第九十一話 番外編:信頼関係
今回も、現在の状況より少し前のお話になります。
ストーリーが前後して申し訳ありませんが、本編はこの後も続いていきます。
旧暦の八月十五日。
俗に言う『中秋の名月』が見られるはずだった。
しかし夜が更けるにつれて雲が増え、現在、この森は深い闇に覆われていた。
そしてその事を『千載一遇の好機』と考える青年がいた。
彼は藪の中に身を潜め、じっと機会を伺っている。
……不意に、忍装束を纏った男が二人、木々の影から出現し、彼の視界の中に入った。
二つの人影は周囲を警戒しながら、足音を立てぬようゆっくりと歩を進める。
(……こんなに近くに隠れていたのか……)
青年は、わずかに鼓動が高まるのを感じながら、こちらも物音を立てぬよう、慎重に吹き矢を構えた。
「……うぐっ!」
二人の内の一人、小柄な忍は、うめき声を残した後、バタリとその場所に倒れた。
もう一人は、一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、自分がすでに標的として狙いを定められていると認識し、すぐさま飛び退く動作をとった。
しかし時既に遅し。
彼は首の後方に鋭い痛みを覚え、次に全身が強ばることを感じた。
「……ぐっ!」
短い一言のみを残し、彼もまたその場に倒れた。
(二人倒した……しかし……)
彼等から発せられたうめき声は、ごく小さなものだった。
それでも、精鋭の忍達は、その微かな違和感を逃さないはずだ。
おそらく、三つの気配が近づいて来ることを、その青年、三郎は感じ取っていた。
(……まだこの場所は悟られていない……先に見つけるのは俺の方だ……)
彼には、確信があった。
どんな暗闇でも見通すことができる仙術武具……『暗視眼鏡』を、三郎だけが身につけていたからだ。
身をかがめ、全く足音を立てずに滑るように近づいて来る一つの人影。
しかし今の三郎には、その敵はまるで真昼の小道に身を晒しているかのように、視界に映り込んでいる。
「……ぐむっ!」
三人目の犠牲者が、がさり、という音と共にその場に崩れ落ちた。
しかしその男は、まだ立ち上がろうともがいている。
(……当てた場所が悪かったか……)
今度こそ確実に上半身、できれば首筋に吹き矢を当てようと、藪から身を乗り出した。
だがその刹那、視界が異様に明るくなり、戦慄を覚えた。
(……まずいっ!)
隠れていたはずの満月が、雲の切れ間から顔を覗かせ、そしてこの戦場を照らしたのだ。
刹那、三郎がそれまで潜んでいた箇所を、二本の棒手裏剣が襲った。
しかしその時には彼は既に脱出。猛烈な速度で森の奥へと走り出していた。
だが、彼に劣らぬ俊足で後を追う影、二体。
先程倒した三人の仲間だ。
二対一、しかも後を取られている。
絶体絶命のこの状況、しかし三郎には秘策があった。
全力で迫り来る大木を躱す……と見せかけ、踵を返し、抜刀する。
一瞬戸惑った二人の追っ手、しかし冷静にこちらも短刀を抜く。
そのまま三人の忍が交錯すると思われた瞬間、三郎の左手から純白の、そして強烈な閃光が放たれた。
……鈍い音が二回響き、そして一時的に視力を失った追っ手側の忍二人は、ほぼ同時に倒れた。
三郎は荒い呼吸を繰り返しながら、手にした木剣を鞘に収めた。
……気がつくと、音もなく新たに出現した影が、彼のすぐ後方に立っていた。
彼も忍装束で、顔も見えない。
「サブ、それが『仙術』を修得した貴様の力か」
「いえ……頭、俺はただ、前田殿から借り受けた『仙術武具』を使っただけです」
「ふむ……しかし、それで我らの精鋭五人若衆を、たった一人で倒すか……我々の側が不甲斐ないと言われればそれまでだが……皆、いつまでそうしているつもりだ、もう動けるだろうっ!」
頭と呼ばれたその男の叱咤に、倒れたはずの五人が、よろよろと起き上がった。
「矢に痺薬でなく毒薬を塗られていたならば……そして木剣でなく真剣であったならば、貴様等全員、死んでいたぞ……それでも『精鋭』と呼ばれる身かっ!」
五つの影は、ただ頭を垂れるばかりだ。
「下請けの忍たった一人が、正式な忍五人を倒す、か。考えもしなかった事態だが……貴様はこの模擬戦を申し込んできた時点で、勝てる確証があったわけだな……その仙人の武具を身につけた事も含めて、サブ、おまえの実力は本物だ。強くなったな……どうだ、この際、お蜜と共に我らの一員とならぬか」
遂に来たか、と三郎は思った。
何年、この言葉に憧れ、待ち焦がれていたことだろう。
忍の落ちこぼれ、忍の下請けからの脱却……夢にまで見た状況だった。
しかし……。
「……いえ、今はそのお誘いに乗ることができません」
三郎の意外な答えに、立ち上がった忍全員が驚いた。
「これは妙な事だ。では一体、何が目的で、この模擬戦を申し込んで来たのだ?」
「……我々を、自由に行動させて欲しいのです」
「……自由、とは?」
「先程も申しました通り、前田拓也殿より借り受けました仙術武具を用いて、俺は戦いに勝ちました。しかし、真の実力では貴方達に太刀打ちできません」
これは彼の真意ではなく、目上の立場である彼等を立てているだけだ。
若干の皮肉もこもっているが。
「そして俺は、前田拓也殿と信頼関係を構築することに成功しました。これは俺と、お蜜だからできたことです」
「……ふむ……比較的自由に動ける身分だからこそ、と言いたいわけだな?」
