第五十三話 責務
宮司代理の『天界の使者』という言葉を聞いて、警備兵や神官達は、身動きがとれなくなっていた。
彼等にとっては、『般若の面』の男は、自分達では太刀打ちできない身のこなしを見せ、奇っ怪な赤い煙、物の怪の如きうめき声を発生させるおぞましい術の使い手だ。
その上『天界の使者』であるならばどのような術を使うやも知れず、もうどうしようもない存在だと考えただろう。
それに、現時点でこの神社のトップである『宮司代理』の命令とあれば、氏子達の手前もあり、従うしかない。
実はこの時点で俺と三郎さんは入れ替わっており、『般若の面』の男はまるっきり格闘術なんて身につけていないのだが、よく似た体格の上に面を被っているからばれないだろう。
一応、三郎さんは俺に似せて変装しているが、ほうほうのていで逃げ出す神官なんか、だれも注目していない。
とりあえずパトランプと警報がうるさいので、リモコンで停止させる。これで『宮司代理』の声が境内に良く通るはずだ。
「……私には見える。もう一人、遷姫を迎えに来た天界よりの使者……すなわち、もう一人の天女がっ!」
宮司代理の視線が、巫女達に囲まれた『遷姫』、つまりアキに向く。
職員や警備兵、神官、そして参拝者たちも、自然とその方向に向けられた。
アキと優は、お互いに目を合わせて頷くと、ゆっくりと立ち上がった。
「おおっ!」とか、「あのお二人が……」とか、「なんと美しい……」とか、あちこちで感嘆のため息が漏れる。
そして二人はゆっくりと歩き始める。
神官や警備兵は慌てて止めようとしたが、
『控えよ、天の意思だっ!』
という宮司代理のよく通る声に圧倒され、何もできない。
門の中央近くまで歩き、まず宮司代理に並んで一礼、そして石段の下、境内中央の俺に対しても同様に一礼する。
俺は頷いてそれに応える。
……彼女たちが、ゆっくりと片方ずつ腕を持ち上げる。
アキは右手、優は左手。
その二つの腕は、手首のやや上のあたりを白いビニールテープでぐるぐる巻きにして連結している。
これは優がこっそり持ち込んでいたもので、叔父のアドバイスにより、二人の腕が簡単には離れないよう、しっかりと固定したのだ。
もう、前回のような失敗は許されない。確実に、時空間移動を行う必要がある。
そしてラプター自体にも改良が施されていた。
面倒な操作を行わずとも、ある「キーワード」を唱えることにより、事前に設定しておいたポイントに瞬間的に移動できる。
そのキーワードも、アキが覚えやすく、唱えやすい、ある短い言葉を選んでいた。
アニメ好きなアキならば絶対に知っているあの言葉……。
二人は、肩の高さまで腕をあげ、一度大きく息を吸い、その言葉を放った。
「「バル○!」」
寸分のずれもなく見事に重なったその一言の直後、優の左手のラプターが一瞬白く輝き、それが眩い光となって二人の全身に広がり、そして風切り音を残して、彼女たちの姿はかき消えた。
「おおっ!」
「奇跡だっ!」
「天女様がお帰りになられた……」
一斉に驚愕、感嘆の声が漏れる。
神官や警備兵達は、ただ呆然と突っ立っているだけだ。
そして二人が同時に消えたことに、お蜜さん、三郎さんまでもが驚いていた。
俺はこの二人に、『ラプター』の最後の核心部分だけを、どうしても話せていなかった。
『江戸時代生まれの優が、時空間移動できる』という事実を……。
この後、数日以内に彼等と再会する段取りとなっている。その時に隠していたことを謝り、真実を全て話そうと心に誓った。
そして衆目の視線は自然と俺に向くが、それはすぐ別の……さっきまで優とアキがいた場所に注がれた。一人の巫女……茜が立ち上がり、声を出したからだ。
「宮司様、お二人の天女は、私にこれをお渡しくださいました!」
彼女は、兄のことを『宮司様』と呼んだ。代理とはいえ、今は彼が唯一の『宮司』なのだ。
茜の手には、二つの真珠の首飾りが握られていた。
俺が大きく声を出す。
「一つは『遷姫』の、そしてもう一つは彼女を迎えに来た天女、『宮姫』のものだ。双方とも、この社にて遷姫が修行させてもらった礼として、そして二人の天女が舞い降りた証として、宮司殿に進呈する」
必死に噛まないよう、なるべく威厳を込めて、俺は言葉を振り絞った。
このセリフにも境内からは感嘆の声が上がったので、成功だったのだろう。
「知らぬ事とはいえ、私の配下の者達が貴方様に対し、大変失礼な事をいたしました」
宮司代理が詫びる。
「いや、我こそ申し訳なかった。事情により、急遽遷姫を呼び戻す必要があった故。天女を守るべく苦心頂いた貴殿等に非礼を詫びるのは我の方だ」
俺の言葉に対し、彼は一礼するのみ。
「……短き間とはいえ、遷姫が人間界で修行できたこと、感謝する。此度の成果、必ず天界で活かされることだろう。わが主にも伝え申しておく。そしてこの『明炎大社』に、永代に渡り加護がもたらされることを約束しよう」
……そう、俺はこの一言を言うためにこの場に残っていた。そして茜の兄も、この言葉を俺から引き出すために、協力してくれていたのだ。
宮司代理は、深々と一礼した。
もうこれで、全ての責務は終わった。
お蜜さんは単なる参拝者だし、三郎さんは、まあなんとか脱出するだろう。
優とアキが、無事『現代』にたどり着いたか、不安はある。
しかし、それもすぐに答えが出る。
俺も優と同じ場所、『現代の自分の部屋』に、ラプターのポイント登録をしていた。
そしてキーワードも、一人で言うのはちょっと恥ずかしいが、あの言葉だ。
「では、我も帰るとしよう。宮司殿、此度の一件、重ねて礼を申す」
そしてゆっくりと左手を肩の高さにまであげ、大声で叫ぶ。
「バ○ス!」
俺は白く眩い光に包まれ、風切り音を残して、『明炎大社』の境内から姿を消した。





