第二十一話 セリの結末
旧暦の九月十四日、夕刻。
近くに手頃な広場がなかったため、五人の少女のセリは、『前田邸』からも見ることのできる河原で行われることとなった。
比較的高額の取引になる事が想定されるため、公平を期す目的で、藩の役人が三人も立会人となる、物々しいセリとなった。
身売り人である『阿讃屋』からは四人、『黒田屋』からは、主人である黒田貫太郎を含む五人が参加している。
啓助さんの姿は、無かった。
あとは、関係者としては俺と、用心棒の源ノ助さんだけだ。
遠巻きに野次馬もいる。
彼女たちをこんな場所に晒すのは気が引けたが、身売りされる娘に対して人権尊重の配慮がなされる時代ではなかった。
ただ、参加している商人や武士のあまりの物々しさに、野次馬の中で顔が認識できるほど近づく者はいなかった。
女の子たちは全員緊張の面持ちで立っている。
しかし、前回河原で見たときと異なり、ある程度覚悟が出来ているというか、落ち着いた印象を受けた。
日はかなり傾いており、夕焼けで西の空が美しい茜色に染まっていた。
「……それではこれより、ここにいる五人の娘たちのセリを執り行う。最低価格は一人百両。入札する場合、現在の価格より五両以上高い金額を上乗せすること。誰も入札しなかった場合、『阿讃屋』に戻されることとする」
立会人である藩の役人から、細かな注意がなされた。
(啓助さん、間に合わなかったか……)
最後の望みが、絶たれた。
「それでは、まず一人目。お雪、十四歳。百両での入札、希望者はおりませぬか?」
ここでの十四歳は数え年なので、満年齢では十三歳。
入札を仕切っているのは、阿讃屋の番頭さんだ。
もちろん、俺は顔を知っているし、黒田屋にしても顔なじみだろう。
そして俺は、手を上げた。
「はい、前田拓也様、百両っ! さあ、黒田様。いかがですか?」
しばらく反応を待つ。
しかし黒田屋の主人は椅子に腰掛けたまま、ピクリとも動かなかった。
百両は、相場より相当高いのだ。
「……はい、それでは、前田様、ご落札ですっ!」
ユキは、ぱっと笑顔になり……そして走って来て、俺に抱きついた。
俺は軽く頭をなでてやり、そして邪魔にならないよう、そっと脇の方で座っているように指示した。
「では、次に、お春、十四歳。百両での入札、希望者はおりませぬか?」
もちろん、これにも俺は手を上げる。
相変わらず、黒田屋の主人は興味を示さなかった。
「……はい、それでは、前田拓也様、連続でご落札ですっ!」
ユキと同じように、ハルも小走りにやってくる。
「ご主人様ぁ……」と小さく声を出して、半分泣きながら、そして俺に抱きついた。
ちょっとした笑いが起こる。
阿讃屋のみならず、黒田屋の者までもが笑顔だった。
とりあえず、妹二人が俺に買い取られたことに、ナツは安堵の笑みを浮かべ、そして俺に一礼した。
「では次に、お夏、十六歳。百両での入札、希望者はおりませぬか?」
俺は、ゆっくりと手を上げた。
ナツは、驚きで目を見開いていた。何か叫ぼうとして、あたりを見渡し、自重した。
そして下を向いて、涙をこぼし始めた。
「さあ、黒田様。いかがですか?」
番頭さんの問いかけにも、あいかわらず興味を示さないようだった。
「……はい、それでは、前田拓也様、三人目のご落札ですっ!」
ナツはとぼとぼと俺の元にやって来る。
一瞬だけ立ち止まり、
「……バカッ……私なんか買い取るなんて……」
と小さく不満を口にして、そして双子の妹達の元へ歩いた。
ユキとハルは、泣きながらナツに抱きついた。
その光景に、源ノ助さんはもらい泣きしていた。
次は、年齢順では優のはずだが、先に凜さんが呼ばれた。
そもそもこの入札の順番は、黒田屋の意向が反映されていた。
たとえば、優が入札の先頭だった場合、その時点では資金に余裕のある俺がムキになって競合し、値段がつり上がってしまうかもしれない。
そこで優を一番最後にして、他の娘達を先に落札させることで俺の資金力を奪う算段だ。
老獪で、そして自分が持つ権限を最大に利用した作戦だった。
「では次に、お凜、十九歳。百両での入札、希望者はおりませぬか?」
