第八十四話 前田邸復活
凜さんは、涙を流した後、俺に抱きついてきた。
いつもなら慌てて逃げるようにその場を離れているところだが、この日は、俺も凜さんの肩を抱き締めた。
泣いている彼女が可哀想に思えたから、とかではなく……純粋にそうしたかったからだ。
これが優に対する浮気になるのかと言われれば、そうかもしれない。
しかしそれは自分の中の勝手な線引きであって……彼女達に対して感情に差を付けること自体が失礼なのではないか……優も、そう言っていたではないか。
けれど、それがまた自分に対する言い訳なのではないか……。
そんなふうに、複雑な思いがループし、自分でもどうしていいのか分からなくなってしまう。
しかし、今凜さんの肩を抱いていることは、偽らざる自分の本心を表現しており、そして楽しかったこの一年の思いが積み重なった結果だ。
俺は、凜さんを……いや、前田邸に集っていた少女達を、誰一人として手放したくない――。
――その日は、凜さんはそれ以上迫ってこなかった。
ひょっとしたら、凜さん自身が、これ以上は冗談では済まなくなると自重したのかもしれない。
ただ、もしこれが、誰かが言っていた「じらす」作戦だったのだとしたら……もう、俺は凜さんの術中に完全にはまったことになる。
『前田邸』の補修工事は、その週の内に完了した。
壊されていた部分は戸板や床板、壁の一部など、すぐに修繕が可能な表面部分のみであったので、人数さえ揃えれば、比較的簡単に直ったようだ。
ただ、庭の花々が元のように咲き乱れる状態になるまでは、しばらく時間がかかりそうだ。
この知らせは優によって既に江戸の『明炎大社』にもたらされていた。
そして数日後、ナツ、ユキ、ハルの三人が一時的に俺の家に時空間転移され、久しぶりに前田邸の女性陣全員が揃うこととなった。
同じ時代での空間移動はできないため、一度現代を経由しないといけない。そのために俺の家に集まってから、翌日、改めて新装前田邸へ移動するという段取りとなっていた。
『明炎大社』ではそれに対して『天女見習いを天界へ返す』という式典を展開、三時間ごとに一人ずつ行われる時空間移動の公開を実施した。
数百人の氏子達の前で、大々的に行われたものだから……目の前で少女二人がかき消える、という摩訶不思議な現象が起こった境内では、大変な歓声が上がったという。
この日は木曜日だったので、俺は学校に行っていた。
夏休み前で、期末テストもまだだが、秋に実施される体育祭の打ち合わせが入り、帰りが遅くなった。
現代であれば日が暮れても外灯があるので、真っ暗になる事はない。
しかし俺はそれよりも、「彼女達」に会う時間が短くなってしまうことの方を懸念していた。
歩みを速めた甲斐があって、まだ日が残っている内に彼女達の「仮の住処」となっているはずの、この地域でもそれほど大きくはない民家にたどり着いた。
玄関の扉を開けると、
「おかえり、タクっ!」
「おかえりなさいませ、ご主人様っ!」
顔がそっくりな二人の少女が、そろって挨拶をしてくる。
服装は白の着物に赤い袴と、結構派手だ。そして揃った顔のかわいらしさが際だっている。
ハルとユキの双子。二人とも数え年で十五歳、誕生日は初春だということだから、満年齢に換算すると十四歳になっていた。
この時期の少女は、一年弱の期間でも驚くほど成長する。
背も、出会った頃は俺の胸までぐらいだったが、肩ぐらいの高さまで……つまり、優とさほど変わらないぐらいに高くなっていた。
髪も伸び、その可愛らしい顔からは幼さが消えつつある。
もう、子供とは言えないユキが、俺に抱きついてきた。
さすがに照れる、というか、どぎまぎしてしまった。
ハルは以前と同様、一歩引いた場所から笑顔で俺を出迎えてくれる。
彼女は、顔こそユキとそっくりだが、なんていうか、「おしとやかなお嬢様」風に成長しているように見えた。
「タクヤ殿……おかえりなさい」
その言葉の方向に目をやり、「えっ……」と思わず一言つぶやき、そして驚愕した。
にっこりと微笑むような視線を投げかけていたのは、ナツだったのだ。
彼女はもう、満年齢で十六歳になっている。
ちょっと男勝りというか、ボーイッシュな顔つきは変わっていないが……なんていうか、優しげな雰囲気を醸し出していたのだ。
「……どうした? なんかおかしいのか?」
……気のせいか。普通に以前と同じ口調だ。
「いや、ちょっと雰囲気が変わったような気がして。でも、やっぱりナツだ。また会えて嬉しいよ」
「そ、そうか……いや、実は明炎大社で礼儀作法を一通り習って……タクヤ殿にも敬語で話をしようか、と、ユキと二人で考えもしたのだが……優から、今まで通りの方が喜ぶはずだと言われて、そうしているんだが……」
「ああ、その方がいいや。それでも、ずいぶん変わった印象を受ける。なんか大人びたって言うか……すごく良くなっている」
「そ、そうか……なら、良かった……」
彼女は少し赤くなって、二人の妹を連れて自分達の部屋へと帰っていった。
もう俺は、ナツに対して苦手意識を持っていなかった。
「あっ、おかえりなさい、拓也さん。今、お母さんと食事の準備してるんですけど………もう少しだけ待ってもらえますか」
来たっ!
