第百七十八話 捕縛
新町橋に妖怪が出現したことを、他の岡っ引き仲間にも報告しなければならない。そのためには、誰かが残って状況を説明しなければならない。
そういう理由で、八助さんをその場に残し、平次郎親分と俺、三郎さんの三人は高瀬舟の後を追った。
本当は、八助さんには申し訳ないが、現代から持ち込んだハイテク装置を彼には見られたくなかったのだ。
犯人はもう目視できる範囲には存在しないのだが、平次郎親分が投げた小型の発信器により、大体の方角と距離が把握できる。
カプセル型飲み薬程度と小さいながら、電波は三キロ先まで届く。
マジックテープのような素材で覆っているため、衣服に当たればそのまま潜伏先まで付いていっただろうが、残念ながら親分の投擲が外れたので高瀬舟の底に落ちているはずだ。
ということは、船を乗り捨てて移動されれば追いようがなくなってしまう。
スマホを改良したレーダー画面の表示を頼りに走っていくと、ススキが一面に生えている、とある川原の小さな小屋に行き着いた。
川辺に近い場所に建っている、今にも壊れそうな古い掘っ立て小屋で、明かりは点いていない。
新町橋から二キロほど下り、川の本流へと合流した後、別の支流から一キロほど上った箇所だった。
一旦本流を下った後、別の支流を遡るという発想。やはり忍だな、と三郎さんは確信していた。
そして高瀬舟も巧みに偽装され、一見するとそこに存在するようには見えない。発信器がなければ、まず見落としていただろう。
俺達は、小屋から百メートルほど離れた場所で、ススキの群生に隠れていた。
「……いるな……」
「ああ……おそらく、二人だ……」
姿が見えているわけではないのに、平次郎親分と三郎さんはこの位置からそれが分かるのか。
「なんでそれが分かるんですか?」
「虫の音が断続的に変化している。二人以上の者が会話したり、動いたりしているのに反応しているんだ」
「……それが分かるとは、三郎さん、あんたも何者なんだ?」
「言ってなかったか? こう見えても、阿東藩の重要人物である拓也殿を護衛する忍だ」
「やはりな……藩直属の精鋭だったか……」
二人はわかり合えているようだった。
なお、俺はいくら耳を澄ましても、そんなのまったく分からなかった。
あと、
「こちらもうかつに大きな声を出したりすれば向こうに悟られる。ほんの小さな声で囁くように話してくれ。身振り手振りを交えるのは厳禁だ」
と二人から注意を受けた。
「まあ、向こうはそんな余裕がないぐらいに切羽詰まっているかもしれないがな……」
追われる者と追う者。こちらの方が心理的に有利だ。
さっきの戦闘でも、三郎さんはあの妖怪を追い詰めていたし。
そして確実に仕留めるための段取りが決められる。
はっきり言って、俺は足手まといにしかならないのでここで待機。
二人で慎重に近づき、三郎さんが縄を構え、扉を突き破って飛び込み、最低でも一人を捕らえる。
入り口は一つしかないので、もう一人を取り逃がしたとしても、そこで待機している平次郎親分が捕らえて終了だ。
ものすごく定石通りに思えるが、シンプルなのが一番なのだろう。
もし三人以上いれば厄介だが、逃げられたとしても、捕まえた二人を締め上げて居場所を吐かせる、ということだ。
「……ちなみに、捕まったらどうなるんですか?」
「……大した怪我人は出ちゃいないが、奴等がやってることは連続強盗だ。しかも、奪われたのは高価な『太刀』だ。死罪は免れないな……」
平次郎親分が重々しく語る。
やはり……と思った。
現代の日本では、誰か殺めることがなければ死刑にはならない。しかしこの時代、窃盗でも金額によっては死罪になる。強盗ともなれば確実だ。
それが分かった上で、俺達は今、罪人を捕らえようとしている。
後ろめたさがないかと言われれば、あるかもしれない。
しかし、これを放って置いて、もっと犯行が大胆になり、優をはじめとする『前田食材店』の従業員達に危害が及ぶような事になっては元も子もない。
平次郎親分と三郎さんの二人は、ほとんど音を立てず、滑るように小屋へと近づいていく。
接近するにつれ、その速度を落とし、まさに抜き足、差し足といった感じでさらに歩を進める。
親分さんが小屋の入り口から二、三メートル離れた所に縄を持って待機。
そして三郎さんは、ほぼ同じ位置で親分さんとうなずき合った後、ものすごい跳躍を見せて、扉を蹴破って突入した。
ドスン、バタンという物音が聞こえ、勢いよく飛び出して来た妖怪。
着物を着ていたので、俺の目にもそれと分かった。
そしてものの見事に平次郎親分の縄に捕らえられる。
体勢を崩し、倒れ込む妖怪に、さらに縄をかける親分。
「神妙にしやがれっ! 強盗め、その面見せろっ!」
いつになく厳しい大声が飛ぶ。
髪の毛を引っ張り、顔を持ち上げる。
どうやら、強盗はのっぺらぼうの面を被ってはいないようだった。
そして平次郎親分は、その強盗の顔を見て……しばらく、固まったように動かなかった。
と、そこへ三郎さんが小屋から出て来た。
「こっちは終わったぜ。無事捕らえた……そっちは?」
そんな声が聞こえた。
しかし、平次郎親分の様子がおかしい。
辺りを見渡し、そして三郎さんを手招きしていた。
三郎さんも不審に思ったようで、ゆっくり近づいて強盗の様子を見て……動きが止まった。
そして二人は立ち上がり、俺の方を向いた。
「拓也殿、ちょっと来てくれ……」
そんな言葉をかけられて……なんか訳のわからないまま、おっかなびっくり、俺も捕らえられたという強盗の元に向かった。
どうしたのかな。捕まえたはいいけど、頭を打って気絶している、とかだろうか……。
すぐ近くまで行くと、二人は、なんか困ったような顔をしている。
もしかして、捕まえた際に勢い余って殺しちゃったなんて事じゃないだろうな……。
いや、女物の着物を着たその強盗は、ちゃんと座って息をしている。
後ろ手に縛られて、辛そうではあったが……。
「この娘の顔、見てくれ……」
平次郎親分が、沈痛な表情で俺にそう言った。
「娘? って、犯人は女……えっ? あれ?」
……その少女は、一瞬だけ俺と目を合わせ、そして下を向き、涙を流し始めた。
やがて、彼女は嗚咽を漏らし始めた。
「……えっと、あの……これって、どういうことですか?」
俺は意味が分からず……三郎さんと平次郎さんに説明を求めた。
「……さっき俺が飛び込んだとき、この娘は凄まじい反応を示した。身を翻して俺の体術を躱し、そして瞬時に扉から出て行った。あの新町橋で見せた身軽さ、俊敏な動きと同じ……間違いない、『妖怪仙女』の正体は、こいつだ……」
三郎さんの説明を聞いてもなお、俺は混乱していた。
っていうか、本当に意味が分からなかった。
数十秒考えて、そして俺は、自分がとてつもなく恐ろしい事をしてしまったと気が付き、血の気が引く思いをした。
――江戸の町を震撼させた、武士を襲いその刀を狩る『妖怪仙女』。
その正体は、元明炎大社の巫女で、今は『前田食材店』の売り子。
俺も良く見知った少女、『里菜』だった――。
 





