第五十話 真相
「……この部屋は、先程兄と一緒にいた『宮司の間』とは違って、私たちしかいません。ですので、公にはできない話が可能です。ただ、その『むせん』を使うのであれば……」
「……いや、大丈夫。信頼できる仲間にしか、伝わっていないから」
「……そうですか。では、私は、あなたを信用して、真実をお話します」
彼女は一度目を閉じ、深呼吸し、そして再び目を開け、ゆっくりと話し始めた。
「……あの日、年に一度の、いわゆる『神降臨』の儀式が執り行われていました。主立った神官、巫女達が出席する、盛大な儀式……ただ、父は『京』での皇室の行事に参加していたため、今年は初めて兄が主催する式典となりました」
ふんふん、今年は去年までと、少し違う点があったということか。
「しかし、『神様が降臨』すると言っても、その御霊だけが降りてきて……その場に居る巫女に乗り移り、神託を述べる、というのがいつもの流れです」
……なんかインチキくさい。
「今年も、去年までと同様、私がその巫女の役目を果たす予定でした。信じられないかもしれませんが、私の体の中にもう一人、別の人格が本当に出現するのです。ただ……最近では、それは父の『暗示』によるものだったのかもしれないと、ちょっとだけ疑っているのですが……」
……催眠術によるもう一つの人格形成、ってところか。それも、ちょっとすぐには信じられないけど……叔父が喜びそうな話だ。
「そして儀式が最高潮に達し、いよいよ兄が降臨の術式を終えた瞬間……一人の少女が、風切り音と共に、神社の境内に突如出現したのです」
「……それが、『遷姫』、つまりアキか」
「はい。しかも、彼女は見たこともないような服を身に纏い、そして我々では到底準備することのできない大玉の『真珠の首飾り』を身につけていました。一瞬境内は静まりかえりましたが……誰かが、『天女様が現れた』と叫んで……それでみんな大騒ぎとなって……」
「……そのとき、アキは?」
「最初、あたりを見渡し、きょとんと、そして呆然としていました。そこで兄と私が駆け寄っていって……とりあえず、自分達が危害を加えるつもりはないこと、そしてあとでゆっくりと話を聞きたいから、この場は我々に従って欲しい、と告げました」
「……それで、アキの反応は?」
「なぜか、ちょっと嬉しそうに、目を輝かせて、『ここって、ひょっとして江戸時代?』と尋ねてきました……最初、質問の意味がわかりませんでしたが」
……やっぱりアキだ。江戸時代に憧れていたのは確かだし、その江戸時代の人にそんな質問するっていう、ちょっとピントのずれた部分も。
「とりあえず、『神降臨』の儀式はそれで終了となりました。長い『明炎大社』の歴史の中でも、初めて『肉体』を伴った天女の召喚が成された……多くの人はそれを『奇跡』と呼び、絶賛されたのですが……兄や私にとっては、実は大いに戸惑う結果だったのです」
「……じゃあ、本当は『天女』なんか召喚するつもりはなかった?」
「そうです。兄の『霊力』が強すぎたせいかもしれませんが」
……どうやら、アキは「何かの手違い」で召喚されてしまったようだ。
でも、そんな手違い……あり得るのか? それが彼女のいう『霊力』ならば、強大過ぎる。
あるいは、やっぱりただの偶然っていう可能性もあるけど……。
まあ、それは後回しにして、もっと気になったことがあった。
「それで、なんで『記憶を封印』なんて事になったんだ?」
「はい……順を追って説明します。あなたの妹さんには、この神社のことや、執り行われていた儀式について説明し、『天女役』を演じてもらうことになりました。そして、仮の名前を『遷姫』として、最低限の神事を覚えてもらいました。私は、『遷姫』のお世話係に任命されました。……『遷姫』は明るく、優しく、ほがらかで……歳が近い事もあって、私とすぐに仲良くなりました」
「……アキはあんまり人見知りしないからな」
「ええ……それで、『遷姫』の世界の事について、いろいろ教えていただきました。元居た場所が、今から『三百年後』の世界であること、この時代と自由に行き来することのできる『お兄さん』がいること、そして彼には、優しくて美人の恋人がいること……結婚していらっしゃるとは知りませんでしたが」
そりゃそうだ。お寺に夫婦として記帳してもらったのは、アキがいなくなった後の事だから。
無線の先からは、わずかに優のすすり泣く声が聞こえていた。
「ただ、『遷姫』は天女という事になっていましたので……便宜上、三百年後の世界の事を『天界』と呼ぶようにしました。これなら、会話をしていても不自然に感じられないからです」
「なるほど……そこまでは分かったけど……」
「はい……それで、『遷姫』は、『すぐに兄が迎えに来てくれるはずだから、それまでは何かお手伝いします』と言ってくれて、氏子の前で『天女』として境内を歩く、という仕事をこなしていただいていました。ところが……三日経っても四日経っても……彼女のお兄さん、つまりあなたは現れなかった……もちろん、必死に探して頂いていたことは、今では分かっているのですが……」
ずくん、と俺の心は疼いた。
アキらしい少女が江戸にいると把握するだけで、二週間もかかってしまっていたのだ。
「『遷姫』は徐々に元気をなくし、ふさぎ込むようになり……『もう私は一生帰れない』、『お母さんに会いたい』と、夜な夜な泣き伏せるようになりました……」
さらに俺の心がかきむしられる。妹に、そんなつらい目に遭わせていたのか……。
無線の先からは、優の嗚咽が聞こえてきた。彼女にとっても相当つらい話だろう。
