第百八十四話 ラスボスバトル
人斬りの刀が、月光を受けて怪しく光った。
それに対して、俺は全くの丸腰。
それでも、逃げるわけには行かなかった。
負傷し、立つ事さえ出来ぬ薄幸の少女、里菜。
俺が逃げるということは、彼女が斬り殺されるということを意味する。
その里菜は、涙を流しながら、
「逃げて……拓也さん、お願いだから、逃げて……」
と、祈るように呟いており、そしてそんな彼女のけなげな言葉を楽しむかのように、人斬りは不敵な笑みを浮かべていた。
俺とその男との距離は、約十メートル。
動き出せば、ほんの一、二秒でここまで辿り着くだろう。
全身が小刻みに震える。
嫌な汗が流れ、喉が渇いた。
ひょっとしたら、蛇に睨まれたカエルは、こんな気分なのかもしれない。
「どうした……得意の仙術は使わぬのか……」
そんな事言われたって、俺は本当に仙術なんて使えないのだ。
出来る事と言えば、ただ現代の便利な道具を使いこなすことのみ。
「あるいは、何かを狙っているのか……いずれにせよ、何も仕掛けて来ないのならば、こちらから……参るっ!」
ザッ、という音と共に、男の体が一瞬沈み込み、凄まじい勢いでこちらに迫ってきた!
「バ○スッ!」
俺はタイミングを見計らい、何とかその『離脱』のキーワードを発して……次の瞬間、俺は平和な自分の部屋に立っていた。
ラプターによる、緊急時空間移動。
しかし、これは逃避ではない。
なぜなら、俺は覚えていたからだ……『妖怪仙女』を三郎さんと一緒に探していたとき、現代の護身用品で武装していたことを。
ワイヤー針の付いた先端を飛ばすピストルタイプのスタンガン、伸縮する特殊警棒タイプの強力スタンガン、紐を引っ張るだけで網が飛び出す『ネットランチャー』、さらには相手の目を眩ます『フラッシュライト』……もう使うことはないだろう、と無造作に部屋の片隅に置いてあったそれらを、十秒かけずに全て装着した。
これで、なんとか戦う事ができる。
すぐに帰還するためにラプターを操作しようとして、ぞくん、と激しい悪寒に襲われた。
今装備している『ツインラプター・システム』では、時空間を一往復すると、次に使用するまでに三時間ほどのインターバルが必要になる。
つまり……今から江戸時代に戻った後、もう一度離脱の言葉を叫んでも、それは無効なのだ。
今度こそ、本当に逃げられない……。
だが、向こうでは傷ついた里菜が待っている。
俺は躊躇せず、ラプターの『前回移動元ポイントに戻る』コマンドを選択した。
……心臓が早鐘を打つ中、戻った先では、五メートルほど前方に、人斬りが後向きに立っていた。
「そこかぁ!」
俺の気配に気付いたのか、男は瞬時に振り向き、刀を上げた。
「う、うわあぁ!」
俺は反射的に構えていたピストルスタンガンのトリガーを引いた。
「うぐっ!」
幸運にも、先端のワイヤー針は人斬りの胸元に突き刺さり、その男は太刀を取り落とし、片膝をついた……が、同時に俺も、尻餅をついていた。
「うぬうっ!」
男は世にも恐ろしい怒りの表情を浮かべ、片膝を突いたまま、腰の脇差しに手をかけた。
やばいっ、と思った俺は、咄嗟に反対の手に持っていた『フラッシュライト』で男の顔を照らした。
「ぬっ!」
目が眩んだ男は、呻きながらも、脇差しを投げつけてきた。
それは凄まじい勢いで俺のすぐ脇をかすめ、後方にすっ飛んでいった!
ぞっとした。
数センチずれていたら、俺は串刺しになっていた。
「むうっ……」
人斬りは、取り落とした太刀を拾おうとしているっ!
「どああぁ!」
俺は必死に腰から『ネットランチャー』を引き抜き、男に向かってぶっ放した。
「ぬおおっ!」
目の前でぱっと広がるネットに、さしもの侍も反応しきれず、全身を覆われた。
だが……男は、網の中で必死にもがいている。
このままでは、すぐに網から脱出される……。
「う……うらあああぁー!」
俺は奇声を発しながら、最後の武器である百三十万ボルト、伸縮自在、特殊警棒型の強力スタンガンをめいっぱい伸ばし、網の中でうごめく人斬りに押し当てた!
