第295話 狩人衆
ポチは、リードが外れた後も走り続けて、武器を持つ男達の手前で果敢に吠え続けていた。
その男達も、ポチの迫力に押されたのか、少し戸惑い、尻込みしているような印象だ。
ポチは決して大型犬ではないのだが、けなげに役割を果たそうとしてくれている。
ただ、女性に対しては吠えないので、見知らぬ男達に警戒心を抱いているだけなのかもしれないが、それはそれで役に立ってくれている。
「ポチ、もういいから帰って来るんだ!」
俺がそう指示すると、素直に尻尾を振りながら俺の元に帰ってきた。
……ひょっとして、果敢だったのは単なるポーズで、俺がすぐに帰還指示を出すと予測していたのだろうか?
すると、そんな様子を見た山賊? の内の一人が、
「ほう……なかなかよくしつけられた犬だな……」
と、褒めてくれた。
「ああ、俺にとっては大事な相棒だよ」
そう返事をすると、その男……二十代前半、俺より少し年上ぐらいの、がっしりとした体つき、精悍な顔立ちの男が近づいてきた。
背丈も、俺より少し大きい。この時代では、かなり大柄な体格だろう。
身に纏っている服装は、他の十数人の男達と同じく、毛皮の半袖のものだ。
といっても、現代の様な洗練された毛皮ではなく、まるで獣から剥いでそのままのような、薄汚れた感じすらする粗末なものだった。
「……貴様、一体何者なんだ? そんな犬っころ一匹連れただけでこんな山奥まで来て、そんな奇妙な格好をして、おまけに背中に変なものを背負いやがって……まさか、それで道に迷った、などと言うつもりはないだろうな」
今の俺は、服装こそこの時代の旅装束だが、初夏と言うこともあって軽装だ。こんな山奥に来るには、かなり装備不足だ。
しかも足下は、ワラジではなく登山靴。背中に背負っているのは、現代のリュックだ。
「ああ、別に迷った訳じゃあない。俺は商人だ。商売のためにここまで来たし、もっと奥へ行くつもりだ」
「……もっと奥、だと? こっから先は、奥宇奈谷ぐらいしかないぞ」
「その奥宇奈谷へ向かうんだ」
「……正気か? あの村への道は崩落しているんだぞ」
「もちろん、知ってるさ。俺はその村の救済のためにも向かっているんだ。まあ、まずは様子見ってところだけど……だから金なんかたいして持ってない。俺を襲ってもたいした利益ないぞ」
「いや、俺たちは別におまえから物品を奪おうと思ってきたわけじゃねえ。俺たちは狩人衆だ。得体の知れない不審な奴が入り込んできたから、様子を見に来ただけだ。おまえこそが、『山黒爺』の一員じゃねえのか?」
「……『山黒爺』? なんだそれ?」
「……知らねえならそれでいい。それにしても……やっぱり、解せねえ。たった一人で、山賊が出るかもしれねえこんな山奥に、それも犬一匹だけ連れてくるとは……しかも、俺たちに取り囲まれても、まるっきり動揺してねえ……普通なら、腰が抜けて座り込むか、わめき散らして逃げようとするかなんだがな……さっきの『奥宇奈谷の救済』の話もあったし……ひょっとして、藩の役人か?」
腰が抜けたり、逃げ出したりしないのは、ラプターでいつでも緊急脱出できるからなのだが、もちろんそんな事は口に出さないし、言っても理解されないだろう。
「いや……正確には、その藩の役人に雇われた商人だ。それに、松丸藩の者っていうわけでもない。俺は阿東藩から来たんだ」
実のところ、松丸藩の地理や歴史なんかについては、あまり詳しく知らない。ここは本当のことを言って反応を見ようと思ったのだが……。
「阿東藩だと……まさか貴様、あの前田拓也か?」
彼のその一言に、正体を言い当てられた俺よりも、彼の周囲の仲間たちが動揺しているようだった。
「ああ、その通り。阿東藩の前田拓也だ」
堂々と名乗ると、再び彼の周囲がざわついた。
「……なるほど、噂には聞いていたが、変わった男だ……外見はとても若く、優男に見えるが、奇妙な仙術を使って、百艘からなる大海賊団を一人で壊滅に追いやった。仙界にも自由に行き来することができ、今やその権力は阿東藩主を凌ぐという……半信半疑だったが、今、目の前のおまえが前田拓也、というならば、『訳の分からぬ奴』という意味で合点がいく」