「このままでは精神的に持たない……けれども、私たちは彼女を『天界』へ返す術を持たない。そこで兄は、私と『遷姫』に提案をしたのです……一時的に『天界の記憶』を封印して、『帰りたい』という欲求を抑制しよう、と」
「……記憶を……封印……」
「はい……『記憶を消す』では、二度と復活できなく思われかねないので、『封印』という言葉を使いましたが……具体的には、暗示によって『天界のことを思い出せなくする』ようにしただけです。ただ、無理に思い出そうとすると頭痛がする、という欠点がありますが……」
「……なるほど……それであのとき、俺の顔を見て、頭を痛がった……」
「はい……『遷姫』は最初、記憶を操作されることに抵抗を感じていたようですが……自分自身、あまりのつらさに耐えかねたようで……『少しでも楽になるなら』と、その術式を受け入れたのです。『お兄さんが迎えに来たら、封印を解く』という条件付きで……」
「……そういうことか……だったら、問題ない、俺が迎えに来たんだ。こんな回りくどい方法をとらなくても、彼女の記憶を戻して、俺に返してくれればそれでいいのに……」
「はい……私たちも当初、そのつもりでした。ところが、事が大きくなりすぎてしまいました」
「……どういうことだ?」
「『明炎大社の境内に行けば、本物の天女様を見ることができる』……その噂は江戸中、いえ、それを超えて広まっていきました。毎日、大勢の方々が『遷姫』目当てで参拝に訪れます。そんな状況では、『お兄さんが迎えに来たから、すぐに帰してあげよう』というわけにはいかなくなってしまったのです……もちろん、最初の約束と異なりますし、私たちの勝手な理由であることは分かっているのですが、兄でも執行部を制御できなくて……」
「執行部? 制御できない?」
「ええ……兄は一応『宮司代理』ではありますが、まだ歳も若く、基本的には『神事』に関する権限しか持っていません。この神社内にも『権力』と『派閥』があって……人事であったり、財務であったり、警備であったりと、権限が別れています。信者である氏子が『天女の影響』で増えている状況で、『遷姫』を失うわけにはいかない、と、数人の幹部神官から圧力をかけられているのです」
……どことも『組織』っていうものは、面倒なんだな……。
「そんな中、『遷姫』らしき人物を捜している若者が、この江戸を目指して東海道を北上してきていると情報を得ました。そして飛脚によってもたらされた張り紙の、そのあまりに精巧で鮮やかな似顔絵に、私も兄も確信しました……その若者こそ、『遷姫』のお兄さんに違いない、と」
「……そんな事情があったのか。でも、どうして俺に『術』なんかをかけようとしたんだ?」
「はい……さっきも言ったように、現状では拓也様が来られても『すぐにお引き渡しできない』状態でしたが、それを正直に説明して納得していただけるか、分かりませんでした。それに……兄も私も、あなたの事を恐れていました」
「恐れる?」
「はい。私たちにとっては、『三百年の時を自在に行き来できる』、それだけで驚異的な存在です。どんな仙術を使うかも分からない……そこでまず、この『術』によって、『裏切られることのない仲間』になってもらおうと画策した……私も、兄も、臆病なんです……」
自分ではそう思わないが、「訳の分からない術を使う」者は、やっぱり不気味に映るんだろうな……。
「その後の事は、あなたの『仙術』を見極めてから判断するつもりでした。それがあまりに強大であったならば、執行部の神主達に見せつけて怖がらせ、『遷姫』の引き渡しに同意させる。そうでないならば、神主の一員として氏子達に『仙術』を見せ、さらなる信仰心の向上に協力してもらい、いずれ時期を見て、『遷姫』の引き渡しに同意させる方法を考える。……どちらかの方法で天界へ帰ることが確約できなければ、『遷姫』の記憶の封印を解くわけにはいかないんです」
「……俺はその『執行部』とやらのことがよく分からないけど、2番目の方法は悠長すぎるな……かといって、1番目の方法でうまくいく自信もあまりないけど。……でも、今まで全部正直に話してくれたみたいだけど……それで君のお兄さん、困ることにならないのか?」
「ええ……もし私の『術』が通用しなかったなら、包み隠さず全て話して許しを請うように言われましたので……自分を悪者にして構わないから、と。その上でもう一度、改めてお願いしてみるから、とも。ただ、なかなか兄と二人きりで話すことは難しいかもしれませんが……」
阿東藩のお殿様の時も思ったが……権力者っていうのは、こそっと秘密の話をするだけでもいろいろ面倒なんだな。
「あと、これは奥の手だとは言っていましたが……」
「奥の手?」
「はい、いよいよとなれば拓也さんに『遷姫』を『強奪』してもらうのも方法の一つだ、と言っていました。警備は兄の管轄外ですが……万全の準備をしていたのに『強奪』するほどの仙人であったならば、それは仕方がないことだった、で済まされるんではないかって」
「……なるほどな。ちょっと危険だけど、いざとなれば『ラプター』で脱出することはできるし……一考の価値はあるかもしれない。でも、それで……アキを失うことになっても、君のお兄さんは平気なのか?」
「はい、兄も私も、心の奥では『遷姫』を元の世界に帰してあげたいと思っていましたし……それに、実は兄にとっては、『遷姫』はどう扱っていいかわからない存在でもあったのです」
「どう扱っていいか分からない?」
「はい……だって、こう言っては失礼ですが……『遷姫』は何の能力も持たない、ただの女の子なのですから……」
……彼女の最後のセリフに、あの「宮司代理」である青年の本音を見たような気がした。