俺がおもむろに手を上げる。
そして黒田の主人を、警戒の目で見つめる。
凜さんに対しては、ひょっとしたらいくらかは値をつり上げて来るかもしれない、と考えていたからだ。
しかし、それは杞憂だった。
事前の情報通り、まったくその意思はないようだった。
「……はい、ありがとうございます前田様、四人目のご落札ですっ!」
おそらく、ここまでの展開、阿讃屋や黒田屋にとっては事前の予想通り、というところだろう。
お凜さんはゆっくりと俺の方に歩いてきて、深く一礼して脇へと向かった。
彼女は、俺が優を買い取れないことを知っている。
だから……一礼だけで、その複雑な思いを俺に示した。
「それでは最後に、お優、十七歳。百両での入札、希望者はおりませぬか?」
もちろん、俺が先に手を上げる。
「はい、前田様、ありがとうございます。黒田様、いかがいたしますか?」
「二百両!」
この日、初めて黒田貫太郎が声を上げた。
いきなりの倍額提示に、三人の役人から「おおっ」と声が漏れた。
「二百十両!」
俺は粘る。
「二百三十両!」
黒田屋も応戦。
ナツやハル、ユキが祈っているのがちらりと見えた。
「二百五十両!」
俺の一言に、阿讃屋、黒田屋からも感嘆の声が出た。
両者とも、二百両少々が俺の限界、と思っていたのだろう。
俺は最後まであがき、かけずり回り、なんとか余分に五十両、稼ぐことに成功していたのだ。
しかしその努力も、黒田屋の一言に打ち消された。
「三百両!」
役人からさらなる驚きの声が上がった。
完全に、俺の戦意を喪失させる金額。
どうあがいても、決して手の届かぬ金額、三百両。
ついにその値段が、提示されてしまった。
黒田屋の、完全勝利。
たとえ他の四人を買い取ったとしても、優一人奪われただけで、俺の敗北だった。
「さあ、前田様、もう一声、ありませぬか?」
俺は、言葉を出す事ができない。
黒田屋の主人が、してやったり、と笑みを浮かべる。
優は、目を閉じ、顔を下に向け……そして涙をこぼし始めた。
彼女はこの後、俺の方にではなく、黒田屋の主人のもとに歩いて行かねばならない。
そしてもう、俺の腕の中には、永遠に帰ってこない……。
「……ないようですね。それでは――」
「なんだ、あれはっ!」
番頭さんの言葉を、源ノ助さんの大声が遮った。
全員、ぎょっとして彼の指さす方向を見た。
土煙を上げて、堤防沿いに何かがこちらに向かっている。
「早馬だ、こっちに向かっておるぞっ!」
源ノ助さんのやや大げさな叫びで、セリが一時中断した。
そして早馬はこの河原に降りてきた。このセリ自体に用があるようだ。
「伝令、伝令!」
立派な正装の侍が、馬から下りて懐からなにやら証文のようなものを取り出した。
このお侍様、どこかで見たことがあると思ったら、あのお殿様と一緒にいた護衛のうちの一人だった。名前は思い出せないが。
「阿東藩主、郷多部元康様のお言葉だ。前田拓也殿、おるだろう?」
「はい、私です」
ちょっと緊張しながら、俺は前に出た。
心当たりは、ある。
「よし、確認した。確かに前田拓也殿だ。では、お言葉を読み上げる」
全員、何事かと緊迫した様子で呆然と見つめている。
「一つ、商人・前田拓也に、阿東藩との直接取引の特権を与える」
「おおおっ!」、「まさかっ!」とざわめきが漏れる。
藩との直接取引となれば、それは阿讃屋や黒田屋と同格の最上位の特権だ。
「一つ、持ち込んだ白珠一千玉を、計一千両で買い受ける……以上だ」
「……一千両っ! ばかなっ……」
黒田屋の主人が驚きの声を上げる。
阿讃屋、黒田屋の使用人、そして役人もざわついている。
ただ、娘達だけがぽかんとその様子を眺めていた。
「拓也殿……間に合いましたか?」
俺にだけ聞こえるように、そのお侍様は小声で話しかけてきた。
「はい、間一髪、間に合いました」
俺の言葉に、お侍様は満面の笑みを浮かべた。
よく見ると、息が荒く、汗をかいている。相当急いで来たのだろう。
「一千両とは……一体、何をお売りになったのですか?」
阿讃屋の番頭さんも、興味津々だ。
「……これですよ」
