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拓也の回想 その1 ~ (続)奥宇奈谷姉妹の阿東藩見物 ~

 湯屋に入って、別人のように綺麗になった如月と皐月。

 睦月も、さっきまでの粗暴な若者の印象が消え、かなりの男前になった。


 外に出てみると、清潔な浴衣と相まって、この阿東藩の町中においても輝いて見える。

 まだ昼前、本来であれば湯上がりには少し早い時間帯だが(実際に湯屋は空いていた)、午前中で閉める店もあるので、珍しいわけでもない。


 昼飯は、さっきうな丼を食べたばかりでまだ大丈夫だとのことだったので、まず先に、蚕小屋を見てもらうことにした。


 薫の時もそうだったが、今や阿東藩、特に俺が手がける事業を紹介するにあたって、養蚕事業は真っ先に紹介すべき事柄だ。

 それは商売として大事な収入源であることはもちろんなのだが、それ以外に、この事業が大きく雇用を生み出しているという背景もある。


 今のところ、桑畑を奥宇奈谷に展開するつもりはない。

 しかし、製糸作業には女性の人手が多く使われている。

 ここを見せる意味の一つに、もし奥宇奈谷を出ることがあったなら、女性でも、こんなふうに働ける場所があるということを示したかった。


 如月と皐月は、その生糸の美しさに感動し、そして女性でもこれだけ仕事があることに驚いていた。

 松丸藩から出稼ぎに来ている女性もいることを説明する。

 すると、二人にはここである疑問が浮んだようだ。

 出稼ぎに来た女性達は、一体どこに住んでいるのか……。


 と、ここで如月は気づいたようだった。

 そう、そのための「女子寮」なのだ。


「それでようやく分かりました……なるほど、女子寮って言うのは、女の子達を閉じ込める、怪しい建物じゃあなかったんですね……」


 皐月が、安心したようにそう言った。

 如月と違い、俺の心を読むことができない彼女は、それがゆえに「女子寮」のことを疑っていたようだ。


 そして蚕小屋や製糸作業の様子を見て、みんな忙しい中でも明るく、楽しそうに仕事をしていたことに、皐月は目を輝かせていた。


 ただ、如月は、自分には向いていないかもしれない、と言っていた。

 自分は、ずっと巫女として神様にお祈りしたり、農業を手伝ったりという仕事をしてきており、これほどテキパキと、時間に追われるような作業はできないだろう、と話した。


 それは、決して巫女の仕事や農業が楽、という意味ではない。

 巫女として、いろんな神事を礼儀正しくこなしていく必要がある。要請があれば、断ることはできない。


 また、農業の場合、基本的に休みの日などない。

 天候、気温などによって、畑の世話の方法を変えていかなければならないのだ。


 そう考えるならば、時間に追われて忙しく働かなければならないかわりに、定期的に休みがある製糸作業は、向き、不向きがあるのかもしれない。


 まあ、それならば、鰻料理の「前田屋」や「前田美海店」、「前田妙薬店」で店員として働くこともできる。


 ……と、気がつけば薫の時と同様に、阿東藩でできる仕事を紹介していた。

 やっぱりどこかで、彼女たちを奥宇奈谷から出してあげたい、という気持ちが、無意識にあったのだろう。


 そしてそれは多分、例の「しきたり」で、見ず知らずの人と一夜を共にしなければならないという如月や皐月の「定め」に対する反発、というか、その誰かに対する嫉妬なのかもしれない。

 そういう俺の心を、如月は読んだようだ。


「……拓也さんの事業の紹介と言いながら、いろいろ仕事を紹介していただいて、ありがとうございます。でも……やっぱり私は、奥宇奈谷から出る気にはならないです。あの村で、しきたりに従って生きていく……それが私には一番、合っているように思いますから」


 にこやかにそう微笑む彼女。

 それを見ると、決して村に対する義理とかで、自分の人生を決めてしまおうとしているわけではないと感じられた。


 彼女は、心から奥宇奈谷を好み、そして愛着を持っている――。

 ならば、俺が介入することではない。


 皐月は、阿東藩のさまざまな職種に興味を持っていたようだが……如月の動かぬ決意を見ると、逆に皐月に対して、変な憧れを持たせてしまったのではないかと不安になった。 


 養蚕施設からの帰り道も、睦月を加えた四人で、彼女たちの今後について、そして今回の見学の成果についても歩きながら話し合った。


 兄妹三人が一様に口にしたのは、「驚いた」という言葉だった。


「……まあ、そうだろうな。阿東藩は確実に他の藩より進んでいる部分はある。特に養蚕に関しては、俺もかなり頑張ったんだ。仙界の技や道具を使ったから、ある意味ずるいのかもしれないけど……」


