第三十六話 天女
アキが行方不明になってから、二週間が過ぎた。
現代において十四歳の少女がそれだけの長期間消息不明であれば、当然のことながら大事件であり、加えてその失踪の舞台が『帝都大学』、さらに『天才』と称される准教授の姪とあって、マスコミも巻き込んだ大騒動となった。
あの日、優を家族に紹介したときの和気藹々(わきあいあい)とした幸せから一転、一家はどん底に突き落とされた。
俺も叔父も警察に事情聴取され……タイムトラベルの件も正直に話したが、相手にされなかった。
さすがに今回は父も帰国したものの、なにができるわけでもない。
母はタイムトラベルの件、半分信じたものの……それが余計に心配を与えてしまい、寝込んでしまっている。
俺もずっと学校を休み、江戸時代と現代を頻繁に往復し、捜索や情報収集を試みたものの、まったく手掛かりが得られず、憔悴する一方だった。
叔父も、今回ばかりは相当参っていた。
俺が話した状況から、アキが存在できるのは現代か三百年前のどちらかでしかない、と断言した。
スマホがつながらないことからして、おそらくは江戸時代のどこかだ。
ただ、タイムトラベルの途中で優と繋いでいた手が離れてしまったとすると、どこに飛ばされたか、全く分からないという。
それが、集落の近くであったのならば、生き延びている可能性はある。
しかし、もし海上や、深い山中に出現してしまっていたならば……。
江戸時代では季節がずれているとはいえ、まだ春は訪れておらず、気温の低い日が続いている。それも懸念材料だ。
もう俺は正直、心身共にボロボロになってしまった。
そんな様子に、優が気づかない訳がない。
問い詰められ、そして正直に話し……彼女は自分のせいだと嘆き、最初数日間は一緒になって懸命に探してくれたものの、一週間がすぎ、ついに寝込んでしまった。
そんな状況でも、捜索をあきらめるわけにはいかない。
阿讃屋、黒田屋、そして藩主様にまで協力をお願いし、懸命に捜索と情報収集をしてもらっているのだが……この時代、いわゆる『神隠し』は珍しいことではなく、時間が経つにつれ、絶望的な状況へと追い込まれつつあった。
そして迎えた十五日目。
この日、啓助さんが『前田邸』を訪れてくれた。
なんでも、いままでで一番有益な情報を得ている、という話だった。
この日、『前田邸』に残っていたのは俺と寝込んでいる優、そして番犬のポチのみ。
その方が都合がいいからと、わざわざ俺がいそうな時間を見計らってくれたという。
優は体調が悪いのを我慢して、啓助さんと俺にお茶を入れてくれた。
「お優さん……だいぶやつれたね。でも、今回の話で、ひょっとしたら君と、そして拓也さんを元気にしてあげられるかもしれない」
啓助さんは真剣で、そして今度の情報には本当に自信があるようだ。
藁をもすがる思いの俺は、優と一緒に、まずその話を聞いてみる事にした。
「うわさ話なんですが……」
その出だしに、正直落胆する。今まで何十回、その続きを聞いて失望したことか。
「半月ほど前、江戸の大きな神社で盛大な神事を行っていたところ、境内に突然若い天女が舞い降りたというのです」
「……天女?」
「はい。そして自分はこの世界の人間ではない、しかし帰る術を失った、と言っているらしいのです」
……たしかに、突然舞い降りた、という言葉には多少期待が持てるし、帰る術を持たない、というのもアキのことならば辻褄は合う。
しかしその手の昔話は、言い伝えでいくらでもあるではないか。それに、いくら突然出現したからと言って、はたして彼女が天女と思われるだろうか。
「その娘が天女と考えられている理由……それは、ある特別な品物を持っていたためです」
「特別な品物?」
「……大粒の真珠が連なった首飾り、という話です」
……。
ガタッ! と大きな音を立てて、俺は勢いよく立ち上がった。
ほぼ同時に、優も同じように立ち上がり、そして慌てて奥の部屋に向かい、彼女にしては珍しく、ドタドタと騒々しく帰ってきた。
その手には、俺が現代の洋服と一緒にプレゼントした、真珠のネックレスが握られていた。
啓助さんはそれを手に取り、驚きの表情で見入っていた。
「……なるほど、これほどの逸品、いくら江戸でもまずあり得ない。こんなものを身につけていたならば、それは評判になることでしょう」
優にプレゼントするためのコーディネートは、アキと一緒に考え、買いに行ったものだ。
この真珠のネックレスもその時に購入し、妹にもねだられ、ニットやキュロットと一緒に買ってあげていた。
五万円近くしたのだが、小判を売って得た資金もあったので、まあいいか、ぐらいに考えていた。
俺と優、アキの三人で叔父を訪ねたあの日、確かに同じファッションで外出し、実の姉妹と間違えられる程だった。
当然、ネックレスも同じように付けていたのだが……この時代では奇異な服装やキュロットの方が目立つと思い、啓助さんなど捜索に協力してくれた人には知らせていなかった。
「そっ、それで、妹は……その天女は、今はどうしているんですかっ?」
「その神社で、巫女として働いているということです……お役に立ちそうですか?」
「もちろんっ! 間違いない、それはアキだっ! よかった、生きてた……」
まだ確定ではないが、俺はもう疑わなかった。
隣の優も同じだった。
お互いに手を取り合い、そして涙を流した。
「……それで拓也さん、どうしますか? 江戸までは、歩きだと十日ほどかかりますが……」
「もちろん、迎えに行きますっ!」
「私もついて行きますっ!」
優は今までがウソのように元気になっている。
「君も? でも、俺一人でも……」
「拓也さん、今のお話聞いて、私が大人しく待っていられるとお思いですか?」
……まあ、今の彼女なら、来るなと言ってもついて来るだろうな……。
啓助さんは顔を緩めながら、それでもたしなめるように言葉を続けた。
「そう言うと思っていました。ただ、それだと問題があります。たぶん、関所を簡単に通してくれないと思います」
「えっ……それはどうして?」
「二人が、まだ夫婦ではないからです」
「……あっ……」
確かに、この時代においても、俺と優は結婚している訳ではなかった。
「気づきましたか? 夫婦でもない二人が、同時に関所を通過しようとしたら……それは咎められるでしょう。お優さんだけの場合も同様です」
「……確かに、あらぬ疑いをかけられる……」
「だったら、私、正式に拓也さんのお嫁さんになりますっ!」
……えっ、と一瞬思ったが、彼女の表情は真剣だ。
今まで、俺と優が約束だけで、正式に夫婦になっていない理由は二つ。
一つは、この時代においても俺がまだ若すぎる、という点。
二つ目が、優が「姉さんやナツちゃんが『妾でいい』と言っているのに、自分だけ正式なお嫁さんになどなれない」と気を使っていた点。
しかし、今はそんなことは言っていられない。早急に通行手形が必要なのだ。
この時代の婚姻は、我々庶民であればお寺の「人別帳」に記載してもらえばそれで正式に成立するし、通行手形も同時に手に入るはずだ。
俺は藩主様に商人として認められた時点でこの地方での戸籍を得ており、身分的にも問題はない。
「分かった。じゃあ、正式に夫婦になろう。そして、アキを助けに行こう!」
俺と優は、強くうなずき合った。
本来であれば幸せの絶頂であるはずの婚姻だが、俺達の場合、事情が違う。
それは新たな試練に挑むための、決意の証でもあった――。





