第262話 幽霊の正体
「……うぐっ……ち……父上、突然何を言い出すんだ! 勝手に俺を人の嫁にしないでくれっ!」
薰がむせながら父親である海留さんに抗議している。
よほど慌てたのか、口調が男に戻っていた。
「うん? お前は女になると決めたのだろう? だったら、もう年頃なんだから、嫁に行くのは当然だろうが」
「ま、まだ早いっ! それに、なんで拓也さんのところなんだ? さっき言ったじゃないか、もう拓也さんには何人も嫁がいるって!」
「ああ、聞いた。何人も嫁が居るんだったら、もう一人ぐらい増えたって問題ないだろう? それとも、拓也殿のところは嫌なのか?」
「……ち、違う、そういうんじゃ無くて……大体、拓也さんが俺なんか相手にするわけないだろう? この前まで男だったんだぞ!」
「そんなこと、拓也殿に聞いてみないとわからないだろう。どうだ、拓也殿。男っぽい嫁っていうのも、一人ぐらい貰ってやってもいいんじゃないか?」
海留さんがご機嫌でそんなことを言ってくる。
「い、いえ、急にそのようなことを言われても、はい、そうですかと受けるわけにはいきません。薰さんが自分で言っていたように、まだそんなことを考えるには早いのではないかと思います」
「……はははっ、そうか。そうだよな。じゃあ、今のは、『このまま薰を拓也殿のところに奉公させて、いつか互いに気に入ったら』ぐらいに考えてくれないか? ちょっと順序が逆になってしまったが、俺としては、薰を拓也殿のところに預けたいんだ。ま、それはもう、徹爺や登から聞いていたかもしれないが」
「……ま、まあ、嫁云々は別にして、薰さんをウチで預かるのはできますよ。本当に素直で良い子だと思いますし」
ようやく話が想定していたところまで戻ってきた。
「そ、そうだ……そうです! うん、この阿東藩で、俺は……いや、私はやり直そうって決めたんだ。一生懸命働くから……拓也さん、お願いです、私をここで働かせてくださいっ!」
薰は、真面目そうな表情でそう言って手を突き、頭を下げた。
「……ああ、さっき言ったように、薰なら歓迎するよ。こちらこそ、よろしくお願いします」
俺は、海留さんと、そして薰にも頭を下げた。
「拓也殿、俺の方こそ、よろしく頼む……薰、良かったな。お前みたいな奴でも、働かせてくれるってよ。これで心配事が一つ減ったな」
海留さんは、上機嫌で盃の酒を飲み干しながらそう話す。
「心配事? やっぱり、俺……私を船に乗せているのは心配だった?」
「ああ……別に、おまえが足手まといとか、そういう話じゃなくて……自分じゃ分かっていないかもしれないが、最近お前にも、色気ってものが出てきたんだ。そうなると、他の船員の士気にも関わるし、やっぱり、親としちゃあ『間違い』が起きないか心配だったんだ」
「色気……私が?」
「そうだ。例えば……美樹の命日に、襦袢姿で船上に出ただろう? あれをこっそり覗いている奴がいやがった。後で殴り飛ばしておいてやったから懲りただろうが、お前も男共に興味を持たれる年頃になってたってことだ」
「……の、覗き? あれだけ誰も見ないって約束していたのに……」
薰は真っ赤になっていた。
「……ちょ、ちょっと待った。襦袢姿って……それ、薰だったのか?」
話が意外な方向へ進んでいたので、俺は割って入った。
「……拓也殿、その様子だと、知っているようだな……」
「ええ、俺の知り合いの若い漁師が、『黒い幽霊船の上で、たった一人でたたずむ美しい女の幽霊を見た』って騒いでいたので……」
「漁師……あ、あれ、やっぱり見られてたのか……」
薰は、さらに頬を赤らめていた。
「ああ。見とれすぎて、海に落ちたって言う話だったけど……なんでまた、そんなことを……」
「……そうだな。拓也殿には言っておくか……おっと、酒がもう切れたようだ。もう重要な話は終わったし、すまないが、また宴に戻っても構わないか? 今の話、酒の肴にしようじゃないか。俺もその、海に落ちたっていう漁師のこと、聞きたいしな」
海留さんのその一言で、源ノ助さんが俺の嫁達を呼んで、また宴会モードへと突入。
俺は、茂吉さんが「幽霊を見た」と大騒ぎして、付き合っている彼女に呆れられた話をすると、海留さんは大爆笑、薰は終始赤くなって下を向いていた。
「いや、それはその若者には申し訳なかった。あの日は、実は薰の母親の命日だったんだ。それで、薰も年頃になったことだし、もう女に戻そうと決めていたから、形見の襦袢を着せて甲板に立って、成長した姿を見せてやれ、ということになった。まあ、薰は最初、嫌がっていたが、やっぱり母親のことが忘れられていなかったんだろう。船員には誰にも見せないっていう条件で、やっとそれをやったんだ……そしたら、慌てて帰って来て、何処かの漁師に見られたって喚いていたがな」
「なっ……べ、別に喚いてなんかいない! ちょっと驚いただけだ!」
薰はそう反論する。
「いずれにしても、彼女がすごく綺麗だったから、茂吉さんも見とれたっていうことでしょうね……でも、どうして襦袢だけで、長着(着物)は着なかったの?」
いつの間にか、話に入り込んできた凜が、海留さんに酌をしつつ、薰にそう尋ねた。
それに答えたのは、海留さんだった。
「そいつは、俺のせいだ。俺が、美樹……薰の母親の形見として、それしか船に乗せていなかったからな……あいつが一番、気に入っていたっていうのもあるし、いつか薰に渡したい、って言っていた品でもあるんだ。まあ、薰に着物が似合うかどうかは分からないがな……」
「あら、海留様は、彼女が着物を着ているところ、見たことないんですね……すごく可愛らしいのに……あっ、そういえば、このお店にも、一着だけ、絹でできた着物がありましたよね?」
凜がそう持ちかけてくる。
「ああ、接待用に、特別に見本として取り置いた奴だけど……」
「それ、今から彼女に、着てもらえないかしら?」
凜は、ポン、と手を叩いて、そう提案した。





