番外編15-12 剣客
「武清さん、あんたは独り身なんだってね?」
この日も、店に焼き魚を食べに来た剣豪に対して、姉御……本名・琴は、ちょっと赤くなりながら尋ねた。
「ああ、そうだが……どうしてそんなこと聞くんだ?」
酒を飲み、焼いたゲソを食べながら、彼はぶっきらぼうにそう答えた。
「だったら、私を嫁にしてくれないかい?」
いきなりそう言い放った琴の言葉に、武清……本名・伊東武清は、盛大にむせた。
「……そんなに驚かなくてもいいじゃないか……」
姉御はちょっと拗ねたように、彼の背中をさすりながらそう言った。
昼を大分過ぎた時間帯で、客の数は少ないが、それでも数人の視線が彼等に集中している。
もちろん、三人いる海女の店員も、ハラハラしながら成り行きを見守っている。
「……いや、すまない……いきなりすぎたからな……」
「まあ、私は海の女だからさ。潮時を見極めるって言うか……ばっと決めて、すぐ実行したい方なんだ」
「……そうか? 海で生計を立てる者は、みんなそうなのか?」
彼はそう言って周囲を見渡す。
他の海女達は、さっと視線を逸らして、巻き込まれないように仕事に戻るフリをする。
「……まあ、私が特別そうなのかもしれないけどね……それに、あんたは武士で、私はただの海女……身分が違うことは承知しているから、妾でも構わないよ……ただ、あんたの側にいて、ずっと……お世話をしたいって言うか……まあ、私に何ができるか分からないけど……って、私、何言ってるんだろうね……」
相当照れがあるのか、彼女にしては珍しく、言葉がうまく出ていないようだった。
「……いや、俺は浪人だから、身分など関係無い。今は、井原殿の剣術道場で師範として雇ってもらっているが、それもいつまで続けるか決めておらぬしな……」
「……それじゃあ、いつか、この町を出て行くのかい?」
「いや……幸か不幸か、俺はこの阿東藩が気に入ってしまったからな……しばらく居座るつもりではいるが、状況がいつまでそうさせてくれるかは分からぬ」
「……状況?」
「ああ。今まで、さんざん無茶をしてきたからな……道場破り、用心棒……ヤクザの喧嘩に付き合ったこともあった。犯罪者の山狩りを手伝ったこともあったな……」
「……なるほど、いくつも修羅場をくぐってきたって訳だね。道理で、一度に三人もやっつけてしまうわけだ……でも、お咎めを受けるような悪い事をした訳じゃないんだろう?」
「いや……恨みを持たれた事だってあるさ。それに、名前が広まってしまってな……」
「当代随一の剣豪、『伊東武清』殿……やっぱり、噂は本当だったんだね」
「知っていたか……怖くないのか、この俺の事が」
「……むしろ頼もしいと思うよ」
「……強いな。攫われてあんな目にあったのに、ケロッとして翌日から店に出ているのにも驚いたが、胆が座っているというか……」
「そういう女は嫌いかい?」
「いや……むしろ興味があるな……元々、それでこの店に通っていたしな……」
今度は、彼の方が少し照れて、下を向きながらそう話した。
「そ、そうなのか? ……だったら、嫁か妾にしてくれるのかい?」
「ま、待て。それは話が早すぎる……まだ俺の事を、よく分かっていないだろう? 本当に、俺は危ない男だ。いつ刺客に襲われ、命を落とすやも知れぬのだ。そうしたらどうするのだ?」
「……まあ、死んじまったら仕方無い、また別の男を捜すさ」
あまりにあっけらかんとした姉御の言葉に、武清は一瞬目が点になった。
「……さっきも言っただろう、私は海の女だって。生まれてから、漁師の嫁を、ずっと見てきたんだ。海で命を落とした男の嫁だって何人も知ってる。みんな、そりゃあ最初は悲しむけど、喪が明けたらまた新しい旦那を捜してるよ」
「……なるほど、命がけなのは漁師も同じか」
「そういうことだよ」
そこまで話して、二人とも意気投合したのか、豪快に笑った。
結局、二人は、結婚はともかく、まずは交際を始めることになった。
思い立ったらすぐ実行、という琴の性格が、いい方に転んだ結果だった。
強面の伊東武清を慕う女性が、別嬪の海女。
その意外な組み合わせに、最初は驚く者もいたが、彼に劣らぬほど胆が座った彼女の性格が知れ渡ってくると、意外とお似合いだと認識されるようになっていった。
道場にも足繁く通うようになり、稽古が終わった後に、彼女が彼にタオル(前田拓也が道場に支給した物)を渡す様子も、門下生にうらやましがられる程だった。
そんな二人の様子を微笑ましく見守るのが、道場主である井原源ノ助だった。
齢六十が近づいている彼にとって、三十歳手前の伊東武清と、二十代半ばの琴の二人は、まるで息子か娘のように思えて、その二人が結ばれる事を、心から望むようになっていた。
二人が交際を始めて一月ほど経った頃、源ノ助は彼に尋ねてみた。
「……お琴と、そろそろ祝言を考えているのではないかな?」
「いえ……まだ、そこまでは。まだ、剣客としてやり残したこともありますし」
「ほう? 幾多の剣豪を倒し、今や『当代随一の剣豪』という名声を勝ち取った貴殿が? 今も、名を上げようとやってくる難敵を、次々に返り討ちにしているというのに?」
「……問題は、そこです。そういう輩は、大したことがない奴が多い。本当の強敵は、もっと身近にいます」
「ほう……それは、三郎殿かのう?」
「いえ……彼とは決着が付きました。道場での剣術勝負では俺が勝った……しかし、山中での野試合では、俺は敗れた」
「なんと……もう、戦っておったか……しかし、一勝一敗では納得出来ぬのでは?」
「いえ、剣術のみで戦えば俺が、忍術を用いれば彼が勝つ……そういう物だと分かりましたので、それはそれで納得できているのです」
「なるほど……では、一体、身近な強敵とは?」
「今だ本気を見せたことのない、仙人・前田拓也殿です。本気の彼と、ぜひ全身全霊で戦ってみたい……俺にとっては、祝言などよりもまず先に、その方を果たしたいと願っているのです」
飢えた獣のような表情の彼を見て、剣の達人である源ノ助の背中にも、冷たいものが走ったのだった――。





