第八十七話 身も心も
ハルは、薄い着物というか、布というか、そういうものを一枚羽織っているだけだ。
部屋のLED灯は消しているが、障子が月明かりで照らされ、意外とはっきり見えている。
ハルの方向を見てみると……彼女も、すぐ隣でこちらを見つめていた。
少し恥じらうような表情が確認できる。
部屋の中、思ったより明るい……。
「ハル……『夜伽』って言葉の意味、知っているのかい?」
「はい……ただ一緒に寝るってだけじゃないことぐらいは……」
うん、まあ……そうだろうな。でなければ、こんな格好で俺の布団に潜り込んできたりしないだろう。
しかし、これは双子の姉であるユキと同じく、犯罪に近い。
俺はさっきユキにも言ったように、ハルのことも好きであること、そして今はまだ『自分の娘』みたいに思っていること、そしてハルがもっと成長する姿を見てみたい、とも告げた。
だから、今日ハルに対して手を出すようなマネはしない、と。
これで何とか納得してもらおう、今日一晩ぐらいなら、なんとか我慢できるかな……そう考えていた。
すると、ハルは遠慮がちに話しかけてきた。
「あの……一つだけ、言いたいことがあるんですけど……」
「うん、なんだい?」
ここはお父さんのように、優しく悩みや不満を聞いてあげよう。
「あの……これを聞いても、怒ったり、しないでくださいね……」
ハルの言葉は不安そうだった。
「ああ、大丈夫だよ。言ってみなよ」
「……意気地なし……」
ハルがつぶやくように言ったその一言で、俺の中で何かがぷつん、と切れた。
頭に血が上り、自分を制御できなくなってしまった。
気がつくと、俺はハルから体を隠していた布を奪い取り、そして自分自身も上半身裸になっていた。
興奮しすぎてあまり覚えていないが、裸のハルを抱き締め、そしてその無垢な体のあちこちに触れてしまっていたと思う。
さらに手を緩めることなく、自分の欲望を満たそうと、彼女の体に覆い被さったとき……その異変に気づいた。
(……ハル……)
彼女は、小刻みに震えていた。
目を閉じ、歯を食いしばるようにして……怯えていた。
そんなハルの様子を見て……自分がとてつもなく恐ろしいことをしているような気がした。
「ハル……怖かったんだな……今日はここまでにしておこう……」
幾分冷静さを取り戻した俺は、なるべく優しく、語りかけるようにそうしゃべったつもりだったが……俺の声もまた、震えていた。
「……えっ……ご主人様、どうして……」
「いや……ちょっと俺が強引すぎた。震えていただろう? 怖かったんだな……」
ぽんっ、ぽんっとその頭をかるく叩いてやると、ハルは耐えきれなくなったのか、ついに泣き出してしまった。
「……ごめんなさい……私、覚悟していたつもりなのに……ご主人様の言うとおり、いざとなると怖くなって……『あの言葉』使うときは、本当に全てを捧げるつもりでって言われていたのに……」
……やっぱりハルは、誰かにアドバイスされて、あんな俺を挑発するような事を言ったんだな……。
「でも、本当は……あんな事言ったのに、私が震えたせいで途中でやめて、これでご主人様に嫌われる事のほうがずっと怖いです……」
「……大丈夫だよ。むしろ、嬉しい。そこまでして、本気で俺と『夜伽』してくれようとしていたなんて……感動したよ。まあ、あんなに震えているの見たら、今日はさすがにこれ以上手を出すつもりはないけど……また今度、もう少し成長したら、また来てくれると嬉しいよ」
「……はい、ご主人様がそう言ってくれるなら……じゃあ、今日はこの後、どうしましょうか」
「そうだな……まだ夜は長いし、なんか話でも、しようか?」
「……はい、私はご主人様と一緒にいられるのなら……」
ようやく、彼女は安堵し、笑顔になった。
今だ全裸のハルと上半身裸の俺は、手をつないで、これまでの思い出を話し始めた。
ハルにとっては、『あの川原で、初めて会った自分達を仮押さえしてくれたご主人様』だ。
『住む場所まで提供してくれ、病気になった自分達を、まるで娘のように心配し、お医者様まで呼んでくれた優しいご主人様』でもあるらしい。
『前田邸から山の下まで続く抜け穴に落ちてしまった自分を、必死になって探して見つけてくれた、命の恩人であるご主人様』とも言ってくれた。
その時、思わず『口づけ』してしまったことを覚えており、誰にもしゃべっていないが、ずっと心の中で宝物にしているという。
彼女は、俺と一緒にいた時間のことを、驚くほど克明に覚えていた。
その全てが大切な思い出だという。
