睦月の回想 その7 ~家出娘と妹達の関係~
前田拓也と二人だけで話がしたい、と言いながら、刀鍛冶の南雲さんも一緒に来たのだが、それは別に構わない。妹たちや長老に聞かれたくないだけだ。
大きな木の側で、周囲に誰もいないことを確認して、俺は話し始めた。
「……実は、俺たちには、いとこに当たる娘がいる。今は近くの村に住んでいるんだが……そいつは、この奥宇奈谷の生活に嫌気がさして、ここを飛び出したんだ。その娘にも、妹たちを会わそうと思っている」
「ああ、そういえばそんな娘がいるっていう話だったな……結局、近くの村に住んでいるのか。だったら奥宇奈谷に帰ってくればいいのに」
「いや……そいつにも意地があるんだろう。それに今、その娘は奥宇奈谷に帰れない事情というか、後ろめたさがあるようだ……彼女は今、自分の身を売って、生きる糧を得ているんだ」
「……そうなのか……まあ、なんのあてもなく村を飛び出して、一人で生きていこうとしても、世間はそう甘くはないな……身を売って、か。そういえば、ここに来る途中の川上村でも、そんな娘がいたな」
前田拓也の言葉に、俺は少なからず驚いた。
「川上村、だと? その娘の名は?」
「……まさか、あの娘がそうなのか?」
奴も、気づいたようだった。
「……拓也殿、その娘の名は?」
南雲さんが、真剣な顔つきで返答を迫った。
「俺が川上村で出会った娘の名は、『弥生』だ」
やはり……そうだったかと、俺は暗い気持ちになった。
「……弥生と会っていたのか……」
「ああ、会った。会ったし、宿にも泊まった。けど、彼女に手を出したわけじゃない」
「……宿に泊まったのに手を出していない? 弥生に対して金を出さなかったということか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……金は出したけど、手は出さなかった」
その言い分に、妙な違和感を覚えた。
南雲さんも怪訝な表情を浮かべている。
前田拓也はさらに説明を続けた。
「前から言っているように、俺には嫁も子供もいる。だから、彼女たちに断りもなく、他の女性とそういう事をするのは俺の中の道義に反するんだ。とはいえ、弥生と一晩を共にする約束をしてしまった。だから俺は、彼女に一晩かけて、奥宇奈谷のことをいろいろ詳しく教えてもらったんだ。この村の不利益にならない範囲で……十分、元は取れたと思っているよ」
「……そんなことがあるのか? 身を売った娘と一晩を共にして、何も手を出さないなど……」
にわかには信じられなかったが……。
「ハグレ、あんたはある程度ウソが見抜けるんだろう? だったら分かるんじゃないのか?」
その言葉に、俺は奴の目の奥をのぞき込んだ。
「……確かに、ウソはついていないな……驚いた。まだ男を知らぬ如月ならともかく、弥生にまでそうだとは……ここまで潔癖というか、義理堅い人間がいるものなんだな……いや、仙人様だったか」
「そんな大層なものじゃないさ。自分の嫁達にされたくないことを自分もしないっていう、単なる自己満足だよ」
「なるほどな……それで、弥生のことは、如月達に話したのか?」
「いや……そもそも、弥生が如月のいとこっていうことを知ったのも、ついさっきだったし。それに、村の外に出て、そういう仕事をしている者がいるっていうことも、あまり話すべきじゃないと思った」
「……ふむ。拓也殿は、そういう点……つまり、女性に対する扱いに、とても気を遣っているように見受けられる。俺からすれば、かなり甘いと言わざるをえないが……まあ、奥宇奈谷の外から来た者だし、そもそも仙人とはそういうものなのかもしれぬな。だが、奥宇奈谷外の男がすべてそうだと、如月や皐月が誤解しても困る。これから少しの期間とはいえ、その二人は村の外に出るのだ。その認識は植え付けておいた方が良いだろう」
南雲さんは、相変わらず表情をあまり変えずにそう言った。
俺は、ここで自分の考えを二人に打ち明けた。
「そうだな……いや、それについては、俺に考えがある。さっきも言ったように、あの二人を、弥生に会わそうと思っている」
「弥生に……如月と、皐月を? 彼女の今の身の上を把握した上で?」
驚いた奴の声は、少し大きくなっていた。
「そうだ。自由を求めて村の外に出た者の末路……と言っては多少、言い過ぎかもしれないが、あの二人には現実を見てもらった方がいいだろう。なんの当てもなく村の外に出ても、幸せになれるものではない。この先、村内がつまらなく思えたり、嫌な思いをすることがあるかもしれない。それこそ、この村独特のしきたりがそうであるように。しかし、それでも、少なくともこの村には助けてくれる者、手を貸してくれる者がいる。それがどれほど生きていく上で重要なのか……そのことを理解させるいい機会だ」
