番外編15-14 武清の思惑
俺が伊東武清から試合を申し込まれた日の夜、優は食事を摂ることができず、そのまま寝込んでしまった。
俺は打開策を探るべく、源ノ助さんと夜遅くまで相談したのだが、
「伊東武清はこうと決めたらテコでも動かぬ強情さを持ち合わせており、たとえ最強の切り札である『破門』を言い渡したとしても折れることはないだろう、そもそもあれだけの人数の前で正式に試合を受け入れた以上、その切り札を使うこともできない」
と頭を抱えていた。
とすれば、優を奪われない為には試合に勝つか、あるいは逃げ出すしかない。
しかし、逃げ出してしまうと、
『前田拓也は証文で交わされた約束を守らない』
という悪評が立つことになり、今後の商売に支障をきたしてしまう。
そんなもの、優を奪われる事に比べればどうってことない、とも思ったが、それでは俺が進める事業に何十人もの従業員、およびその家族の生活がかかっていることを考えると、決して安くない代償となってしまう。
俺は一旦現代に帰って、道場で剣豪と試合する場合に有効な武器を調べてみた。
しかし、例えばスタンガンは接近戦において強力ではあるが、竹刀を持った武清には簡単にたたき落とされてしまいそうだ。
拳銃などがあれば有効かもしれないが、そんなもの入手できないし、仮に手に入ったとしても動きの速い武清に当てられるだけの腕が、俺にあるとは思えなかった。
道場の中だし、流れ弾の事を考えても、現実的な武器ではない。
催涙スプレーならどうか。
いや、これも躱されて間合いを詰められればはたき落とされて終わりだ。
防具でガチガチに守りを固めることも考えたが、そもそも武清は
「武器は竹刀しか使用しない」
と言っただけであって、投げられたり、蹴られたりする可能性は十分にある。
そこで俺が「参った」と言ってしまえば、それで優は俺の手から離れしまうのだ。
勝つイメージが、まったく浮かばない。
どうしてこうなった――。
その夜、俺は白兵戦についてネット情報を読みあさり、有効な手段を見つけられないまま、朝を迎えてしまったのだった。
日が高く昇り、フラフラになりながらも優の事が心配で、江戸時代の前田邸に向かってみると、意外にも優は元気になっており、逆に追い詰められている俺の事を心配してくれた。
俺は優を抱き締め、
「絶対に君の事は守ってみせる、だから安心してくれ」
と涙ながらに語りかけた。
すると、優の方からも俺に抱きついてくれ、涙を流した。
そして、
「……もう限界……姉御さん、ごめんなさい……」
そうつぶやいて、俺に話したいことがある、と語りかけてきた。
幸か不幸か、みんな仕事に出て行っており、前田邸に残っているのは俺と優しかない。
彼女は一旦、お茶を入れてくれてちゃぶ台に置き、座ってゆっくり話をすることにした。
「……ついさっき、姉御さんが尋ねてきたのです。私が寝込んでいるっていうのを聞いたみたいで、さすがに申し訳ないって、事情を説明してくれたんです」
「……そうか……姉御の方が辛いだろうに、わざわざ来てくれたのか。でも、事情って……」
「はい、あの……実は、武清さん、本気で私の事を奪おうとしている訳ではないらしいんです」
「……えっ? ああ、そうか、それは俺も思った。たぶん、俺を本気で戦わせるために焚きつけようとしたんだろうな、って。でも、証文を取り交わした以上、そんなの関係無く、俺が負ければ、君は武清のものになってしまうんだ……」
「でも、証文に名前は書いてなかったんでしょう?」
「……ああ、それが俺の最大の失敗だ。指差した相手をきちんと確認しなかった、俺のせいだ」
「……でも、武清さんも、興奮で気持ちが高ぶっていて、間違っていたんですって」
「……何を?」
「指差した相手を、お琴って言うつもりで、お優って間違えてしまったって」
「……へっ?」
優の言っていることの意味が分からず、呆然としてしまう。
「もっと言うと、『そういうことにしてしまう』つもりだったんですって」
「……はあ?」
「つまり、その……拓也さんを本気にさせるためにそう言ったけど、戦う事自体が目的だから、もし拓也さんが負けたとしても、あのときの言葉は間違いだったって言って、謝って、自分が恥をかいて、それで終わらせるつもりなんですって」
……。
…………。
……………………。
俺は、急に全身の力が抜けて、そのまま後に倒れてしまった。
「拓也さん、大丈夫ですかっ!」
優が、慌てて駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫だよ……ちょっと気が抜けただけだ……そんな単純なカラクリに、俺は翻弄されていたのか……」
慌てふためいていた自分が、恥ずかしくなってしまった。
「……それで、その話を姉御さんだけにして……彼女、最初は凄く怒ったけど、剣豪として最強の相手と戦いたいっていう彼の気持ちも理解しないと行けないと思ったらしくて……でも、私が寝込んだって言うのを聞いて、私にだけ、こっそり打ち明けてくれたんです。拓也さんには黙っていて欲しいって言われたけど……やっぱり、無理でした……」
彼女の顔をみると、笑みを浮かべながらも、涙を流していた。
「……良かったよ。君を失うことにならないんだったら、本当に良かった……」
「はい……私も、拓也さんにそれほど心配してもらえて、とても幸せです……」
その言葉を聞いて、俺は体を起こして、優の事をもう一度抱き締めた。
そして、ふつふつと湧き起こる怒りを覚えた。
「……でも、やっぱり武清さんの事は許せない」
「……えっ?」
「一時とはいえ、君の事を寝込むぐらいまで追い込んだんだ。姉御にだって、ひどいことをして恥をかかせただろう? いくら剣の道を究めるためだといったって、あまりにひどすぎる!」
「……では、どうするのですか?」
「決まってるだろう? 俺が勝って、奴に大恥をかかせてやるんだっ!」
「……拓也さんが……勝つ?」
「ああ、失うものが無いって分かったんだ。だったら、向こうの挑発どおり、思いっきりやってやろうじゃないかっ!」
怒りのままそう吐き捨てる俺に対して、優は、
「……はい、そうですね……姉御さんのためにも、悪者は懲らしめてあげましょう」
と、微笑んだのだった。
――ちなみに、俺と優とのこのやりとりを、物陰からこっそりと三郎さんが聞いていて、うまく事が進んだと笑みを浮かべていたことは、この時点では知るよしもなかった――。