そして今日、また素敵な思い出が増えた、とも。そして俺の事を大好きだ、とも。
また、自分にとってあこがれの英雄である俺の事を、ずっと『ご主人様』と呼び続けたい、と言ってくれた。
正直、こんなかわいい女の子に、目をウルウルさせながら『ご主人様』なんて迫られるとクラクラしてしまうのだが……悪い気分では無いところがまた困ったものだ。
そんな風に会話を続けている内に、お互いに気分が安らぎ……二人とも眠ってしまっていた。
翌朝、目が覚めるともう日が昇り、部屋全体が明るくなっており……両手で俺の右手を掴み、全裸ですやすやと眠るハルを見て、また脳内にアドレナリンが噴出するのを感じた。
ただ、それも一瞬だけで、俺は裸の美少女に掛け布団を掛けてやり、顔を洗いに自分の部屋を後にしたのだった。
翌日、夕刻に現代から前田邸の庭へと時空間移動した。
だが、いつもはいるはずのポチが、その日は駆け寄ってこなかった。
風呂の煙突から煙が出ているので、誰かが湧かしているようだ。たぶんそこにポチもいるのだろう。
玄関に向かおうとすると、角の部屋の方から女の子達の会話が聞こえてきたので、悪趣味だとは思いながら、こっそり近づいて聞き耳を立ててみた。
「……ということで、拓也さん攻略まで、あともう少しよ」
「昨日は、ハルに先を越されるんじゃないかとハラハラしていたが……やはり最後までは手をださなかったか」
「……ごめんなさい、私が怖がったばっかりに……」
「いえ、実はハルちゃんがそうなるのも、お蜜さんは計算していたのよ。その上で、『意気地なし』なんて言葉を使うよう、助言してくれたの。それで拓也さんが、怒ったように積極的になるかもしれないけど、ハルちゃんのことを嫌いになったりは絶対にしないからって。お蜜さん、本当に拓也さんの性格を見抜いているわ」
「……私には、もう少し待つように言っていたのに……」
「あら、ユキちゃん。それでも、拓也さんと一緒に裸でお風呂に入って、背中流しあったんでしょう? それって、優以外誰もしてないのよ。それに、ユキちゃんがあの一言言ったとしても、たぶん効果は薄かった。普段大人しいハルちゃんだからこそ、拓也さんに火を付ける事ができたのよ。それに結局、ハルちゃんも最後までは手を出されていないわけだし……大丈夫、その火は、次のユキちゃんの番でも消えていないわ」
「……うん、そっか。わかった、次頑張る!」
……なんという恐ろしい密談だ。
彼女たちは一人ずつ、俺と二人きりになる時間が不自然にあったし、みんななんか手際が良すぎると思ったが……会話内容から察するに、お蜜さんがこのシナリオを計画し、それをこのメンバーが実践したようだ。
声が聞こえてきたのは、凜さん、ナツ、ユキ、ハルの四人。
優はいないようだが……おそらく、風呂の焚きつけに行っているのだろう。
しかし、どこまでが計画で、どこまでが自然発生した内容だったのか……。
「……じゃあ、いよいよ仕上げよ」
「いよいよ、ね……」
「うん、長かった……タク、大好き……」
「私も、ご主人様を……」
……一体、『仕上げ』に何をしようというのだろうか……。
「最後に、念のため確認だけど……みんな、拓也さんと添い遂げる覚悟はあるわね?」
「……『添い遂げる』って?」
「一生、拓也さんに、拓也さんだけに身も心も捧げるって言う意味よ」
「一生……うん、もちろん」
「じゃあ、もう一度……みんな、拓也さんと添い遂げる覚悟はあるわね?」
「「「はいっ!」」」
――俺は、言葉が出せなかった。
そして涙があふれるのを止める事ができなかった。
俺を攻略する計画、といえば聞こえが悪いが……彼女たちにとっては真剣そのもので、俺なんかに一生を捧げようっていう、決意を込めたものだったのだ。
そのために、みんな必死だったのだ。
俺は、誰にも気づかれないようにその場を離れた。
そして納屋の裏で、嗚咽が漏れるほど泣いた。
いつの間にかポチが近くに来ていたが、普段と異なる俺の様子を心配したのか、吠えることが無かった。
三十分ほどして、何事も無かったかのように、俺は前田邸の中に入っていった。
凜さんが、笑顔で出迎えてくれた。
「拓也さん、おかえりなさい。今日も、お風呂湧いていますけど……入られますか?」
「風呂、ですか……うーん、どうしようか……」
「今日も、拓也さんと一緒に入りたいって言う娘がいるんですよ」
「……えっと、それって、誰ですか?」
「それは、後のお楽しみっていうことで」
凜さんは、ずっとニコニコと笑顔だ。
「……分かりました、いただきます」
俺も、覚悟を決めた。





