第六十八話 財宝発見(現代)
阿東湾は、阿東川河口から二キロほど南下した場所に位置する。
幅一キロ半、長さ七キロほどのかなり細長い形状をしており、波は穏やかで、現代ではハマチ、タイ、ヒラメ等の魚類養殖が行われている。
江戸時代で実際に見聞きして分かったことだが、この時代の阿東藩は陸路での交通はかなり不便だった。
東海道に比較的近いのだが、山を二つほど超える必要がある。
磯や、獣道ほどの幅しかない山道を歩かなければならず、荷車を引いて物資を運ぶ、というわけにはいかないのだ。
そのかわり、かなりの海運力を持っていた。
阿東藩の重要な産業として「林業」が挙げられる。
阿東川は比較的大きな川で、しかも上流には上質の杉の木が育っており、切り倒した木材をそのまま「川に流す」だけで、下流まで運ぶことができた。
これらの木材は一旦河口に集積され、大型廻送船で江戸や大阪に運ばれるのだ。
ところがこの時代、船での輸送はかなり天候に左右され、風がありすぎても無さすぎても出航できない。特に荒れた天候の場合は命に関わる。
そこで「阿東湾」には、風待ちをする船が頻繁に出入りしていたという。
しかし如何に湾内の波が穏やかとはいえ、天候が荒れれば大波も出る。係留していない船であれば、沈没したものがあったとしてもおかしくない。
どこの市町村でも一つや二つ、埋蔵金などの伝説が残っているものだが、この地方でも例外ではなかった。
阿東湾で江戸時代中期、大嵐に巻き込まれた数千両を積んだ船が沈んでしまった。
当時の海女達が丸三年かけて探したが、結局見つかっていない――。
そんな言い伝えが、この地方にも実際に残っていたのだ。
そしてそれがかなり真実であることを、俺は知っている。
まあ、言い伝えの方には『お姫様の嫁入りの際の持参金で、彼女も従者と共に海に沈んでしまった』なんていう変な尾ヒレはついているのだが、『海女さんに財宝を探させたが見つかっていない』という部分は、俺が三郎さんに確認した限りは本当だ。
当時、彼女たちには箝口令が敷かれていたはずだが、密かに言い伝えられていたのだろう。
俺が調べ、まとめたこれらの資料は、叔父の知人を介して『その手の専門家』へと伝わり、その具体性もあって、三ヶ月ちょっとという比較的短期間で本格的な調査が開始されることとなった。
三月下旬、沿岸海域調査船『みなみ』は、阿東湾海底の状況を調べていた。
農林水産庁所属の船だが、今回は帝都大学、および全国系列のテレビ局が提携していた。
阿東湾の海底の水質などを調べる目的もあったが、どちらかと言えばそれは後付けで、メインは「沈没船のお宝」発掘だ。
何しろ、帝都大学という日本屈指の名門大学が『種々の歴史資料や伝承を元に調査した結果、海底に金銀財宝が存在する確率が非常に高い』と結論づけたのだから、そりゃテレビ局だって『あわよくば歴史的瞬間に立ち会える』と意気込むのも分かる。
今回の調査船には、農林水産庁職員の他に、叔父の知人である帝都大学の教授、テレビ局のスタッフ、さらには俺でも顔を知っている有名なお笑いタレントコンビ『ダルシアン』まで乗り込んでいた。
ちなみに、少なくとも平成に入ってからの日本では、過去の古文書や伝説、言い伝えを元に埋蔵金等が発見された例は、一度もないという。
調査船には、海上重力計や海上磁力計などの計器、さらにはナローマルチビーム測深機、多素子音響測深機、地層探査装置、電導度水温深度測定装置、超音波流速計、水深測量自動集録処理装置、緩衝式クレーン、投下式水温・塩分計、無人水中観測システム、計量魚探、超音波式多層潮流計、人工衛星データ受信装置、プランクトン計量システムなどなど、名前を聞くだけで頭が痛くなるような各種計測装置が実装されている。
もちろん、いわゆる『金属探知機』も高性能な物が実装されていたし、ダイバーによる細かな調査も実施された。
また、範囲が比較的限定されるため、当初はすぐにお宝が見つかるのではないかと期待された。
しかし、調査は難航した。
まず、阿東湾自体が海水の出入りが少なく、水がやや濁っていること。
また、養殖をずっと続けてきたことにより、海底には泥が積もっていた。
金属探知機に多数の反応があったのだが、空き缶であったり、不法投棄されたゴミであったりと、なかなか本命にたどり着けないのだ。
ある大きめの金属反応を探知し、半日掛けて慎重に掘り出した結果、自転車が上がってきたときには全員の士気が低下した。
数日かかった調査の最終日、もうラチがあかないということで、「海底の泥を大型のポンプで吸い上げ、金属網で濾し取る」というおおざっぱな調査を、環境に配慮しながら、金属反応のあった海底で片っ端から実施したところ、その奇跡は起きた。
ポンプの出口からはき出される、夕日に煌めく数十の黄金色の物体。
全員、えっという表情の後、
「なんだ、あれはっ!」
「止めろ、一旦ポンプ止めろっ」
「は、早く、ちょっと上げてみろっ! カメラ、回していただろうなっ」
と、騒然となる船上。
俺も叔父も関係者ということで、調査本部となっている漁協で船上の様子をライブ中継でモニタリングしており……十数人が集まるその大部屋も、にわかに色めき立った。
クレーンでつり上げられた金属網が、甲板上に降ろされる。
一斉に駆け寄る職員、スタッフ。
そこにあったのは……フジツボの様な貝が付着し、汚れてはいたが……俵型をした、黄金色の、ずっしりとした質量が感じられる金属板。
それが何十枚も……いや、百枚以上、そこに存在したのだ。
「うおおおおぉ!」
「やった! ついに見つけたぞっ!」
「まさかっ……伝説は本当だったかっ!」
大歓声と、拍手。
それは『みなみ』船上だけではなく、ライブ中継されていたこの調査本部でも同様だった。
その大ニュースは、夜のニュースで早速報道された。
この日見つかった小判は、合計三百六十五枚にも上り、この日までの予定だった調査は延長されることとなった。
お笑いコンビ『ダルシアン』が泣きながら喜んでいる様子も放送された。
「たぶん、この経緯をまとめたドキュメンタリーは高視聴率を取るんだろうな」
と、俺と母、妹のアキはニュースを見ながら興奮気味に語り合った。
実際に現代まで小判が残っていたということは、江戸時代でも確実に存在する。
叔父の話では俺が行き来している『三百年前の世界』と『現代』とは平行世界、パラレルワールドであるから、たとえ俺が過去の世界でこれらの財宝を引き上げたとしても、現代で発見された小判が消えてしまうわけではない。なので、その点は安心ではある。
しかし、現代技術を結集させても困難を極めた今回の財宝探索・引き上げ作戦、はたして江戸時代でどうやって実現させればいいのか……。
とりあえず、地形などを元に、今回の発見場所と照らし合わせばほぼ正確な財宝存在位置が特定できる。
水深、水の透明度、泥の深さなどの環境の違い。そして持ち込める探査道具の精度、使い方。何より限られた条件・人手の中での『創意工夫』が必要になる。
それは、これまでの問題のなかでも最も困難に思えた。
しかし、少なくとも三百六十五枚以上もの小判は、確実にそこに存在するのだ。
(絶対に見つけてやる……そして優や、他の女の子達に『凄いっ!』、『さすがっ!』って言ってもらうんだっ!)
俺は決意し、そしてその決意があまりにくだらないことに、自分自身、苦笑した。





