姿は、なんとも言えず、色っぽい。
自称『オッサン』なこの人は、他人の目に自分がどううつっているのか、本気でわかっていないのだろう。
「豚の軟骨を煮込んだものですよ。はい、ご希望の牡蠣の酢のもの」
「おー」
風呂上がりのままだらしなく寛いでくれるのはいいけれど。
バラバラと落ちて邪魔になる髪を、シュシュで結わえて束ねてやる。
後ろから髪を触られても無防備なんだもんなぁ。
嫌になる。
「あとは、サワラの西京焼きと含め煮でいいですか?」
「ん。サンキュ。ほい、小鳥ちゃんも一杯」
ソファの背凭れの上についた手をグイと引かれ。
バランスを崩して、兎場さんの腕の中へとずり落ちる。
酔っていても、さすがは兎場さんと言うべきか。
オレが変なところを打たないよう、うまいこと体をずらして受け止めてくれたのはいいのだけれど。
この体勢はいただけない。
「もう。空きっ腹で呑むからすっかりできあがって……。ご機嫌ですね?」
上半身は兎場さんの腕の中で。
頭はちょうどすっぽりと、胡座をかいた兎場さんの、足の間だ。
足は、悲しいかな、ソファの背凭れに引っ掛かってしまっている。
「肴が旨いと酒も旨い」
「はいはい。あんまり無防備だと、どうなっても知りませんからね?」
手を伸ばして、兎場さんの頬に触れる。
無防備なこの人は、このまま引き寄せて唇を交わしてもたぶん、拒否はしない。
どうせ、相手にもしてもらえないのだろうけれど。
「うん?」
「…………なんでもありません。豆ごはんにしましたけど、よそいますか」
「もうちょい飲むわ」
「泊まる気でしょう、あなた」
「…………帰れってんなら、タクシー呼んで帰っぞ?」
身を起こそうとするオレの髪に指を絡めて邪魔をする兎場さんは、いつもに増してご機嫌で。
これっぽっちも追い返される心配なんてしちゃいない。
ずるい人だ。
突き放すわけでもなく、受け入れてくれるでもない。
こうやってかまってくるくせして、本気をチラつかせると逃げていく。
いっそ力づくで関係を変えてしまおうか。
何度かそう思って。
でもたぶん、それではきっと手に入らないと。
いつもいつもそうやって。
あきらめてこの人を甘やかすのは、惚れた弱味だ。
「朝食はしょうが焼きくらいしか作れませんからね」
「朝から肉はいらん」
「…………なら、具だくさんの湯豆腐とカレイの干物で」
「ん。だし巻き卵も」
兎場さんの意識が酒瓶に向いた隙をついて、腹筋だけで起きあがる。
残念そうなその顔は、勘違いしそうになるからやめて欲しい。
ひょっとしたら兎場さんも憎からず思ってくれてるんじゃないか、なんて期待は。
まだ早い。
警戒心の塊だった獣がここまでなついてくれたんだ。
逸って仕損じては、悔やむに悔やめない。
「はいはい。じゃあ、ちゃんと自力で起きてくださいよ?」
「おー……」
そそくさとキッチンに逃げ込めば、自信のなさそうな声が、追いかけてくる。
起きる気ないな、コレは。
オンオフの差が激しいと言うか。
普段の兎場さんは、ただのダメな大人でしかない。
――……まあ、ね。
起きてこないならこないで、おはようのキスで起こしてやるだけのことである。
※ひな祭りの後の、『小鳥ちゃん家で晩ごはん』が定着した頃の話※