番外編15-13 試合の申し込み
ある日の夕刻、俺は『秋華雷光流剣術道場 井原支部』を、練習の様子を見学するために訪れていた。
普段は滅多に来ないのだが、どういうわけか、当代随一の剣豪として知られる伊東武清さんから招待を受けていたのだ。
三郎さんからも、
「なにか面白い話があるみたいだ」
と聞いていたし、なぜか俺の嫁達も誘われていて、皆、乗り気だ。
「姉御達も見学に行くらしい。もちろん、私も行くよ」
と、たまに練習に行っているナツも笑顔だ。
ここで姉御の名前が出て、ようやく理解した。
俺も、ちらっとではあるが、姉御と武清さんが付き合っているような話は聞いている。
だったら、いよいよ祝言の発表なのだろうか。
「でも、姉御さんも、一体何の話なんだろう、って首を傾げていましたよ」
と、優だけが少し心配そうな顔だった。
「……まあ、それはその場でのお楽しみ、ということだよ。まだ店の夜の部は開店まで時間があるし、皆で見に行こう」
というナツの意見で、結局、優、凜、ナツ、ユキ、ハルの嫁全員を連れて道場を訪れた。
すると、そこには姉御の他、海女料理の直売店で働く女の子達も数人来ていた。
なんか、ギャラリーの女子率が高いのだが、しかし道場の雰囲気が浮つくことがなかった。
武清さんの稽古が、すさまじく激しいのだ。
相手は、防具を着け、竹刀を持った塾生三人。
それに対し、彼は竹刀を持っているが、防具は身につけていない。
それで三人同時の攻撃を軽やかに躱し、力強くはじき返す。
この布陣で十回以上戦い、ただの一度もその攻撃を体に受けていないという事だった。
この暴風のような激しい稽古には、俺も寒気を覚えるほど。
女性陣は、俺の嫁達も含めて、道場の隅っこの方に固まった。
怯えるように、目を逸らす者もいた。
さすがに姉御だけは、少しだけ前に出て、彼女たちを守るように立っていたのだが。
そして俺は、正座して見ている塾生達の後に、ちょこんと座った。
隣には、同じくギャラリーである三郎さんが座っていた。
「……なんか、すごい迫力ですね……武清さんの稽古って、いつもこんなに激しいんですか?」
と、三郎さんに尋ねた。
「いや……俺もそんなに頻繁に見に来るわけではないが、それでも今日は特に気合いが入っているのが分かる……何か、覚悟していることがあるのだろうな……」
彼も厳しい表情だ。
うーん、なんだろうなと考えていると、武清さんはちらりとこちらを見て、稽古の一時停止を塾生に告げた。
三人は、ほっとしたように礼をして、他の塾生達と並んで座った。
そして武清さんは、もう一度俺の方を見て、
「前田拓也殿、わざわざ足を運んで頂いて恐縮です。実は、一方的で申し訳ないが、お願いしたいことがあるのです。どうかお立ちいただけぬか?」
と言われてしまった。
その言葉に、少し道場内がざわつく。
なんか嫌な予感がしたが、こんなに大勢の前でそう言われれば、そのぐらいはしなければならない。
俺が立ち上がると、さらにざわつきは大きくなった。
(あれが、あの前田拓也……?)
(噂と全く違うじゃないか……)
(いや、見た目で判断するな……すさまじい仙術使いだって噂だ)
(連れてきた五人の美女、全員嫁なんだぞ)
(すげえ……)
なんか、ひそひそとそんな声が聞こえてくる……うーん、どんな噂が立っているのだろう?