「ぬごわぁ!」
男は、一瞬全身を硬直させ、叫び、そのまま後方に倒れた。
「うわあああぁ!」
俺はさらに一歩踏み込み、もう一度その体に電撃のほとばしる先端を押し当てた。
ビクン、と男の体が跳ね上がる。
俺はそれに驚いて一瞬、後退するが、また踏み込んで押し当てる。
「うあっ! うらあっ! だああぁ!」
自分でも訳の分からない事を叫びながら、俺はメチャクチャに、何度も何度も男にスタンガンを押し当てる。
どれだけダメージが与えられたのか、把握できない。
すぐにでも立ち上がって、斬りかかってくる気がした。
怖い。
むちゃくちゃ怖い。
俺自身が斬り殺される恐怖。
里菜が殺害される恐怖。
死。
人生が終わってしまう事の恐ろしさ。
優の笑顔をもう見られない。
生まれてくる我が子を抱くことができない。
攻撃しているのは俺なのに、走馬燈のように嫁達との思い出がよぎった。
嫌だ。
死んでたまるか。
絶対に生き残るんだ――。
……俺は、無我夢中でネットに絡まった男をスタンガンで突き続けた。
涙を流しながら。
何かを喚きながら。
……。
…………。
………………。
――どれぐらいの時間が経っただろうか。
数十秒、長くても一、二分……。
しかし、それは永遠にも思える恐怖の時間だった。
警棒型スタンガンは、バッテリー切れで電撃を発しなくなっていた。
人斬りは、口から泡を吹き、ピクピクと痙攣していた。
さすがにもう、立ってはこない――。
俺は、ヨロヨロと、里菜の方へ歩いて行った。
すると、彼女は、目に涙を一杯浮かべ、立ち上がろうとして……そしてよろけて、結果的に俺に抱きついた。
なんとかそれを、受け止めることができた。
「里菜……傷は、大丈夫なのか?」
「……平気です、ずっと押さえていたから、もう血は止まってます……それよりも、拓也さん、どうして……どうしてこんな無茶を……」
彼女はそれ以上、言葉に出来ないようで、ただただ嗚咽を繰り返した。
そして俺も、ヘトヘトに疲れ、彼女を支えるので精一杯だった。
と、そのとき……。
「ワンワンワンッ!」
という、激しい犬の鳴き声が聞こえた。
まずい、今のこの状況で、今度は野犬か、と身構えたのだが……。
「拓也殿っ! やっぱり、拓也殿だ、探しました……こ、これはっ!」
駆けつけてくれたのは、ご老公様の護衛、菅さんだ。
あとから、もう二人ほど追いかけてきている……うん、もう一人の護衛の岳さんと、ご老公様本人だ……もうちょっと早く来てくれれば良かったのに。
「……里菜、怪我をしているではないか……拓也殿も、血が……それに、この泡を吹いている男……一体、この状況は……」
「……怪我をしているのは里菜だけです、俺は彼女の血が移っただけ……そしてその男は、彼女の父親の敵……そいつが、『人斬り権兵衛』です」
「……なっ、こやつが……確かに、手配書の特徴と一致するが……一体、誰が倒したのか……もしや……」
「……俺が倒した!」
呻くようにそう言った俺の顔を、菅さんは驚愕の眼差しで見つめた。
やがて遅れて到着した岳さんとご老公様も、菅さんから話を聞き、倒れている男を見て、驚きと畏敬の表情で俺を見つめた。
さらに、もう一人、今度は『くの一』っぽい装束の女性が現れ、ご老公様の指示でこちらに近寄ってきて、自分は多少、医術の心得がある、里菜の傷口を確認させて欲しいと言ってきた。
そういうことなら、里菜の胸元の傷を見てもらった方がいい。
俺は里菜を座らせて、その女性に託した。
「……出血の割には深い傷ではないし、もう血は止まっています。でも、八針は縫わないとまた傷口が広がります。早くちゃんとした医者に診せないといけませんね……」
どうやら、命に関わるような傷ではないようで、ほっとした。
しかし、縫うとなればかなり痛みを伴うだろうし、女の子なので傷跡が残ると可哀想だ。
「そうだ、良いことを思いついた! 現代に……つまり、仙界に彼女を運びます。仙界の技術で治療したならば、痛みも酷くないし、傷跡も目立たなくできるはずです!」
俺は笑顔でそう提案したのだが、里菜は首を横に振った。
「……いいえ、そう言ってもらえるのは嬉しいけど……たぶん、これは神様が私に与えた罰ですから、受け入れます……」
「……罰?」
「はい……私、今回、とんでもない事をしでかしました……関係ないお侍さんを巻き込んで、死罪になってもおかしくないぐらいの大事を……。どういうわけか、放免になったけど……だから、これは神様が与えてくれた罰……痛みも、傷跡も、全部、受け入れます」
