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睦月の回想 その9 ~山賊団の急襲~

 俺たちは、阿東藩の前田拓也達に見送られ、奥宇奈谷への岐路についた。


 数日を経て、川上村の一軒の旅籠に、俺たち三人は泊まった。


 男性一人、女性二人。

 この時代、女性の旅人は珍しい。


 本来なら、この旅籠では男性客に対して、女中である一人の娘が「夜のお相手」の誘いをかけるのだが、俺はその女中「弥生」のいとこであり、顔見知りだ。


 なので、当然そんな誘いをかけることもできず、その分家賃の入りは少なくなる。

 しかし、そもそも全体的に客自体があまり来なくなった近頃では、三人同時に泊まってくれるということは、それだけで宿にとってありがたい上客だった。


 しかも、俺たちは前回も泊まっているし、弥生と顔なじみということは、今後も来る可能性が高い。


 奥宇奈谷の難所を貫く「隧道」ができたという噂もあり、そういう意味では、経営者である老夫婦にとっても、俺たちを常連客としてもてなすことに力を入れた。


 弥生のことは、今では経営者二人ともが家族のように思っている。

 そんな彼女が、俺たちが訪れるとそれだけで弾けるような笑顔を浮かべた。

 その様子も、老夫婦にとっても嬉しく思えたことだろう。


 ――それは、夜更けに起きた。


 雷でも落ちたのかと思うような轟音が、旅籠中に響いた。


「……見つけたぞっ! じじい、有り金全部出せっ!」


 男の野太い声が響く。


「ひっ……ひいいぃー! 私どもは貧乏宿です、貴方様にお渡しできるほどお金など……」


「うるせぇっ! 今日、客が三人も泊まっていることは分かっているんだっ! とっとと出せっ……うん? あれか?」


「……そ、それは……それはお客様からいただいた大事なお代ですっ! それを持って行かれたら、私たちは飯を作ることも……」


「やかましいっ! 命だけは助けてやるって言ってるんだ、よこせっ!」


「ひいいっぃ、ご無体な……」


 そんなやりとりが続く中、俺は二階の客室から早足で降りていった。


「……強盗か。運が悪いな……俺が成敗してやるっ!」


 俺は腰の短刀を抜いた。


「……ちっ……」


 強盗はそう舌打ちすると、大槌で壊した玄関の扉を飛び越えて走り去る。

 俺はまず、隅にいた老婆の様子を見たが、震えて小さくなっているだけで、怪我などはなさそうだった。


 次に老人に言葉をかける。


「怪我はないか?」


「ええ、ありませぬ……危うきところ、ありがとうございます……」


「そんな礼は後だ。金を取られたのか?」


「はい、お客様から頂いた大切なお金を、まるごと……」


「強盗は一人だったか?」


「一人だけでした……」


 俺が外に出てみると、地面に足跡がはっきりと残っていた。

 この夜は月夜。この足跡をたどっていけば、すぐにも追いつけそうに思えた。


「待っていろ。すぐに取り戻してやるっ!」


 奥宇奈谷で小さい頃から裸足で山野を駆け回っていた俺には、ワラジなど必要ない。

 目も良い。

 緩い山道の中、月光に照らし出されるわずかな足跡をたどって、風のように走った。


 たった一人の強盗、それも老人を襲い、金だけ奪って逃げていくような奴など、たかがしれている。戦いになっても確実に勝てる。

 そう考えての追跡だったが、思ったより相手の姿が見えてこない。


 盗賊家業を続けてきただけあって、逃げ足は速い、か……しかし、どこまでそれが続くか……。


 長い時間走り続けることにも自信があった。

 逃げる野ウサギを、延々追いかけ続けた事もある。


 盗賊など、一時逃げられればそれで事足りると思っている愚か者だ。


 自分は盗賊や山賊などにならず、狩人として生きてきた意地があった。

 また、奥宇奈谷の狩人衆頭領として、武術の鍛錬も毎日怠らなかった。

 少なくとも一対一ならば、走り負けることも、戦闘で負けることもないという自負があった。


 ……見つけた!


 ついに、前方に人影を見つけた。

 その男は、逃げ切ったと思ったのか、ゆっくりと歩いていた。


「止まれっ! もう逃げられんぞっ!」


 大きな声を出して相手を威嚇する。

 男は、ビクッと肩を上げ、後方をチラリと見て、慌てて走って逃げ出した。


 ……まだ走れるのか……盗賊にしては鍛えているな……だが、そこまでだっ!


 さらに速度を上げた。


 ……と、前方に、何か違和感を感じた。

 奇妙な、小さな黒い物が複数落ちている……。


 ぞわっと背筋に走る冷たい物を感じて、踏ん張るようにして急停止した。

 目をこらして、よく地面を見てみる。


 ……これは、オニビシの実……マキビシかっ!


 その正体に気付き、歯ぎしりする。

 あの男は、裸足で追いかけてくる俺に対して、足を痛めさせようとトゲの付いた堅い実をばらまいていたのだ。


 ふざけた真似を……


 舌打ちし、マキビシを避けて再び追跡を開始しようとしたとき、先ほどより遙かに大きい寒気を感じた。


 今居るところは山中の、森を貫くように細く山道が続いている地形だ。

 周囲には大小さまざまな木々が生い茂っていたのだが、そのうちの一つ、杉の大木の影から放たれる強烈な殺気を感じたのだ。


「さすがだな、ハグレ……お前のような有能な者を殺さねばならないとは、残念で仕方が無い。いや、まだ間に合うか……どうだ、俺の下に付かないか?」


 大杉の後ろから現れたのは、太刀を抜いた一人の大柄な青年だった。


「なっ……シナド、なぜお前が……」


 嫌な汗が噴き出すのを感じながら、俺は短刀を構え直した。


「我ら『山黒爺』は、奥宇奈谷と一戦交えることにしたんだ。便利な隧道ができたらしいしな。俺たちが制圧して、縄張りとして守ってやるよ。おまえが降参して、俺たちの配下になれば話が少しは早くなる」


