第十六話 手の届かないアイドル
啓助さんは、さらに話を続けた。
「黒田屋の主人は、お優さん一人に、二百両まで出すつもりだそうです」
「二百両……俺は借金を合わせてもぎりぎり五百両だから、優一人選ぶと別の誰か一人、助けられなくなってしまうのか……」
「いいえ、拓也さん、それは計算が違います。五百両という金額は、『あなたが買い取った娘を担保に借金する』という前提で成り立っているのです」
「あ、そうか。じゃあ……今、手持ちが百二十両、優を担保にしたとして借りられるのは八十両、合計、二百両……」
「そうです。『お優さんしか買い取れない』のです」
……俺は軽いめまいを覚えた。
五人を担保に、計四百両借金するという前提で、俺は全員救えると考えていたのだ。
優一人選んだ時点で、後の四人は買い取れなくなってしまう。
もちろん、無理をして優を選んだとしても、彼女は絶対に納得しない。
特に、まだ十三歳のユキ、ハルを犠牲にしてなど……。
「でも、啓助さん……それって確かな情報なんですか?」
「はい。話の出所が、私たちの主人だからです。昨日行われた定例となっている宴の席で、黒田屋の主人から直接その話題が出たそうです」
「直接?」
「そうです、おそらく、『わざと』その話を出したのです。今、こうやって拓也さんに、情報が伝わるのを見越して」
そう聞かされても、話がよく見えない。
「つまり、わざと自分たちの手の内を明かしたのです。娘一人に、相場の倍以上の金額を出すと。それで拓也さんをあきらめさせる作戦なのでしょう」
「……でも、どうして優だけ、そんな高額で……」
「直接見て、一目で気に入ったそうです」
「見た? 直接? ばかなっ……黒田屋の人なんか、あの家に来たこと無いはずだ。もしあったなら、源ノ助さんが報告してくれるはずですっ!」
思わず声を荒げてしまう。
「……それはおかしいですね……黒田屋の主人は、足が悪いのでいつも籠に乗って移動します。かなり目立つはずですが……」
「籠に乗って? 確かに一度、滝見屋っていう呉服店の店主が、籠に乗って来たことはありますけど……」
「滝見屋は黒田屋の直営店です。店主は同一人物ですよ」
「そんな……じゃあ、あの人が黒田屋の主人……」
確かに、俺はその人物と会っていた。
歳は五十近くで、小太りの、いかにも腹黒そうな商売人だ。
いつもつぎはぎだらけの着物ばかり着ている彼女たちに、安くても綺麗な物があれば着せてあげたいと思って、わざわざ時間を指定して来てもらったのだ。
その時は、いくら足が悪いとはいえ、籠に乗ったままあの急な坂を登ってくるなんて、と思っていたのだが……。
そしてそのとき、源ノ助さんの立ち会いのもと、店主を娘たち全員と会わせてしまっていた。
彼が持ち込んできた見本の中で、気に入った物がないか、彼女たちに見せるために……。
「俺の失敗だ……彼女たちは、部外者に会わせるべきではなかったんだ……」
「そうですね……私も、そこはもっと警告しておくべきでした……」
今更悔やんでも仕方がない。それにまだ、疑問点は解消していない。
「……でも、気に入ったからといって、倍の金額を出すものでしょうか。百両というと、家一軒建つ値段なんでしょう? 彼女一人に、家二軒分の額を出すことになる」
「確かに、高すぎるとは思いますが……それでも、価値があると思ったのでしょう。彼女は倍以上稼ぎ出すと。確かにお優さんは別格ですから」
「優が……別格?」
啓助さんが彼女の事をそんな風に考えていたことに、少し驚いた。
「そうです。お凜さんも相当な美人だと思いましたが……お優さんは、さらにその上をいきます。おそらく、その手のお店に出されるようになれば、短期間の内に人気を得て……最上位まで上り詰めることも可能でしょう。それほどの逸材だと、私は考えています。拓也さん、あなたもかなり気に入っているのではないですか?」
「……確かに……俺も、優を一目見たときからずっと……」
「そうでしょう。あなたや私がそう思うんだ、もっと目の肥えた黒田屋の主人には、金を生み出す打ち出の小槌のように見えたのでしょう」
……俺は最初に優を河原で見たとき、「現代ならば手の届かないアイドルだったとしてもおかしくない」と考えた。
それは、決して現代限定のことではなかった。
彼女は、この江戸時代においても、まさに「手の届かないアイドル」になり得る存在であり、そして実際にそうなりつつあるのだ。
「……啓助さん、あともう一つ、気になることがあるんです……」
「気になること?」
俺は、前日に侍に襲われた事を詳細に話した。
「……それだと、お優さんの名前が出たことを考えて、間違いなく黒田屋の手の者でしょう。その手の脅しは、彼等の常套手段です。ただ、実際に手を掛けたことはないはずです。さすがにそんなことをすればお咎めを受けるはめになるでしょうから。ただ、念のため、人目に付かない場所を、一人で歩かない方がいいでしょうね」
やはりそうか、と俺は納得した。
「啓助さん……なんとか……なんとか、あと百両、借り入れる事はできないでしょうか……」
無理を承知で頼み込んでみる。
「……そこなんですが、実は、何とかなる可能性はあります」
「本当ですかっ!」
思わず大声が出てしまう。
「ええ……これはあまり期待させてはいけないと思って黙っていたのですが……実は江戸の卸問屋に鏡を売り込みに行かせた際、同様の使者を、京と大阪にも派遣したのです」
「京と大阪……」
「ええ。そしてその結果が、そろそろ帰ってくるはずなのです。そこで江戸以上の受注を得ることができていれば、あるいは……」
「……啓助さん、どうかよろしくお願いしますっ!」
俺は、藁にもすがる思いだった。





