第237話 美形
俺は衝撃の事実を十分には理解できないまま、呆然と座り込んでいた。
広間には、卓を挟んで、彼女の父親の登さんと祖父の徹さんが座っている。
今の時間、門下生達は道場で稽古しているので、ここには俺達しかいない。
しばらく沈黙が続いたが、重苦しい雰囲気の中、徹さんが口を開いた。
「……あの娘は、可哀想な子なんですじゃ。あれの母親は、それほど体が強くはなかった。そしてあの子を産んだときに、大変な難産でしてな。まあ、それでもあの子は元気に産まれたし、母親も一月で歩けるぐらいには回復した。けれど、それ以降は子供ができず、あの子が五つのときに死んでしもうた。けれど、まだその事が十分に理解できる歳でもない。毎日、母親はどこへ行ってしまったのかと泣いて過ごす日々でした」
数え年で五つということは、満年齢で言えば三歳か四歳だ。死を受け入れられる歳ではないだろう。
「そんなあの子を見て、登は、『こいつは強く育てる。息子として育てる!』と言い始めたのですじゃ。貧しい我々のことです。子供といえども、何か手伝いぐらいはできるようにならねば家族のお荷物になる。母親がいなくなった以上、甘えて育てる訳にはいかない……そう言っていましたが、もう一つ、登は、息子が欲しかったというのが本音だったんですじゃ」
祖父の徹さんは、遠い目をしながらそう語った。
次に、登さんが口を開いた。
「……確かに、今思えば可哀想なことをしたのかもしれない。男の子と同じような格好をさせて、海に連れ出し、貝や海草を集めさせることから始めた。すると、意外にもあいつは、それを喜んだ。打ち寄せる波に目を輝かせて、母親のことを忘れるように、一生懸命言いつけを守って手伝いをした。それは、俺がかつて夢見た、息子と二人で漁をするという望みを、叶えてくれるものと思ったし、だんだんと男勝りな性格に育つにつれ、男か女かなんて関係無い、このまま漁師としての仕事を続けてくれるに違いない……そう思っていた。実際、素潜りも、銛付きも、一番だった。けれど、一昨年ぐらいから、周りの同年代の子供達とは明らかに差がつき始めた……」
登さんがため息混じりに話したときに、ガタリと音がして、用意していた男物の浴衣を着た薰が、広間への引き戸を開けた。
そして俺と目が会い、顔を赤らめて、そのまま引き戸を閉めた。
「……こら、薰。失礼だろうが。拓也殿は別に、怒ってなどないぞ」
「……怒ってない?」
引き戸の向こうから、疑問形で返事が返ってきた。
「俺達がおまえの事、息子って紹介していたもんだから、拓也殿がそうじゃないと知って怒ってるんじゃないかって心配しているんだろう? 俺達がちゃんと説明した。漁師として舟に乗せるために、男の格好をさせて、男と同じように働かせていたって。女を船に乗せていたって言えば、知らない土地じゃあどんな目に遭うかわからないからって、それもこれから話そうとしてたところだ。拓也殿だって、お前や俺や、お爺に悪気があった訳じゃないって分かってくれてる」
「……そ、そうか? う、うん、それならいいんだ。ははっ、俺の取り越し苦労だったな」
彼……いや、彼女は乾いた笑い声をあげると、再び引き戸を開けて、引きつった笑顔で入ってきて、そのまま徹さんの隣に、どすんとあぐらをかいて座った。
その様子に、登さんも、徹さんも、苦笑いを浮かべながら、俺に目配せをした。
これは、要するに、彼女に対する気遣いだ。
薰は、裸を見られてしまった、女とばれてしまったという気まずさと、恥ずかしさを持っていたはずだ。そこで二人は一計を案じ、
「お前が気にしなくても、拓也殿は何とも思っちゃいない」
というふうに、問題をすり替えたのだ。
そう言われると、俺が照れるのはまずい。
「裸を見てしまって申し訳ない」
などと謝るのは、もっての他だ。
そもそもこの時代、女性は男性に裸を見られることの意識は現代よりはるかに低く、せいぜい、「水着姿を見られた」ぐらいの認識でしかなかった。現に、江戸での湯屋は混浴だ。
なので、俺もごく普通に、改めて薰の顔を見た。
顔の汚れが取れ、古いながらも綺麗に洗っていた(しかし男物の)浴衣を着たその顔は、日に焼けていることもあって、確かに男といっても通じる顔つきだった。
しかし、女と言われればかなり綺麗に見えるから不思議で……ようするに、中性的な雰囲気を醸し出す、別の言い方をすれば少年と見ても、少女と見ても、相当な美形だったのだ。