 そう言って右手を挙げると、彼の後方、複数の木の陰から、数人の刀を構えた山賊たちが現れた。

 後ろを振り返ると、その方向にも二、三人が姿を現した。


「……ふざけるなっ! 殺すぞっ!」


 俺は敵意をむき出しにする。


「……やはり無駄か。まあ、分かっていたことだが……ならば仕方が無い、ここで死ね」


 シナドは、さらに急激に殺気を高め始めた。


「……チッ!」


 多勢に無勢、状況は不利だと思ったが、この集団の頭であるシナドさえ倒せばあとは雑魚ばかりのはずだ。

 余裕を見せて、配下の者たちを後方に残していたことがお前の失敗だ……とばかりに、短刀を構えて猛然とシナドに突っ込む。


 彼が持っていたのは、ただの短刀ではない。

 名工・河部南雲が鍛えた剣鉈だった。


 その重い刀身は、相手が太刀で受けたならば、それを破壊することができる。

 そのまま勢いで押し倒し、トドメを刺して、他の者たちが動揺する間にその場を離脱する……そんな作戦を立てていた。


 しかし、シナドは俺の剣鉈による攻撃を、太刀で受けなかった。

 わずかに体を逸らして躱したのだ……うっすらと、笑みすら浮かべて。


「……なかなかいい剣だ。それほどでもない速さのわりに、風音が大きかった。さすが奥宇奈谷の刀だ。使いこなせないおまえにはもったいない」


 その一言に、カッと頭に血が上るのが感じられた。

 しかし、その一方で、ゾクゾクと継続して寒気も感じていた。


 あの全力の打ち込みをこともなげに躱して、余裕で憎まれ口を叩く。

 その気になれば、自分もあっさり殺せていたのではないか――。


「まず戦の手始めとして、あの宿に泊まっているお前の妹たちを、俺がいたぶってやるよ」


 再び頭に血が上る。

 勢いに任せて、連続で剣鉈を振り回す。

 他の者なら二、三回で腕が上がらなくなるほどの重いそれを、十連撃で繰り出す。

 しかしそれら全てを、シナドはまるで予測しているかのように、ひらり、ひらりと躱していく。 


 ……こいつ、化け物だ……。


 シナドに関しては、以前から知ってはいた。

 その大柄な体から、豪快な剣術使いの印象を持っていた。

 しかしその柔軟な体躯、そしてあざやかな身のこなし。

 重い剣鉈を使っているとはいえ、これほど躱されるものか……。


 ならば、と構えを変えた。

 自身の体の近い位置に、剣鉈を構える。

 捨て身の突撃。渾身の突きで相手を捉える。

 剣鉈を避けられたとしても、体当たりで体勢を崩し、そこを追撃する……。


 そんな作戦を実行しようとしたとき、再び強烈な寒気を感じて、その場を後方に飛び退いた。

 直後、シナドの持っていた長い太刀が、睦月の首があった場所をなぎ払った。


 再び対峙。

 しかし、どちらが優勢かは明らかだ。

 睦月の頬を、冷たい汗が伝った。


「……よく躱した。さすが、と言っておこう……俺の手下の中にも、お前ほどの者はそういない……だが、おまえでは俺に勝つことはできぬ……」


 太刀を構え直したシナドが、ニヤリと笑った。

 それでも、俺は果敢に突撃する……と見せかけ、シナドの太刀が届く距離になる前に、急に進行方向を右に変え、そのままその場を後にする。


 その方向には誰もいない……が、少し走っただけで崖になっている。

 だからこそ、シナドもそこに手下を置いていない……そう考えていた。


 睦月は、崖に達するほんの少し手前、ギリギリのところを駆け抜けるつもりだった。

 足には自信がある。

 急いで旅籠に戻り、如月と皐月を逃がさなければならない――それを優先した。


 地の利を最大限に利用する……狩人としての基本、だった。

 しかし、今回の相手は獣ではなかった。

 シナドたちは、わざとその方向を手薄にしていたのだ。


 崖のギリギリの地点で、ぐらり、と睦月の体が揺れた。

 足下が崩れる。

 わざと崩れやすくしていたその場所を、自然に草が生えているように偽装していた。


「くっ!」


 慌てて体勢を整えようとした俺だったが、全力でその場まで駆け寄っていたので、そのまま勢いよく崖を滑り落ちてしまう。


 断崖絶壁、というわけではないが、それでも岩がむき出しの地形を、あちこち打ち付けながら転げるように落下していった。


 ――どれぐらい意識を失っていただろうか。


 目を覚ましたときには、月の位置が大分変わっていた。


 起き上がろうとしたが、足をひねったのか、激痛でまともに立つこともできない。

 他にも数カ所、打ち身で痛みを感じ、少し体を動かしては、またその場に倒れ込んだ。

 目を凝らし、耳をすますと、すぐ側に小川が流れているのが分かった。


 ……一番下まで転げ落ちたか……よく生きているな……。


 自分自身の悪運の強さに、自虐的に笑みを浮かべる。

 しかし、ふっと如月と皐月のことが頭をよぎり、歯を食いしばって体を起こした。


 そして旅籠がある方向を見たとき……その空が赤く染まり、月明かりの中でも黒煙が立ち上っている様子が目に入り……俺は、大きく吠えた――。 

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「身売りっ娘」書影
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