第八十一話 樹海の仙人
本格的に樹海の捜索が始まってから、一週間が過ぎようとしていた。
江戸時代には『曜日』の概念など存在しないのだが、俺は現代の生活も重視しないといけないので、丸一日活動できるのは週末に限られる。
その日は土曜日で、朝八時から『金板』探索拠点の小屋へと時空間移動したのだが、もうすでに日は高く、男達は全員仕事に出ているようだった。
気になったのは、『梅』と『桐』の二人までいなくなっていたこと。
わざわざこんな森の奥深くまで入り込んでくる泥棒もいないだろうが、小屋には鍵がかかっているわけでもなく不用心だなと考えていると、すぐ裏手の小川の方から女性二人の悲鳴が聞こえてきた。
何ごとかと焦り、普段から身につけている短刀(模造刀)を確認し、三郎さんからもらった棒手裏剣を一つ手に取って声の方に駆けつけると……その小川には、全裸で膝まで水に浸かった姉妹が抱き合って、怯えている様子だった。
その光景を目撃した俺は思わず二、三秒固まってしまったのだが、彼女たちが俺の姿を確認し、ゆっくりと別の方向を指差した。
その先に一人の老人が立っており、俺の方を少し驚いた様子で見つめていた。
俺よりも小柄で、白髪、白髭を生やしている。
痩せており、服装は白い麻の袈裟、いわゆる『山伏装束』だ。ただ、大分汚れ、みすぼらしい印象を受ける。
一応、短刀は身につけているようだが、全く強そうな雰囲気はない。
俺と老人までの距離は約20m、少女達までは約30m。
俺の方が短刀を抜き、その老人に詰め寄ろうと歩き出したのだが……。
「……ま、待て。ワシは決して怪しい者ではない。この樹海に住む仙人じゃ。ちょっと平和的に話をしにきただけじゃから」
……いや、自分で仙人などと名乗る時点で怪しいのだが。
とりあえず、俺はその老人を小屋へ連れて行った。
少女達にも、「事情を聞きたいから服を着たら来て欲しい」と言っておいたところ、顔見知りの俺がいることに安心したようで、素直にその通りにしてくれた。
小屋の中では、俺と女性二人が並んで座り、老人が対面で落ち着きなく腰を下ろしている。
まず、老人が口を開いた。
「ワシはこの森に五十年近く住んでいる、万代仙というものじゃ」
……なんか怪しい健康食品みたいな名前だな。
「この森は常に小鳥のさえずりが聞こえ、動物たちが日々の生活を送る豊かな場所じゃ。熊のように人を襲う動物はおらん。たまに猟師が鹿やイノシシ用に罠を仕掛けて獲りに来ることはあるが、まあその程度ならワシも許容しておった」
まるで森の主かのような物言いだ。
「ところが最近、見たことも無いようなガラの悪い連中が、集団で森を荒らしておるではないか。これはなにかよからぬ企みがあるに違いない、と思うて、拠点としておるこの山小屋に来てみたのじゃが、誰もいない。そこで周囲を確認していたときに、そこの娘さん達が水浴びをしているところに出くわした、というだけじゃ」
うーん、まあ、話のつじつまが合ってないわけじゃないし、意外と物の言い方もまともだ。
お梅さんと桐に確認しても、
「だって、男の人たちがみんな探索に出て、誰も居なかったから安心して裸で体を洗っていたら、いきなり知らないおじいさんが私たちの事、見てたから……怖くて」
ということで、特別何かされたわけじゃないらしい。
「ほら、言った通りじゃろう? むしろ、おぬしが今、ここにいることの方がおかしいのではないか? みんな働いているのに、おぬしだけなんでここにおるんじゃ?」
「俺は、探索の人員として賃金をもらって雇われているわけじゃないから。ただ、探索のために道具を無償で貸し出したりはしているけど。探索の進捗具合の確認とか、なにか困った事が起きたりしていないか、様子を見に来ただけだよ」
「……じゃあ、拓也さんがあの時間にここに来たのは、ただの偶然? 別に私たちの裸を覗こうとか、考えていたんじゃないのね?」
お梅さんが変な確認してくる。そんなふうに思われてたのかな?