「単刀直入に申し上げる。前田殿、私と一度、この道場内で、勝負をしてはいただけぬだろうか」
あまりの突然の申し出に、俺は絶句して固まってしまった。
「いや、前田殿が剣の修行をしたことがないのは存じている。しかし貴殿は、仙術使いだ。剣対仙術……塾生達からも、見てみたいとの声が上がっている」
彼の言葉に、おおっ、っというざわめきがあちこちから聞こえた。
見届け人の源ノ助さんも、少し離れた道場の脇、神棚の下辺りで、興味深そうに成り行きを見守っている。
「いえ、私は本当に戦いなどはできませんので……」
「いやいや、ご謙遜を……」
謙遜なんかじゃないのに。空気を読んで欲しい。
「もちろん、貴殿は阿東藩において大変重要な存在であることは承知しております。なので、どんな防具を身につけていただいても構いませぬし、私は竹刀のみで戦う。加えて、貴殿がどのような武器を使用したとしても、私は一切文句を申しませぬ。いや、むしろ仙界ならではの武器や防具を見てみたいぐらいだ」
彼がそう言うと、周囲からは同意の声が聞こえてきた。
「勝負は簡単。どちらかが『まいった』というまでのものだ。また、源ノ助先生に審判を務めて頂き、まいった無しでも先生の判断で勝ち負けを決めて頂く」
……まあ、『まいった』って言ってそれで終わるのなら、大怪我はしないかな。防具をつけてるし、竹刀だし。
そんなふうに、ちょっとだけ楽観視していると、次に爆弾発言が飛び込んできた。
「しかし、それだけではただの気の抜けた稽古にしかならない。そこで、賭けをしたいと思う」
「……賭け、ですか?」
また何か、嫌な予感が走った。
「そう……本気の貴殿と戦い、私が勝てば、あの娘を嫁としてもらい受けたい!」
と、彼はいきなり姉御の方を指差した。
おおっ、と言うざわつきは、歓声にも似たぐらいに大きくなった。
これには、さすがの姉御も面食らったようで、うろたえていた。
俺も一瞬、どういうことだ、と思ったが……要するに、俺との勝負を、姉御との結婚のきっかけにしたいんじゃないだろうか、と悟った。
仙人と呼ばれる俺をカッコ良く倒して、そして皆の前で宣言した通り、妻として娶るのだ。
「……そして貴殿が勝ったならば……この伊東武清に勝ったという証として、私が常に持ち歩いている太刀をお譲りしよう」
この言葉に、さらにざわつきは増した。
(天下の伊東武清殿に勝ったと、認められるのだ……)
(歴史に名が残りますぞ……)
なんか、それってものすごい大事みたいなんですけど……。
しかし、それは絶対にない。賭けてもいい。絶対に勝てない。
いや、もう賭けを提案されているんだけど……こちらにとって全く損のない賭けだ。
むしろ、喜ばしいことなのだが……それでも、姉御の意思を確認しなければならない。
俺は彼女の方を見た。
姉御は、大分落ち着きを取り戻していた。そして、俺と同じ想像に至ったようで、顔を赤らめながら、覚悟を決めたように大きく頷いた。
これなら、まったく問題はない。
やるからには全力でぶつかって、華々しく散ろう……怪我だけはしないように、ガチガチに装備を調えれば大丈夫だろう。ちょっとかすっただけで、『まいった』って言えばいいんだし。
「……わかりました、お受けしましょう」
俺がそう宣言すると、たちまち拍手が起きた。
女性陣は、みんな早くも姉御を祝福する。
俺が勝つかもしれないなんて、一ミリも思っていないんだろうな……。
「かたじけない。では、公式な試合としたいので、この証文に拇印を押していただきたい」
彼は、ご丁寧にも証文を用意していた。
念のため内容を読んでみると、
「勝負は十日後、この道場で行う」
「伊東武清は練習で使う竹刀しか使用しない。前田拓也はどんな武器を使っても構わない」
「勝負は、どちらかが『まいった』と言うか、井原源ノ助が勝負有りと止めるまで」
「伊東武清が勝てば、あらかじめ指し示した娘を嫁とする。前田拓也はそれに異議を唱えない」
「前田拓也が勝てば、その証として伊東武清が所有する太刀を譲り受ける」
……うん、十日後っていうのが気になるが、さっき話をしたとおりの内容だ。
俺は自分の名前を書いて、拇印を押した。
次に、彼も同じように名前を書いて拇印を押した。
これで、源ノ助さんを始め、塾生、見物人全てが見届け人の証文が出来上がった。
後は十日後に、試合をするだけだ。
まあ、絶対に勝ち目はないが、彼ほどの剣豪に敗れるのであれば悔いはない。
あとは姉御に幸せになってもらうだけだ。
――だが、次の一言は、俺を奈落の底に突き落とした。
「……では、この証文どおり、十日後に私が勝てば、お優を嫁として頂く」
……へっ?