満面の笑みで玄関先まで出てきてくれたのは、俺が一番気に入っている女の子、「お優」、略称「ユウ」だ。
数え歳で十八、満年齢で十七歳。俺と同い年だ。
ナツより少し小柄で、俺より二十センチほど低い。
それでも江戸時代としては標準的。
その名の通り、すごく優しくて、気が利く。
俺の彼女であり、江戸時代においては『花嫁』だ。
たまに俺が無茶なことをすると怒ったり、ちょっと拗ねたりするが、それもまた魅力の一つだ。
「……拓也さん?」
はっ! いけない、見とれてしまっていた。
ええと、食事、もう少し待ってと言われていたんだな。
「ええと、じゃあ……自分の部屋に戻って、ちょっとテスト勉強でもやっとくよ」
「そうでしたね。拓也さんは、こちらではまだ学生ですもんね……ところで拓也さん、姉さんが……」
そこまで聞いて、ぎくっとする。この前、凜さんと二人で抱き合ったこと、ばらされてしまったんじゃないだろうか。
「今日はみんなで、前田邸復活の前夜祭を盛大に行おうということで、相当張り切っているんですよ。お料理作るのも手伝ってくれて……」
……ふう、そんなことだったか。うん、まあ良かった。
そういえば、今日は叔父さん、来ないみたいな話だったけど……うーん、凜さんとうまく行かなかったのかな。可哀想だから、聞かないでおいてあげよう……。
その夜の宴は、母とアキも加わり、賑やかに、本当に楽しく行われた。
特にアキは、自分も明炎大社で修行していた身なので、三姉妹や優と話が合い、大盛り上がりだった。
こうして、一夜の楽しい時間を過ごし……翌日、俺が学校に行っている間に、彼女たちは全員江戸時代の前田邸へと帰っていった。
そして夕方、学校から帰宅した俺は、急いで『前田邸』へとタイムトラベルを実施。
そこには、少女達の歓声が聞こえる、あの懐かしい(といっても、一ヶ月程度だが)光景が蘇っていた。
凜さんと優は、既に夕食の準備に取りかかっている。
源ノ助さんは、しばらく庭を眺めていたらしいが、今は離れの自室にこもっている。
ユキとハルは、すっかり元気になった番犬のポチと追いかけっこをしていた。
ただ、そこにナツの姿が無いのが気がかりだった。
家の中を探してみると……彼女は自分達の部屋に、ひとりでぼーっと座り込んで、延々壁を眺めていた。
表情も、なんというか、やる気をなくして呆然としているような印象だ。
なんか様子がおかしい……そう思った俺は、それとなく彼女に何かあったのか聞いてみた。
「ああ……タクヤか。いや、ちょっと……嬉しいというか、めでたいというか……そんなことがあったから、ちょっと喜んでいるんだ……」
……やっぱりおかしい。全然嬉しそうでないし、俺の呼び方も「タクヤ殿」から「タクヤ」に戻っていた。
「……なんかよく分からないけど、嬉しいなら、何があったか教えてくれないか」
「……実は……『前田屋』の方にも行ってみたんだ。源ノ助さんから、近いうちに営業再開するって聞いたから」
「ああ、そうだな。良平も江戸の『月星楼』から呼び戻したよ。もう帰ってきてると思うけど」
「そう。もう『前田屋』で会った。それで、奴のことなんだが……」
そこで一旦、言葉を切り、悲しそうな表情になり、そしてぽつりと一言、
「……良平に、土下座で謝られた」
とつぶやいた。
「へっ? あいつが? 何やらかしたんだ?」
良平は鰻料理専門店『前田屋』の若き料理長であり、そして俺に『百両貯めたら、ナツを譲って欲しい』と詰め寄るぐらいに、ナツに入れ込んでいたのだが……。
「……江戸で、恋人ができたらしい」
――俺は絶句した――。