「ああ、そもそも水浴びしてるなんて思って無かったから」
「ほら、やっぱり。ねえちゃん、拓也さん、そんな人じゃなかったでしょう?」
「うん、ま、そうでしょうけど……男の人、特に若い衆はみんないやらしいから、気を付けないとダメよ……」
そこまで話したところで、彼女は俺がじっと姉妹の会話に聞き入っていることに気づいたようだ。
「ごめんなさいね。別に私は平気だけど、桐は裸見られたこと、ちょっと気にしてるみたいで……それでも、桐は拓也さんは信用できるって言ってたのよ。ただ、男の人をあんまり信じすぎるのも良くないって忠告しただけ」
……なんか覗きのために探索に行ってなかった、って思われてたっぽい。うーん、まあ、今のお梅さんだと、あんまり男を信用できないのかもしれない。
「ところで話は変わるが……さっきから探索とか言っておるが……ワシの森で、何を探しているんじゃ? それで、何を企んでおるんじゃ?」
「ああ、すみません。探しているのは……そう、あのまな板ぐらいの金属板です。別にへんな企みなんかなくって、その金属板さえ見つかれば、我々は帰ります」
「金属板? 一体何に使うんじゃ?」
「……そこにある重要な『情報』が刻まれているんです。そしてそれは貴方には関係がない話になります。我々はたった一枚のその『金属板』を探しているだけで、特に森を荒らしたりはしていないですよ」
「ふむ……確かに、穴が掘られたり、木々が傷つけられたりといった様子はなかったが……しかし、それでその金属板とやらが見つかるものなのか?」
「ええ……あれを使っていますから」
俺は部屋の隅に置いてあった予備の金属探知機と、まな板、包丁を持ってきた。
包丁を床の上に置き、さらにその上にまな板をかぶせるように置く。
そしてゆっくりと金属探知機を近づけると、「ピーッ!」という電子音と共に赤いLEDが点灯した。
これには、老人も驚きを隠さない。
離すと、また音と光は止む。近づけると、警報発生。
「この通り、見えない部分の金属にも反応します」
「こいつはたまげた……これ、おぬしが作ったのか?」
「いいえ、俺は買ってきただけです」
「買った? こんな物、どこで売っているというんじゃ?」
「どこって、ええと……まあ、俺の生まれ故郷です」
それを聞いて、老人は怪しむような表情を俺に向けた。
その時、タイミングがいいのか悪いのか、無線の呼び出しが入った。出るかどうか一瞬迷ったが、緊急の連絡かもしれない。
スイッチを入れると、聞こえてきた声の主は、やはり三郎さんだった。
「拓也さん、やっぱり今日はこっちに来てたか。今、我々の班が『金板』が埋められていそうな場所を見つけたんだ。ある一本の巨木の内部に空洞がある事がわかった。そこからたどっていったんだが……前と同じようなカラクリを見つけた。例の『探知機』のおかげだ。ここまで来て、立ち会うか?」
「……いえ、俺はもう、『発見の瞬間』に立ち会うのはこりごりなんです」
「……ふっ、なるほどな。じゃあ、こっちで取り出すことにするよ」
それで無線での会話は終わりだった。
この行為に、老人は大いに驚き、そして女性二人はなぜか戸惑った表情をしていた。
老人の驚きは何となく分かるけど、彼女たちは一週間前から無線の存在を知っていたはずなので、いまさら驚くことはないと思ったのだが……。
「……宝が見つかったら、私たち、また働き先を探さないといけないから……私はいいけど、ひょっとしたら桐まで身を売るはめになるかも……」
お梅さんの言葉を聞いて、そういうことか、と納得した。彼女たちは、宝が見つかっても恩賞がでるわけではなく、ただ働き口をなくすだけなのだ。
「……大丈夫、俺がなんとか掛け合ってみる」
その言葉を聞いた瞬間、二人の表情が少し明るくなった。
またやってしまった、と思ったが………やっぱり働き者でかわいい桐ちゃんが男達の手にかかるのは可哀想だ。関わりを持ってしまった以上、見過ごせなかった。
「おぬし、今の声……どこから聞こえてきたのだ?」
忘れてた、老人に無線のこと、説明しなければ。
「これも生まれ故郷で普通に売っている道具で、二里ぐらいまでなら離れている相手と直接会話できる便利な道具だ」
と話した。
「……なるほど……阿東藩に摩訶不思議な『からくり』を使う仙人がいると聞いていたが、おぬしじゃったか……想像よりもずいぶん若いのう」
へえ、俺の事って、こんな「世捨て人」みたいな自称仙人にも知れていたのか。
と、その時、樹海中に響き渡るような大音響の『半鐘の音』が聞こえてきた。
女性二人は、なにが起きたのかと肩を寄せ合い、不安そうな表情を浮かべた。
老人は顔を上げ、その音に聞き入っているようだった。
「……やれやれ、最後の『金板』も見つかってしもうたか。三年はかかると思っておったがのう……おぬしの『仙術』が、それだけ優秀だったということじゃな」
……へっ? なんでこのじいさんが『金板』の事を知っているんだ?