「……いや、俺たちが驚いたのは、阿東藩の凄さというより、あんたの凄さに対して、だ」


 睦月が、半分呆れたように声に出した。


「俺の……凄さ?」 


「ああ……あんた、一体何人雇っているんだ?」


「何人……えっと、直接女子寮に住んでもらっている人たちだけなら二十人足らずだよ。あと、雇っているって訳じゃないけど、嫁が六人だな」


「鰻料理の板前はどうなんだ?」


「ああ、良平か。彼は住み込みで働いてもらっているわけじゃないから……まあ、雇っているっていうことになるのかな? いや、でものれん分けみたいな感じだから……」


「それに、桑畑から桑の葉を持ってきている者達もいただろう?」


「あの人達は契約して畑の世話をしてもらっているだけだよ。雇っている人になるかといわれれば、微妙だな」


「湯屋の番台もそうなのじゃないのか?」


「そういえば、そうなるのかな?」


 俺がそう応えると、なぜか睦月はため息をついた。


「……ようは、あんたから労働に対して定期的に銭をもらっている人たちだよ。問屋とか、行商人とか、そういうのは別にして、だ」


「……うーん、そう言われたら、どうなんだろう? 百人は超えていないかな?」


 全員、顔は思い浮かぶが、俺が雇っていることになるかどうかは微妙なところだ。


「それだけの人数……その家族も含めたら、もっと凄いこと……何百人にもなるだろう。あんた一人が倒れただけで、それだけの人数が路頭に迷うことになる」


「……いや、それは大げさだ。農家の人たちだって、別に桑を売らなかったって、本来の仕事である農業があるわけなんだから」


「そうかもしれないが……あんたがそれだけの人数の長となっていることが凄い、と俺は思ったんだ。しかも、あんたはそれだけの権力を持ちながら、威張ることなく、町人達からも慕われているようだ。如月も、皐月も同じ思いだろう?」


 めずらしく睦月が俺を褒め、姉妹に同意を求める。


「……正直、こんな凄い人だとは思ってませんでした。松丸藩のお役人様の代理だと言ってたので……まあ、あんな隧道を通してしまう時点で、本物の仙人様だとは思ってましたけど」


 皐月がそんなふうに、俺のことを持ち上げてくれる。


「本当に、その通りです……にもかかわらず、拓也さんはご自身をそんなふうに思っていない……町の人たちは、拓也さんのことを、阿東藩のお殿様と同じか、それ以上に感じているみたいですよ」


 人の心が読める如月も、そう言ってくれた。


「如月が言うのだからそうなのかな……でも、そうだったとしても、それは俺が持ち込む仙界の便利な道具を使った結果だよ。俺はなんにも凄くない」


「……そうでしょうか……拓也さん自身が慕われているからだと……ほら、今も拓也さんのこと、家族の皆さんが総出でお迎えじゃないですか!」


 気がついたら、もう俺たちは前田屋のすぐ近くまで来ていた。

 時刻はすでに夕刻。

「前田美海店」は夜の部まで少しの準備時間。


 如月が指さす方向には、俺の六人の嫁と、そして娘の舞が俺たちを出迎えてくれていた。


 その夜は、ナツが気を利かせて、「前田美海店」を貸し切りにしてくれていた。

 松丸藩から「阿東藩の視察」ということで来ている如月達を、存分にもてなさなければならない、という大義の下、盛大な宴会となったのだ。


 俺の奥宇奈谷での活躍の様子が、やや大げさに、如月や皐月から語られる。

 そして彼女たち、この阿東藩での俺の凄さを知ったと、さらに持ち上げてくれる。

 それに嫁達も気をよくして、自分たち、気が合うと盛り上がる。


 一方、その騒々しさからは離れていた睦月だったが、こちらは部屋の隅で、源ノ助さんと剣術についてなにやら熱心に話し込んでいた。


 二人とも、一流の剣術使いだ。

 特に源ノ助さんは、奥宇奈谷に伝わる伝統の武術について興味があるところだろう。


 そして皆が、ナツが指示して、女子寮の女の子達が作り上げる料理に舌鼓を打つ。

 そのナツも、後半は後輩達に任せて、宴の輪に加わった。


 こうして、奥宇奈谷の三人をもてなす宴は、楽しく、盛況の内に幕を閉じた。

 翌朝、如月と皐月は、俺たちが恐縮するほど礼を言い、そして睦月も、覚えたばかりの武士らしい礼儀正しさで頭を下げた。


 もてなした方の俺たちも、気持ちよく、奥宇奈谷に帰ってく三人を見送ることができたのだった。

 後で凜や涼に聞いてみると、嫁達は全員、特に少し天然だが素直な如月のことを気に入ったようだった。


 ただ、二人は彼女のことを、少し懸念していた。


 素直すぎるということと、あと一つ、おそらくだが、彼女は本当の意味での挫折を知らないのではないか、と。


 そしてその懸念は、思わぬ形で現実のものとなるのだった。

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「身売りっ娘」書影
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