俺は小さく、白く、それでいて虹色の輝きを放つ一粒の玉を、懐から取り出した。
「……これは、まさかっ!」
「そう、『白珠』……一般に言われる『真珠』です」
「……しかし、こんなに大きく、美しい真珠、初めて見ましたっ!」
「そうです。この時代、真珠は天然でごく希に、偶然でしか見つけることの出来ない、とても貴重な宝石です。しかし、俺がいる時代では、こんなに大きい真珠が、比較的容易に手に入るんです……もちろん、この世界に持ち込むことは、俺しかできません」
そこにいる一同に、その真珠を近づけて見せた。
驚きで目を見張る黒田屋の主人にも……そして呆然と立っていた優にも。
「優、月夜に光る君の涙が、この存在に気づかせてくれた。真珠は、『月のしずく』とも、『人魚の涙』とも言われていたんだ」
優は、小さく頷いた。
――それは、時間との戦いだった。
俺は十三日の深夜に小判十枚を持って現代に戻った。
そして帝都大学准教授である叔父をたたき起こし、三百年前の緊急事態を説明した。
叔父にも、事前に身売りっ娘の事は説明し、理解してもらっていた。
翌日、朝一番でお得意さんとなっていた大きな貴金属店に駆け込んで小判を売却、即その店で一粒一万円程度の真珠を千粒余り、買い付けたのだ。
通常であればかなり時間のかかる取引だが、今までもその店では何枚か小判を売却していたし、何より帝都大学准教授という肩書きの信用は絶大で、すぐに商品を渡してくれた。
そしてそれを江戸時代に持ち込んだとき、もう昼が近かった。
今度は、千粒の真珠を売却しなければならない。
普通の商取引では、時間がかかりすぎる。
しかし、あのお殿様ならば。
「藩の専売品となり得るもの」を求めていたお殿様ならば。
まだこの時代、流通方法が確立していない真珠でも、その価値を見いだし、即決してくれるのではないか……。
そして俺は、啓助さんにすべて託した。
今日の夕刻、少女達のセリが行われることも含めて話し、何とかお殿様に購入を検討していただけるよう、算段してもらうことにしたのだ。
もちろん、それが如何に無謀な事であるか、想像に難くない。
しかし、切れ者である啓助さんならば何とかしてくれるのではないか……そう期待していたのだ。
そして結果はこの通り、お殿様は一千両もの高額で、早馬まで出して、買い取りを証明する書状を届けてくれたのだ。
「私の役目は、もう終わった。前田拓也殿、確かに藩主様のご意向、伝えましたぞ!」
書状を俺に渡し、そのお侍、「尾張六右衛門」様は、颯爽と帰っていった。
……ざわつきが治まらないセリの会場。まだ、戦いは終わっていない。
「番頭さん、セリを続けましょう……俺は優に、三百五十両支払いますっ!」
俺の声に、番頭さんは思い出したように顔を上げた。
「そうでした……前田様、三百五十両っ!」
再び、おおっという歓声が漏れた。
黒田屋の主人は顔をゆがめ、手を上げるかどうか悩んでいるようだったが……。
「黒田様……さきほど受け取った書状で、俺は一千両の資金を得ました。どうしてもセリを続ける、というのであれば、さっきまでの上限と併せて一千二百五十両、優一人につぎ込みます。それでも……続行しますか?」
会場のざわつきは収まらない。
一千二百五十両……途方もない金額だった。
黒田屋の主人は、力なく腕を降ろすしか無かった。
「……それでは、お優は三百五十両にて、前田拓也様、お買い上げですっ!」
大逆転勝利だった。
優は……涙を一杯に浮かべて、ゆっくりとこちらに歩み寄り、そして俺に抱きついた。
俺も、堪えきれず涙を流しながら……その華奢な体を抱き締めた。
俺達の周りを、凜さん、ナツ、ユキ、ハルも泣きながら取り囲み、喜び合った。
源ノ助さんまでも、その光景をみて、またももらい泣きしてくれていた。
ふと目をやると、黒田屋の主人が使用人の肩を借りて、よろよろと椅子から立ち上がる所だった。
俺は優たちから一旦離れ、彼のもとに近づいた。
黒田貫太郎は、それに気づいた。
「……前田殿、あんたには負けたよ。まさか、あんな切り札を持っていたとはな。わしはひっそりと、養子でももらって引退し、残りほんのわずかな余生を送るとする……」
