第六十二話 桃源郷
今回は「番外編」で、やや短めの話となります。
三百年前の世界で『最近』という言葉を使うのもおかしな話だが、ともかく最近、『商業関係』の仕事に加え、『漁業関係』の仕事においても漁師や海女さんなど知人が増え、活気づいてきた。
ならば次は『農業』と考えたのだが、あいにく大型のトラクターなどは重量制限に引っかかって運び込めない。
小型の耕耘機ぐらいならギリギリ持ち込めそうだが、燃料やバッテリーをどうするかといった問題があるし、何より俺が農業の知識を持っていない、というのが最大のネックだった。
前田邸の庭でネギとかじゃがいもを家庭菜園の要領で育ててみようかと考えていたのだが……とある小さな神社の春祭りで、露天の店で『福寿草』や『梅』の鉢植えが売られているのを見てピンと来た。
「前田邸の庭で花を育てて、売りに出そう!」
現代の日本では、江戸時代には存在しない鮮やかな花が、ほぼ一年中手に入る。
極端な話、ホームセンターの園芸コーナーで買ってきて、そのまま江戸時代の小売店に卸すだけでもかなりの利益が出そうだが、単に金儲けだけが目的ではなかった。
やや殺風景な前田邸の庭を、明るく華やかに飾りたい……そういう願いもあったのだ。
そして一週間後。
その庭は、『花園』と化した。
ポチがいたずらをするといけないので、段違いの棚を設置してその上に鉢植えを、地面には背の高いプランターを設置したのだが、そのおかげでちょうど目線のやや下方向に鮮やかな色彩の花々が、美しさを競うように咲き誇っている。
パンジー、ビオラ、プリムラ、マーガレット、ユリオプスデージー、アリッサム、ガーデンシクラメン、ヒナギク……。
どれも現代ならばおなじみの花だが、江戸時代においてはこれほど多様な品種が鮮やかに咲き乱れる光景を見ることは、まずできないだろう。
女性陣は大喜び。
特に凜さんは、鼻歌を歌いながら熱心に花の手入れをしてくれる。
武士の娘であったナツは、
「剣の稽古がしにくくなった」
と文句を言いながらも、目に入ってくるその光景に満足し、時折ほのかに漂ってくる花々の香りにうっとりしているようだった。
何頭もの蝶が舞い、それを追いかけてジャンプを繰り返す子犬のポチ、そして一緒になって無邪気に遊ぶユキとハルの双子。
俺と優は、その様子を縁側で、肩をくっつけていつまでも飽きることなく見続けている。
桃源郷だ、と俺は思った。
中国の昔話として語られる桃源郷は桃の花が主役だが、たぶんそれに劣っていない。
なにより、この幸せなシチュエーションが、俺の心に喜びをもたらせてくれた。
ここまで来るのは、決して平坦な道のりではなかった。
当初、女の子達はこの前田邸に『閉じ込められている』立場だったし、俺は日々彼女らを買い取るための資金稼ぎに奔走していた。
やっとそれに成功したと思ったら、今度は現代へ帰れなくなり、そして二日後には反対に江戸時代に来られなくなった。
そのまま三ヶ月、彼女たちと会うことも、連絡を取ることさえできなくなり……なんとかもう一度、往復ができるようになったと思えば、次は妹が行方不明になり、捜索の旅に出るハメに。
そうしてようやく、本当にようやく大きな問題が全て片付き、今、こうやってのんびりと、恋人である優と二人で、この美しく、幸せな光景を眺め続ける事が可能になったのだ。
……しかし、現実は過酷だ。
現代において、俺はまたしても大問題を抱えてしまった。
江戸時代への頻繁な往復に夢中になり、勉強がおろそかになったせいで、数学のテストで赤点を取ってしまったのだ!
これは、現代においては単なる高校生でしかない俺にとって、由々しき事態だ。
なんとか江戸時代と現代のギャップを埋めたいのだが……愚痴を言っても仕方がない。
叔父には、
「このままの成績ならば『ラプター』を返してもらうことになる」
と脅されるし。
そんなことになれば、『前田邸』は俺にとって、本当に幻の『桃源郷』になってしまう!
俺は必死にがんばって勉強し……そして無事、数学の追試を乗り切ることに成功した。
その鬼の如き執念には、妹も感心していた。
さあ、あとは残ったもう一つの大問題、『物理の赤点』をどうにかするだけだっ!(涙)