「その通りです。そして俺やお蜜が、彼から有益な情報や、武具を入手してみせます。たとえば、この暗闇でも見通せる『暗視眼鏡』は拓也殿も一つしかもっておらず、借り受けているものなのでお渡しできませんが……先程の、暗闇を切り裂く『閃光灯』は、ここにいる人数分、揃えてお渡しすることができます」
「おおっ」と声が漏れた。
夜間限定ではあるが、相手の視力を一瞬奪う眩い閃光は、使いようによっては必殺の武器となりえる非常に便利な道具だ。それを、ここにいる全員に渡すことができるというのだ。
「……我々に『見返りは渡すから、自分達の邪魔をするな』と言いたいわけだな」
「……平たく言えば、そうなります」
この遠慮のない三郎の台詞に、上忍達からざわめきが起こる。
「ふっ……サブ、言うようになったな……よかろう、お前達の好きにするがいい。前田殿からどれだけ貴重な情報や物品を引き出せるか、お手並み拝見としよう……ただし、分をわきまえろよ。お前とお蜜の二人、という条件でのみ、我らも了承することにする」
「はい、それはもちろん。勝手に仲間を増やすような真似はしませんので」
「ふむ……ならそれでいい……サブ、俺もあの方も、お前には期待しているぞ」
「はい、努力いたします」
フッ、と鼻を鳴らし、頭と呼ばれたその男と五人の若忍衆は帰って行った。
(……やった……『忍』たちを出し抜いた……)
三郎は、歓喜に打ち震えた。
思えば、苦労の連続だった。
忍の子として生まれたが、まだ幼い内に両親を失った。
自身も忍の道に入ったが、『近目』であるというだけで、どれだけ努力しても正式な忍になることができず、『下請け』としておこぼれのような仕事をこなす、その日暮らしの生活を強いられた。
幼なじみで、密かに思いを抱いていたお蜜が身売りされていくときも、ただ悔し涙を流すしかなかった。
身売り先で、皮肉にも『女の武器』を身につけたお蜜は、頭によって買い戻された。
しかしその身分は、三郎と同じく『下請けの忍』であり、借金によってがんじがらめにされてしまった。
回ってきた仕事は、どんなに過酷で、かつ安いものであろうと、断るわけにはいかない――。
今はもう、借金は相当返してはいるが、まだまだ生活は楽になっていない。
そんなときに回ってきたのが、『仙人』と噂される『前田拓也』の護衛と調査、だった。
最初、三郎は『なんと胡散臭い仕事なのだろう』と思った。
しかし、『下請け』仲間の一人であった、乱暴者で巨漢の男が、素手だったとはいえ前田拓也に『一撃で』倒されたあたりから、彼が本物の仙人であると考え出した。
彼の鰻丼屋は成功し、連日、客が押し寄せた。
しかしそれだけではまだ確証が得られていない。
そんな中、彼とその『嫁』である『お優』が、彼の『妹』を探す旅に出るという。
これ幸いとその旅への同行を上層部に申し出たところ、了承され、自分とお蜜は思わぬ形で『夫婦』を演じる事となり、そして彼等との接触に成功した。
そしてとんとん拍子に信頼関係を築き上げ、仙界が『三百年後の世界』であるという事実を突き止めた。
長年悩んでいた近目も、『仙界の眼鏡』をかけることで、拍子抜けするほど簡単に問題解決することができた。
そして前田拓也の『妹』救出に、自分とお蜜の二人が深く関わり、信頼関係を揺るぎない物に発展させることができた。
さらには、『三十万両の埋蔵金』という荒唐無稽な話に引っ張り出すことにも成功し、拓也の活躍により、『金鉱脈の発見』という大手柄を立てることまで成し遂げたのだ。
三郎にとって、もはや拓也は『福の神』以外の何者でもなかった。
この日も、彼から預かった仙術武具――実際はそんな大げさな物ではなく、「ナイトスコープ」と「フラッシュライト」という、一般的に手に入る、武器ではなく趣味の小道具――を用いて、たった一人で忍の精鋭五人を倒したのだ。
ちなみに、『暗視眼鏡』も拓也が本気を出せば数を揃えられることは知っているが、あえてその情報を上忍達に報告するつもりもなかった。
そしてさらに、もっと重要な秘密を、三郎は上層部に知らせていなかった。
拓也に口止めされていたこともあったが……なにより、この秘密は、自分とお蜜だけが知っている方が都合がいい。
その重大な内容は――。
『お優もまた、時空間移動ができる。それどころか、小柄な女性や子供ならば、仙界へ連れて行くことさえ可能である』
という事実だ。
そして三郎は、壮大で、それてでいて現実的な野望を持っていた。
お蜜を、三百年後、つまり仙界へと送り込む――。
これによりお蜜は、『仙界』の技術や物品の、膨大かつ貴重な情報を得ることができる。
そして彼女は正式な『忍』以上の存在となり、俺達二人は真の自由を得ることができる――。
全ては、前田拓也とお優にかかっている。
また、彼等から得たものは、単なる手柄や、便利な道具だけではない。
前田拓也とお優は、時空間移動できること以外は、実は大した能力を持っているわけではない。
それなのに、自分達にとって大切な者を守るため、あれほど必死に挑み、戦い、救いだし、成し遂げた。
一生、下請けの『忍』として、上層部の指示通り生きていくしかないと腐っていた自分を立ち直らせ、新たな野望の火を灯してくれたのは、彼等の必死で、それでいて真っ直ぐな、眩しい姿だった。
三郎は、彼等との信頼関係を継続し続け、そして彼等の身の安全をずっと守り続けようと、心に固く決めていた――。