なんで優の名前が出て来たんだ?
「……え、あの……嫁って……だって、姉御を指差したじゃないですか」
「……貴殿は何を言っているのだ? 私はあの娘を指差したではないか」
そう言って、もう一度指差す。
……その方向には、女性陣がみんなで固まっている。
てっきり一番前の姉御を指差したとしか思っていなかったが、そんな曖昧な指定では、誰なのかはっきりとは分からないのだ。
「十日後、楽しみにしておりますぞ……貴殿の本気、ぜひ見てみとうございます」
そう言って、恐ろしい程不気味な笑みを浮かべて、彼は硬直している俺を置いて、先に道場を後にした。
道場の空気は一変している。
まるで凍り付いたような雰囲気の中、ヒソヒソと、塾生達までもが怪訝な表情で会話している。
「……やられたな、拓也さん……あんた、本気で戦って勝たないと、お優を取られるぜ」
三郎さんが俺のすぐ側で、厳しい表情のままそう語った。
「……どういうことだ……まるで話が見えない……」
姉御が、青ざめた表情で詰め寄ってきた。
「そうだ、俺はてっきり、姉御を嫁にすると言っていると思ったんだ。だから証文に拇印を押したのに……」
三郎さんは、源ノ助さんが預かっていた証文を確認した。
「……ここには、指し示した相手としか書いていない。これではいいように解釈されてしまう。はなっから、あんたを嵌めるつもりだったんだ」
「……そんな……いくらなんでも……」
と、俺が蚊の鳴くような声で抗議すると、
「拓也さん、相手は伊東武清だ。天下に名を轟かせる剣豪だ。今まで、幾多のだまし討ちや闇討ちに対して、命を賭けて、真剣勝負を勝ち抜いてきた海千山千の男だ。あんたを本気にさせるために、このぐらいの細工は平気でやってのけるさ」
と、彼は逆に伊東武清を称えるかのような物言いをした。
そして、唇を噛んで立っている姉御にも、
「……あんたの惚れた伊東武清は、こういう奴だ……剣のみに全てを賭ける、剣のためには全てを犠牲にできる。それをあんたに示す意味もあったのかもしれないな」
と、慰めにもならない声をかけた。
「……なるほど、住む世界が違うって奴か……まあ、勉強になったよ……」
と、強がりを言っているが、わずかに震えていた。
そして、伊東武清に指名された優の方を見てみると……彼女は、顔面蒼白になって、その場に立ち尽くしていた――。
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(追記)
伊東武清が前田拓也に試合を申し込んだその日、さすがに姉御は、周りが心配するほど落ち込んでいた。
しかし翌日、海女料理店が開店したときには、いつもどおり……いや、前日の朝よりも明るいぐらいの姉御が出勤していた。
それを見た周りの女性達は、驚き、そして、彼女が衝撃のあまり、おかしくなったのではないかと危惧した。
それに対し、彼女は、
「一蓮托生……あの人の悪巧みに、一緒に乗っかることにしたんだ」
と、笑顔で話した。
その言葉に、周りの海女達は首を傾げた。
「……詳しくは言えないけど、今回の一件には、カラクリがあるってことだよ……あの後、それを聞いたときには私も呆れたし、怒ったけどな……まあ、十日間だけ我慢するよ。優には申し訳ないけどな……おっと、今言ったこと、絶対に秘密だよ」
笑顔でそう言う彼女に、海女達は、何か腑に落ちない物を感じながらも、姉御がそれほど落ち込んでいないことに安堵したのだった。





