拓也の回想 その18 ~ 一夜の夫 ~
「嫁って……さっき言ったじゃないか、俺のことが嫌いだって」
「それは以前の話だ。それに、たとえ嫌いだったとしても、それがあの二人の助けになるのだったら、俺は喜んで送り出すつもりだ」
「いやいや、待ってくれ。話が飛躍しすぎている。あの二人がそう言ったわけじゃないんだろう?」
「それはそうだが、それを望んでいるだろう……というか、如月はあんたが手を出さなかったことに傷ついていたぞ」
「……えっ? いや……そういう風習があるっていうのを聞いただけで、直接誘われたわけではなかったはず……」
「風習があると聞いているじゃないか。にもかかわらず手を出していないのだろう?」
「……それは、そうだけど……」
……なんか、俺、悪いことをしたのか?
いや……睦月の言うこともわからないではないけど……。
「如月は俺以上に相手の心が読める。あんたが自分の嫁達に遠慮しているからだということも理解しているだろうし、逆に、自分たちにある程度好意を持ってくれている、とも気づいているだろう」
うっ……睦月はどこまで俺の心を読んでいるのだろうか……。
「けれど、それが男っていう生き物だ。特に、若い男が自分が気に入った女と深い関係になりたいと思うのはごく普通のことだ……だが、あんたはそれが悪いことだと思った。如月もそこまで分かっている。だから、どうしようもないとも。別にあんたは間違っちゃいないし、むしろ世間一般からすれば褒められることかもしれない。けど、奥宇奈谷で育ったあの二人からすれば、自分たちで相手を選べない以上、あんたみたいなまともで若い者がその相手になってくれないことは、やりきれない思いでもあるんだ」
……そう言われると、俺としても心苦しいが……。
「……だからって、いきなり『嫁』はないだろう。すでに六人もいるわけだし」
「六人もいるからだ。二人ぐらい増えたって大してかわらないだろう」
「そういう問題じゃないって」
俺は苦笑しながら答え、さらに言葉を続ける。
「……別に自慢するわけでも、思い上がっているわけでもないけど、実は、そういう話って結構多いんだ。『うちの娘を是非嫁に』とか、『妾でいいから囲って欲しい』とか……親族に言われることもあれば、本人に言われることもある。興味半分に口にする娘もいれば、何年も働いてもらっている女性から言われることもある。中には、いろんな理由で追い詰められている女の子からそう懇願されることもあるんだ……でも、すべてを嫁にすることはできない。全員をそうすることができない以上、なかなか特別扱いすることは難しいんだ」
「……なるほどな。その理由なら理解できる部分はある。あんたは阿東藩では金持ちだし、大商人だし、それなりの地位もある。それにもかかわらず偉ぶらず、真剣に相手のことを考える。誠実でもあり、よく働く。しかもなかなかの男前だ……女達が放っておくわけがない……それでも、俺は、如月達はあんたにとって、特別な存在になっていると思っているがな」
「ははっ、俺のことかいかぶりすぎだ……如月とは、いろいろあったからな……それは認めるよ。けれど、嫁っていうのは……」
「……そうだな。あんたにもいろんなしがらみがあるのは分かった。だったら、本当に嫁にするのは難しかったとしても……せめて、如月と皐月の『一夜だけの夫』になってくれないか?」
「……それにどんな意味があるんだ?」
「あんたも分かっているだろう……男っていうのが、あんな奴らばっかりじゃないっていうことを教えてやって欲しいんだ……いまのままじゃあ、あの二人とも誰の嫁にもなれない。奥宇奈谷にも帰ってこられない。一生、男に怯えて暮らしていくことになるんじゃないかって心配している……あんただって、そうじゃないのか?」
睦月の言葉に、俺は反論できない。
あの二人の心の傷を癒やすことは、並大抵のことではない。
俺にできることがあるなら、それこそ何でもしたいと思うほどに、あの二人、特に如月は俺の中でも親しい間柄になった。
けれど、その「できること」、「なんでも」の中に、俺とそういう関係になることっていうのが入ってくるとは想いもしていなかった。
頭では、彼女たちが慕う男に、一晩優しく接してもらうことが一番の『癒やし』になるのは分かっている。
それに、自分が該当するんじゃないかっていうことも。
しかしそれは同時に、
「単に自分が欲望を満たしたいだけなんじゃないか」
っていう背徳感のようなものが、どうしてもよぎってしまう。
「……阿東藩の仙人は、気に入った女のためならどんな手段を用いても助けようとする。命がけの戦いすら厭わない……そんな噂を聞いていたし、今まで実際に見てきたつもりだったが、変なところで臆病なんだな……」
それが、睦月の挑発であることは分かった。
彼も、挑発と悟られることを前提でそう言葉にしている。
俺が、変な倫理観を持ち出しているために、彼女たちを救う手段を放棄している……それは単に、逃げているだけじゃないのか……そう言われているのだ。
「……皐月はまだ早いが、如月なら……俺がもし癒やすことができるのなら……その手助けはしたいと思う。だが、嫁達に話して筋を通す……どうしてもそれが必要だ」
俺は想いをそう口にした。
「もちろん、それで構わない。俺としては、あんたがその気になって動き始めてくれれば、それで十分だ」
睦月は、そう言って笑顔で俺の胸を軽く叩いた。