褒められているのか、けなされているのか分からないが、前田拓也だとは信じてくれたようだ。
それにしても、俺の噂って、他藩の、しかもこんな山奥にも広まっているんだな……。
「まあ、かなり尾ひれがついているようだけどな」
自虐気味に苦笑いを浮かべながら、俺はそう答えた。
「いや……たいした奴だというのは分かる。これだけの人数に囲まれて平然としているのだからな……しかも、そんな軽装で、たった一人でここまで来ること自体、常人じゃ考えられない。よっぽどの阿呆か、肝っ玉の据わった奴っていうことだ。だったら、まあ、さっきの言葉も信じられない訳ではないな」
「さっきの言葉?」
「ああ。奥宇奈谷の救済、だ」
「それなら、本当にそうするつもりだ。実際に現地に行って、どんな様子なのかこの目で見てみないと実現できるか分からないけどな」
「……なるほど、仙人でもできないことはあるって事だな。まあ、その方が信用できるわな……ま、いいだろう、ここを通ってもいいぜ」
彼が一言そう声に出すと、周囲がさらにざわついた。
「ハグレ、いいのか?」
男のすぐ隣に待機していた、同じような容姿の別の男が、彼にそう尋ねた。
「ああ……嘘をついているようには見えねえし、どうせたった一人じゃあ大したことはできないだろう」
「だが、さっき言ってたじゃないか。阿東藩の仙人かもしれねえって」
「それが本当なら、やり合えば逆に俺たちの方がやられるかもしれねえんだよ。どのみち、ここは俺たちが引いた方がいいさ……まあ、護衛と道案内が必要って言うなら、協力してやってもいいが……」
「いや、不要だ」
「だろうな……いきなり現れた俺たちが信用されるわけねえもんな!」
ハグレと呼ばれたその男は、そう言って豪快に笑った。
「……あと、これは忠告だ。あんたさっき、樵たちの山小屋に寄ったんだろう? あの連中は、おそらく山賊衆『山黒爺』とつるんでいる。ほら、あの狼煙を見てみろ。カモが来たっていう合図だぜ」
ハグレの指さす方向を見ると、確かに狼煙のようなものが二本、樵たちの山小屋があった付近から上がっていた。
「まさか……いや、あり得るか……」
「……仙人でも見抜けなかったか。まあ、確証があるわけじゃねえし、そもそも、この半月ほどはこのあたりに『山黒爺』は出没していねえがな……ただ、あの狼煙が上がった後は、そういう被害が出ることがあるってことだ。気をつけるこったな」
ハグレの忠告に頷いて、俺は彼らの包囲から解放され、また旅を続けたのだった。
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前田拓也が犬を連れて去って行くのを、ハグレたち狩人衆は見守っていた。
「いいのか? 確かに前田拓也は凄え仙術を使って、阿東藩を次々と災厄から救ったって言う話だが……無類の女好き、っていう噂もあるんだろう?」
その男の問いに、ハグレは
「それは知っている。けど、そもそも道が開けなければ、如月達は生死の把握さえ掴めねえままだ」
と、素っ気なく答えた。
「それはそうだが……おまえの妹たちは、みんな器量良しだ。あいつのいいようにされちまうんじゃねえのか?」
「さあな。そうなったとしても、弥生と違って、そういうしきたりに従うって村に残っていたのはあいつらだ。俺がどうこう言うことでもねえ」
「そうか……そうだな。けど、あいつ、信用できるのか?」
「どうかな……ただ、噂では、何人も嫁や妾にしているが、酷い扱いをされているわけではないらしいじゃねえか。それに、直接会って話して分かった。あの顔つきは、いくつもの修羅場をくぐってきた者のそれで、なおかつ役人の使いにしてはマシな目をしていた……ここは俺のカンを信じてくれ」
「……まあ、頭のおまえがそう言うなら、俺らはそれに従うだけだがな」
その男は、ハグレの背中を軽く叩いた。
それに対し、彼は、不敵な笑みを返した――。





