第247話 駆け引き
三人とも、この絹の反物に見入っていた。
「し、しかし……これほど見事な絹の反物が、なぜこの小屋に……」
薰の父親の登さんは、まだ興奮している様子だ。
この部屋は、確かに生糸を生産しているが、機織り機は存在していなかった。それなのに反物があることは、普通に考えればつじつまが合わない。
「それは、見本として置いているものなんです。普段は倉庫に鍵をかけて保管しているのですが、たまに工員に見せて、『みんなが紡いだ糸が集まって、こんなに綺麗な反物になるんだよ』っていうのを説明したくて。それで少しでもやる気を出してくれるなら、俺としてもありがたい話なんです。もちろん、蚕の世話をしている人達にも見てもらっています」
「……なるほど……けど、こんな立派な反物がこんな……と言っちゃ失礼だが、拓也さん、あんたのとこの従業員達だけでできているとしたら……ひょっとしてあんた、すげえ大人物なんじゃないのか?」
「えっと……まあ、一応商人ではありますけど……」
登さんの評価に、俺はそんな風に応えるしかできない。
「……拓也殿、ワシらは誤解しておった。松丸藩で聞いていた噂……大仙人にして大商人、というから、相当威厳のある、豪腕の、何十人も従者を従えたお偉い方じゃと思っておった。ところが、実際の拓也殿を見て……こういっちゃなんじゃが、拍子抜けしておった。どこかの大きな店の番頭の方が威厳があるんじゃないか、と。しかし……今日、一緒に拓也殿が運営する店や施設を回って、また改めて考えが変わった……あんたは、なんとも自然体で、腰の低い好青年のままで、他の藩で大商人と呼ばれる者達よりもよっぽど大きな事を成し遂げている……このような方がおるもんじゃのう。目からウロコが落ちる思いじゃ」
徹さんは、満足げに頷きながらそう語った。
「……いえ、俺はそんな、ただやりたいようにやっていたら、いつの間にかこれだけ大げさになっていたっていうだけで……」
「いや、ワシには分かる。そんな風に、自然に振る舞うだけでこれだけの従者ができる。これこそが人の上に立つ者の素質という奴じゃ。まるであやつのようじゃ……」
「……あやつ?」
「……いや、ワシの知り合いに、拓也殿と同じように自然と人を引き寄せる者がおってな。そやつも、そこそこの集団の長をやっておる」
薰の祖父である徹さんが、真剣な眼差しでそう話しかけてきた。
これは、駆け引きだ。
向こうは、自分達が『試されて』いることに気付いている。
俺達が『自分達はこれだけの商業組織を持っている』と、ある意味見せつけていることに気付いている。
ということは、つまり彼等が『情報収集の為にこの地に来た』ということに、俺達が気付いている、さらにそのことに気付いている。
「……へえ、そんな人がいるんだ……そうですね、それは是非、会ってみたい」
俺が微笑みながらそう言うと、徹さんも、登さんも、ニヤリ、と笑みを浮かべた。
俺が『興味がある』と示し、向こうも『その舞台を調える用意がある』という合図だ。
このやりとりに気付いているのは、俺と三郎さん、さらに『くの一』のお蜜さん。そして向こうは徹さんと登さん。
お梅さんは、表情を引き締めているから、何らかの駆け引きが行われていることに感づいているようだが、その真意にまで気付けているかは不明だ。
他の従業員達は、きょとんとしているから、場の雰囲気が変わった、ぐらいにしか思っていないだろう。
薰は……果たしてどうなのだろうか。
「……ただ、ちょっと分からない事があるんだ……」
その薰が切り出した。さらに緊迫した空気が辺りを包む。
「あの食堂といい、この蚕の小屋といい……働いている人はみんな楽しそうで、拓也さんを心から慕っているように見える。女子寮でも拓也さんの話題ばっかりだったし、ここで働いている人も含めて、拓也さんに憧れている人がいるって聞いた。確かに、いろんな仕事を営んでいる大商人で、お金を持っているのは分かるし、そこそこ男前で気さくに話せる人っていうのも分かるんだけど、それでもその……拓也さんの、どこがそんなに良いんだ?」
……一瞬、場に静寂が訪れた。
そして次の瞬間、主に小屋で働いている従業員や、お梅さん、お蜜さんなどの案内役の女性から、爆笑が湧き起こった。
 