「ふむ……睦月、おまえ、この二年足らずの間にずいぶん大人になったな。以前は無茶を重ねるだけのガキだったが。村に戻れなかったこの期間が、いい薬になったか」
「……やめてくれ、南雲さん……まあ、確かにあんたの言うように前の俺はガキだったかもしれないが、これでも狩人衆を束ねてきたんだ。あいつらに聞かれたらしめしがつかない」
「ふっ……一端に首領気取りか。いや、今のお前なら、まあその資格はあるか。この期間、一人も欠けることなく狩人衆をまとめたんだ。認めてやるよ、さすがはあの長老の孫、そして孟夏の息子だ」
ここで既に死んでしまった親父の名前が出てくるとは思わなかった。
ここまでの話を聞いて、今の弥生の仕事を如月や皐月に話すのは、いろんな意味で酷なことのようにも思えたが、しかしそれは、少なくとも如月や皐月には有益になるだろう、という事には、奴も同意した。
弥生は嫌がるかもしれない、と心配していたが、俺は彼女と何度も会っていて、了承は得ている。
彼女も、いとこである如月、皐月には、自分のようになって欲しくないと思っていた。そして、もし会うことがあったなら、自分の口から、いろんな事を直接話したいと言っていた、とも。
前田拓也は俺と南雲さんの話に理解を示し、そして三人で何事もなかったように如月、皐月の元に戻った。
俺たちが、なにかとても真剣で、大事な話をしたことは、少なくとも如月は悟ったようだ。それが、自分たちに大きく関係することだろう、ということも。
しかし、その詳細までは把握できない。俺と同じく、「ある程度心を読める」如月の限界だ。
そしてそれについて、彼女も何事もなかったかのように笑顔を浮かべていた。
それから数日後。
前田拓也によれば、まだ隧道の出入り口の扉など、完全には完成していない箇所もあるのだが、特に待ちきれない様子だった皐月の意向もあり、少し早めに村外への旅へと出発することになった。
俺と如月、皐月の三人に、狩人衆数名が護衛として同行する。
もちろん、狩人衆は全員男なので、年頃の娘である如月と皐月が数日間護衛されるのは、本来であれば眉をひそめるものなのだが、その頭領は実の兄である俺だ。
また、武装した狩人衆数人が護衛ということで、盗賊対策も万全だ。
ちなみに、前田拓也はまだ隧道の整備が完成していないこともあり、村に残るという。
しかしある意味、奴がこの旅に同行しないことは、村の者には(奴と如月との関係で)いらぬ心配をかけぬと言う意味で朗報だったかもしれない。
ただ、前田拓也は「瞬間移動」という仙術を持っているので、先回りされるらしいのだが……それを知っているのはごくわずかな者だけだ。
こうして、表向きは「松丸藩主へのお礼と挨拶」ということで、俺たち兄妹の三人、および狩人衆は、隧道の出口にて、大勢の村人達に笑顔で見送られながら旅立った。
それから、四日後の早朝。
俺たちと前田拓也は、松丸藩の城下町で再会した。
本当に仙術で先回りしていやがった……。
「拓也さん、ご無沙汰です! ……って、たった四日会っていないだけなのですが……この間、本当にいろんな事があったのですよ!」
目を輝かせてそう話す、如月。
皐月も、その隣で同じように明るい表情で、奴に挨拶していた。
俺も狩人衆も、一応笑顔で挨拶を交わす。
隧道を共に掘った仲間でもあり、気心も知れている。
俺たちはこの城下町も何度か訪れていたので、如月や皐月達に比べれば幾分慣れていた。
予定ではもう一日早く着くはずだったのだが、そもそも整備されていない山道を歩くということ自体、あまり経験の無い娘二人がいたので、特に最初の頃はなかなか思うように進まなかった。
それでも、二人とも弱音を吐かず、険しい道を歩き通した。
自分たちに割り当てられた荷物も、他の人に持ってもらうことなく運んでいた。
そんな如月と皐月だが、道を行き交う人の数に、かなり驚いているようだった。
この町にたどり着いたのは、前日、日が沈んでからかなり時間が過ぎており、暗くなってきていたので、人通りはそれほどでもなかったのだ。それが、一夜明けて旅籠から出た途端にこれだけの人混みであふれている状況に、圧倒されたのだろう。
そして妹達は、せっかくなので、前田拓也の案内で、この松丸藩城下町を見物することになった。
 