「しかも、公にはなっておらんが、『岸部藩』と『阿東藩』が手を組んでいるらしいな……ここまで順調に事が進むとは……これもおぬしという存在のおかげ、じゃな」
……この老人、なんでここまで話を知っているんだ?
……まさか……。
その物の言い様に、俺は彼が「仕掛け側」の人間だと直感した。そして該当する人物で、現在生き残っている可能性があるのはただ一人。
「五免の弥彦……」
俺がそうつぶやいたのをその老人は聞き逃さず、にやり、と笑みを浮かべた。
「その名を聞くのは、いつ以来か。知ってもらえているということは、嬉しいものじゃな……」
「じゃあ、やっぱりあなたが……」
「まあ、そういうことじゃ。いよいよ最後の金板が見つけられそうと知って、年甲斐もなく興奮して、様子を見に来てしまったというわけじゃ」
さっきまでと違い、緊張が走る。
この人は『伝説の忍』と言われた凄腕のはず。既に老体とはいえ、本気になればたやすく俺の首を跳ねられるのではないか。
「……まあ、そう固くなるはない。さっきも言ったろう? ワシはただ様子を見に来ただけじゃ」
「……あなたは、どうしてこんな回りくどい宝の隠し方をしたんですか? 探索側の人間が、金属板の絵や文字に翻弄されることを楽しんでいた、とか?」
「……半分はそうかもしれんが、実際は別の目的があった。一つが、ある程度人数を集めた探索集団を作らせるため。もう一つが、『岸部藩』と『阿東藩』の協力体制を作りあげるため。そのために、わざわざ両方に『金板』を分散させて、しかも探すのに人手がいるように置いたんじゃ」
「……それだけ聞いてもよく分からないですが……」
「ああ、そうじゃろうのう。だが、本当の『財宝』が見つかったとき、ワシの言った意味が分かるじゃろう。それにしても……これほど宝を巡る争いが少ないとは思わんかったな。まあ、一部でけが人や……あんたのところの屋敷も被害にあったそうじゃのう。気の毒じゃが、最初に血文字で警告しといたはずじゃから、恨むでないぞ」
「それじゃあ……あの血文字も、貴方が書いたんですか?」
「ああ、何かしらの争いは起こるだろうと考えておったからな。ちょっと脅してやることにしただけじゃ」
「じゃあ、あの人骨の山は……」
「それはもっと単純じゃ。近くに古戦場の後があって、大勢白骨が転がっていたから、集めてきて例の血文字の部屋に集めただけじゃ」
……やっぱり虚仮威しだったんだな。
「……想定よりずっと『銀板』や『金板』が集まるのが速かった。そして、その財宝の価値に対して争いも少なかった……なぜそういう結果になっていたのか不思議に思っておったが、おぬしに会って合点がいった。おぬしは、本物の仙人じゃ。三百年後と今を自由に行き来できるというのは、本当のようじゃのう。その仙界の道具を、惜しげもなくこちらの人間に貸し与える。そして宝を独り占めしようとしない。何より、争いを嫌っておる……一番能力をもったおぬしがそうなのじゃ、ワシに言わせればただ利用されているだけの甘ちゃんじゃが、それがいい方向にはたらいたんじゃろう」
……そう語る老人の姿が、少しずつ薄くなっていることに、俺は驚愕を覚えた。
「……ちょっと待ってください、弥彦さん!」
「いや、もうよく分かった。おぬしは善人じゃ。おぬしになら財宝を託す事ができる」
そう言っている間にも、彼の体は徐々に薄く、向こう側の壁の模様がはっきり見えるまでに透けてきた。
催眠術か何かの幻術にかかってしまっているようで……梅と桐の姉妹も、口に手を当てて驚いている。
「弥彦さん、財宝は……財宝は、本当にあるんですか!?」
「……ふふっ……心配せんでも、ある。間違いなく、な……」
――そしてその『伝説の忍』は、小屋の中から完全に姿を消し去ったのだった。





