〜小鳥ちゃんとウサギさんのひな祭り〜
舌が肥えているくせして兎場さんは、食事にはまるで無頓着な人だ。
口に合えば、ちびりちびりと晩酌を傾けながら、のんびりといつまでも食べている。
逆に、口に合わない時はさっさと全部胃袋におさめてしまい、後はひたすらお酒と戯れている。
食事に関して文句を言っている姿なんて見たこともないが。
味の濃いものは嫌いだし、油っこいものは体が受けつけないらしい。
男を落とすなら胃袋からだと、百戦錬磨の女たちが嘯くのを、何度も聞いた。
やたらめったら差し入れを貰うなと思っていたら、胃袋掌握作戦の渦中にいた、なんてこともしょっちゅうで。
仕事あがり、たまに一緒になる社食で口に合わない定食をしぶしぶ口に運ぶあの人を見ていて――……。
餌付けしてしまおうか。
その想いが、どうしても離れなくなった。
幸いにして、料理は得意である。
兎場さんの好みも、だいたいは把握した。
素材の味を活かした薄目の味付けで、野菜がたっぷり。
肉体労働派のくせに、兎場さんが好むのは、そういう料理だ。
だがでもどうやって?
プライベートではほとんど接点もないあの人の食事の世話なんて。
どう切り出せば不自然なく手料理を食べさせる流れへもっていけるのか。
と、まずそこで躓く。
いきなりお弁当を作って持って来るのも、不自然極まりないし……。
そう思いながらのパトロール帰り、兎場さんの視線が、とある一点で引っ掛かっているのに気がついた。
「食べたいんですか、それ。夜食用に買って帰ります?」
「んー? いや、いいわ」
「でも、お寿司屋さんのチラシ寿司見てましたよね?」
「むかーしな。家で作ったつって、旨いの貰ったことあんだよ。アレがもっぺん食いてぇな、と」
「ああ。彼女のお手製ですか」
「いんや。上司の嫁さん。ひとり娘の初節句だとかで……」
懐かしそうな兎場さんの、昔話に適当に相づちをいれながら、ふと気づく。
寿司飯に混ぜ込んだ刻んだ大葉だの、白胡麻だのと、市販のチラシ寿司とは違うソレは。
――……家庭の味というやつで。
たぶん、オレにも作れる代物だ。
「作りま……しょうか?」
跳ねあがる心拍数を押さえつけ、なんでもないことのように告げる。
せっかく転がり込んできたチャンスだ。
――……逃してなるものか!!
「あん?」
「いまのお話で、だいたいのレシピはわかりました。似たような味でいいのなら、作れますよ?」
「…………小鳥ちゃん、料理作れんの」
「ええ、まあ。どうしますか。なんなら、蛤のお吸い物もつけて差しあげますよ。食べに来ます?」
兎場さんが、歩みを止める。
「蛤……お吸い物……。あ―…でもなぁ…………」
考えているのがわかる横顔を、ドキドキしながら眺めることしばし。
ガリガリと頭を掻いて、なにかをあきらめたような兎場さんの。
「雛あられと甘酒買って持ってくわ」
ふっと緩んだ表情に、思わず見惚れる。
「男ふたりでひな祭りですか。ぞっとしませんね」
「言ってろよ。なあ、椎茸甘くしたヤツあんだろ。アレ多めな」
「はいはい」
詰めていた息を吐き出しながら、そっけなく。
あしらうように返事をすれば、ムキになった兎場さんが、あれこれ絡んできてくれて。
気がつけば、兎場さんの好みに合う料理を出せるかどうかの勝負になっていた。
そんなもの。
楽勝に決まってる。
けれど、おくびにも出さず「受けてたちましょう」と余裕たっぷりに笑ってみせれば。
大きな手のひらが、「言ってろ」と言う言葉と共に、オレの頭を軽くはたいた。
そして。
ひな祭りの、その後は。
時間が許せば、オレの家での食事が習慣になって――……。
餌付けに成功したかと思っていたら、するりと手の内から逃げられた……。
浮き島から帰ってきたら、これみよがしに兎場さんの好物ばかり目の前で食べてやるからな。
覚えてろ!
※小鳥ちゃんが恋心(笑)を自覚したばかりの頃のお話※