「いいえ、黒田様。あなたはそんなに簡単に亡くなる方ではありません」
「……なぜ、そう思う? この通り、歩くことにさえ支障をきたしておるのに……」
「黒田様……玄米を食べてみてください」
「玄米?」
「そうです。最近、何年も、白米しか食べておられないのではないですか?」
「……確かに、そう言われてみればその通りだが……」
「気になって、調べておいたんです。あなたの病気は、我々の世界で『脚気』と呼ばれるものです。玄米に含まれる栄養分が、その病気を直してくれます」
「……どうしてあんたは、そんなことをわしに教えてくれるんだ?」
「あなたが……悪人ではないからです」
「……おかしな奴だ……もし、あんたの言う通りにして、この病が治ったならば……相応の礼はさせてもらうよ」
黒田屋の主人、黒田貫太郎は、そう言い残して籠に乗り込んだ。
その数十日後、黒田屋から大量の「お礼の品」が届くことになるとは、その時点では全く考えていなかった。
そして俺は番頭さんと、身請け金の支払い方法などについて、明日午後に阿讃屋にて協議することを取り決め、その日はお開きとなった。
「これで……やっと、終わったんですね……私たち、正式に拓也さんのものになったんですね」
優が、目を潤ませて確認してきた。
「ああ、その通り。しかも、お殿様からいただく一千両を使うから、仮押さえでも、借金のカタでもなく……正真正銘、みんな自由の身だ。あの家の敷地内に閉じ込められる理由もなくなる」
ユキ、ハルの双子が、うわぁい、と歓声を上げた。
「……でも、今日はもう遅いから……あの家に帰ることになるのですよね?」
凜さんが確認してくる。
「ああ。もう阿讃屋の人には話して、借りる契約を延長するようにしている。あと、借金のカタになる可能性が高かったから、源ノ助さんとの契約も同様に延長してるんだ」
「本来、もう拙者はお役御免なんですけどな」
源ノ助さんは上機嫌で笑っていた。
「いやいや、やっぱり女性ばっかりっていうあの家には用心棒が必要です。それに……今日は盛大に祝いたいんです。もちろん、源ノ助さんにも入ってもらって、ごちそうを揃えて」
「拙者もですかっ? いやあ、これはかたじけないっ!」
「そう、宴ですぅ!」
「うん、今日ぐらい、羽目を外してもいいだろうっ!」
「私、腕をふるいますわっ!」
「私も、お手伝いします!」
「だったら、私もタクの為に何か作るっ!」
全員、宴会には大賛成のようだ。
「ところで……正式に買い取っていただいたということは……あのもったいぶった取り決め、なくなったんですわよね?」
「もったいぶった取り決め?」
「そうですわ。拓也様は、私たちに手を出してはならない、みたいな」
……そういえばそんなのあったの、忘れてた。
「……いや、私は買われた身だし、恩もあるから煮るなり焼くなり好きなようにして構わぬが……ユキとハルは、せめてあと三年、待ってくれっ!」
「な、なに言ってるんだナツ、俺はこの二人にも、君にも、そんな気はないよ」
「あら、私にはあるんですわよね?」
「り、凜さん……凜さんにもそんな気はありませんって」
何か変な展開になっていることに、俺は焦った。
「そんな、ひどい……私なんて、相手にする価値もないっておっしゃりたいんですのね」
「いや、そうじゃなくて、俺は優以外の女性とそんなことするつもりは……」
……言っちゃった。
恐る恐る優の方を向く。
真っ赤になって、下を向いていた。
「……私は……拓也さんがお望みになるなら……」
……今度は俺が真っ赤になる番だった。
それを見て、凜さんやナツ、どこまで理解しているのか分からないが、ユキやハルまでが、俺たち二人を冷やかした。
そんな賑やかな帰り道。
もう暗くなり始めた空には、丸く明るい月が浮かんでいた。
まだしばらく、彼女たちは『前田邸』にいてくれることになりそうだ。
彼女たちが本当の幸せを掴むまで、俺はもう少し、手を貸すつもりだった。
そして月に向かって一人、つぶやいた。
「これからも身売りっ娘、俺がまとめて面倒見ますっ!」





