第259話 薰の本音
「俺……いや、私は、女に戻りたいと思いつつも、すごく不安だった。だって、少なくとも松丸藩では、お城の中の姫様ならともかく、女は家に居て、掃除や洗濯、飯炊き、食事の準備とか、裁縫とか、そういうのをするのが普通で、義務でもあったから。でも、私はそれができない。だって、教えられてこなかったから……」
薰は、悲しげにそう語る。
「『黒鯱』に乗っている間はそれでも良かった。でも、いきなり父上から『お前は船を降りろ』と言われたとき、どんなに愕然としたことか……だけど、それがこの阿東藩で、良かったと思う。父上は、ちゃんと考えてくれていた。拓也さんに、いろんなところで、いろんな仕事で、女の人が楽しそうに働いているのを見て、俺でも……私でも、やっていけるんじゃないかって希望が持てた。だから……お願いだ、私をこの阿東藩に置いて欲しい!」
薰が、初めて本音を語った……そんな気がした。
お蜜さんも、優も、大きく頷いている。
そして、俺も嬉しかった。
今まで、阿東藩の女性達の為に改革を推し進めていたことが、他藩から来た人達に評価されたような気がした。
ましてや、薰のような若い娘に、ここに住みたい、置いて欲しいと言われると……。
「なるほど……それであんなに真剣に、阿東藩の女性の仕事を見ていたんだな。俺がやっている事業に参加したいって言ってくれるなら本当に嬉しいし、今まで見てきて、薰ならできるって思っているよ。海女の仕事なら、もっとできそうだ。ただ……事は簡単にはいかない。そうなんですよね?」
俺は、徹さん、登さん親子に再び視線を戻した。
「そうですな……薰の本当の父親、『黒鯱』の当主である、海留の意向を確認せねばならない。俺の兄で、豪快な男だ。話が分からない男ではないが、頑固なところもある。この場で話したこと、薰の意思……それらを、文にしたためて、兄に送ろうと思う」
「なるほど、分かりました。その手紙を運ぶのは、行商としてこの阿東藩に潜入している、喜八という男ですね?」
「……やれやれ、拓也殿には全てお見通しというわけですな。あの優秀な男が正体がばれているのであれば仕方がない。拓也殿には見て見ぬ振りをしてもらうよう、お願いするしかありませんな」
徹さんは、もはやあきらめ顔だ。
そう、俺達は、この三人がどうやって黒鯱と連絡を取っているか把握した上で、あえて放置していたのだ。
情報戦は、俺達の完勝だった。
そして数日が過ぎた。
『黒鯱』側から、意外な返答が帰ってきた。
最強の海賊船であるその船の当主、『海留』自ら、阿東藩を訪問し、俺に会いたいと言ってきたのだ。
しかし、その行為は危険を伴う。
会談の内容によっては、『黒鯱』側と、もめる可能性がある。
かといって、過剰に仲良くなりすぎると、幕府から認められるはずのない『軍艦』、あるいは『最強の海賊』と懇意になったとして、お咎めを受ける可能性があるのだ。
ただ、うまく立ち回れば、悩まされている海賊団の襲撃を防ぐことができるようになる。
ここはなんとしても、交渉をうまくまとめなければならない。
どちらにせよ、これからの阿東藩にとって、決して小さくない影響を与えるであろう今回の会談。俺は、三郎さんやお蜜さん、さらには阿東藩主とも、事前に十分話を煮詰めた。
そして俺にとっては、それと同じぐらい、薰の今後の処遇が気になっていたのだった。