……なんてけなげな娘なんだろう。
これが、おつりをよく間違えて結に叱られていた、あの里菜なのだろうか。
彼女の決意に、ご老公様も目を細めて頷いていた。
でも……でも、やっぱりちょっと可哀想だ。
こんな怪我をして、また痛い思いをして、一生残る傷跡まで負って……。
もし、それが原因でお嫁に行けないような事になれば、俺が……。
いやいやいや、さすがにこれ以上は嫁は増やせないか。
あと、足の方は、なんとか動くようなので、挫いただけで骨には異常はなさそうだ、ということだった。
それと、気になっていた、どうしてこの場所が分かったのかを菅さんに聞いてみると、
「拓也殿が見えなくなったので、嫌な予感がしていた。やがて忍犬の『疾風』がけたたましく吠え始め、気になったので放ち、後を追ったところ、この場所に辿り着いた」
ということだったので、多分この犬が俺のわめき声を聞きつけたのか、里菜の血の臭いをかぎつけたのだろう。
人斬りは、完全に意識を失っていた。
そのまま縄で厳重にがんじがらめにされ、菅さん、岳さんの二人がかりで運ばれることとなった。
ご老公様によれば、この『人斬り権兵衛』、十年前に幕府が血眼になって探していた大犯罪者で、ようやく捕らえることが出来て肩の荷が下りたと感謝された。
それと同時に、もうこんな無茶はやめるよう、ありがたい? 小言も頂いた。
後は、里菜を連れて帰って、胸元の傷の縫合など、治療を受けさせないといけない。
俺は躊躇せず、里菜を背負っていくと申し出た。
彼女は、最初は自分で歩いて帰ると言っていたが、挫いて腫れた足では到底無理だ。
俺は、半ば強引に彼女を背負った。
思っていたより、軽い。
こんな小さな体で、あんな激しい戦いを繰り広げていたんだな……。
帰り道、彼女は何度も、「ごめんなさい」とか、「背負ってもらうなんて申し訳ないです」とか言っていたが、やがて観念したのか、俺にしっかりかきついてきた。
「……拓也さん……いえ、拓也様、なんで私なんかを助けて……なんでこんなに良くしてくれるんですか?」
そんな質問に、俺はただ、こう答えた。
「そりゃあ、目の前で、うちの大事な売り娘が殺されかけてたんだ、放っておけるわけがないだろう?」
「……放っておけない……それだけで、あんなに必死に、私を助けてくれたんですか?」
「ああ、そうだよ」
「……優さんの言っていた通りだ……どうして、六人もお嫁さんがいて、それもみんな自分から嫁にして欲しいって名乗り出たのか、分かりました……」
……これって、褒められてるのかな……。
「……拓也様、私、このご恩は、一生忘れません。一生、貴方の為に尽くします……妾になれって言われたら、なります。いえ……妾にしてください……」
里菜の意外な言葉に、一瞬、カッと体が熱くなったが、すぐに冷静になった。
「……今の里菜は、怪我をして痛みもあるし、助かってほっとしてて、普通の状態じゃないから、俺の事、良く思いすぎてるよ。それよりも、まず、怪我を治す事だけ考えるんだ」
「……はい、拓也様の命令とあれば、そうします……でも、あの……あともう一つ、図々しいかもしれませんけど、お願いがあります……」
「うん? 何?」
「元気になったら、またお店で働かせてください」
「……はは、それならお安いご用さ。こちらからもお願いするよ」
「……よかった……」
里菜は、心からほっとしたようにそう呟いた。
そして俺はそんな彼女の命を救えたこと、そして俺自身も生き残ったことに、満足したのだった。
数日後、ご老公様によって、俺の事が将軍様に報告された。
江戸に来てわずかな期間で、商売を成功させ、江戸を騒がせた『妖怪仙女』事件と、十年以上未解決だった『人斬り権兵衛』事件を一度に解決させた、本物の仙人だ、と――。
前回の後書きでも書きましたとおり、次回で『身売りっ娘 俺がまとめて面倒見ますっ!』の本編は一応の完結となります……が、番外編や後日談などは、不定期に書いて行こうと思っています。
また、要望のあった、主人公との恋愛関連をまとめた
『身売りっ娘 俺がまとめて……[ハーレム編]』
の連載も始めていきます。
(こちらは、時系列が一定ではないなので、スピンオフとして不定期に掲載させていただきます)
また次回の後書きにも、今後について書かせていただこうと思っていますm(_ _)m。





