第百六十八話 出店計画(江戸編)
今から三百年前、江戸は世界でも屈指の大都市だった。
俺が現在メインで活躍している阿東藩の人口が数万人であるのに対して、江戸は百万人を越えていた。
何度か訪れたことがあるが、とにかく人、人、人――。
しかも、その多くが毎日白米を食べられるぐらいには裕福だった。
そんな大都会である江戸に直営店を出そうと思っても、何をどう売ればいいのか悩むところだ。
阿東藩においては、まず最初に会った人物が阿讃屋の手代、啓助さんだったのが幸運であった。
彼のおかげで人脈が広がり、鏡をメインとした商売を始めることができたし、真珠を藩主様に売り込むときも大活躍してくれた。
しかし、江戸に於いてはほとんど知り合いがいない。
出来れば絹の製品を扱いたいが、敷居が高そうだ。
ある程度資金に余裕があるとはいえ、例えばいきなり卸問屋を始められるかといえばそんな事は無い。
おそらくそれなりの『組合』があるだろうし、仕入れのルート、店員の確保、販売先(単発の客店売りだけでなく、まとめて買ってくれる大口の顧客)の開拓など、まあ一言で言えば『一人では無理』な問題が発生してくる。
ならば、最初は小さな店から始めようということになる。それでも『江戸にも店を出している』というアピールにはなるだろう。
とはいっても、何の店が良いのだろうか。
阿東藩に於いては、最初は鰻の蒲焼き専門店から始まった。
これは『良平』という板前を紹介してもらったことで実現したし、彼に指導を受けることでナツも料理がうまくなり、『前田美海店』へと繋がっていった。
しかし、繰り返しになるが江戸ではそんな人材も、紹介してくれる人もいない。
俺自身は料理ができないので、こうなると飲食店は難しい。
次に考えたのが、現代から便利な薬や品物を直接運び込んで販売する『前田妙薬店』のような店舗だ。
だが、これは目立ちすぎる気がする。
阿東藩であれば、
「ああ、仙人の前田拓也がまた面白いもの売り始めた」
と客や周囲も慣れたものだし、阿讃屋、黒田屋といった卸問屋とも協力関係にあるので、とくに妨害が入ったりすることもない。
だが、江戸でいきなり使い捨てカイロや石鹸なんかを売り出したらどうなるだろうか。
たちまち評判になる自信はある。
しかし、それをねたむ商売敵に
「怪しげな商品を販売している店がある」
と役人に通報され、調べられ、どうやってこれらの品を作ったり、仕入れたりしているのかと言われると、答えに窮することになってしまう(江戸では、三百年後から運んできたということは秘密にしておきたい)。
かといって、『前田湯屋』のようにいきなり銭湯を経営するにはハードルが高すぎる。
『女子寮』も時期尚早だ。
できれば、江戸時代でも栽培できて、かつ、他の店が簡単にはマネできないような農産物を取り扱うのが良さそうだ。
とすれば、今まで扱った物の中で受けが良かった物が二つある。
一つが『鶏卵』であり、これは阿東藩内に養鶏場を置いて、毎日新鮮な卵を取りに行っている。
鶏は良く卵を産むように品種改良された現代の品種であるが、まあそれはなんとかごまかせるだろう。
ただし、さすがに街中に養鶏場を作るわけには行かないので、郊外に土地を買って、鶏舎を作って……とかなり大がかりになるので、相当資金と時間が必要だ。
もう一つは『椎茸』だ。
阿東藩で一番大きなお寺『薬太寺』に栽培方法を教えてあげて、けっこうな生産地になっている。
菌種を植え込んだ状態の椎茸のホダ木は現代から持ち込んだ物だが、ちゃんと世話をしてやれば繰り返し椎茸が生えてくるし、栽培にはそんなに大きな場所も取らないので、長屋程度の建物を買ってそこで育てれば、自分で栽培した物ですよ、と役人にアピールもできる。
ちなみに、江戸時代に椎茸は料理に使われるものではあるが、当時は天然物しかなく、高級食材だ。松茸以上の希少品で、一般的には盆と正月ぐらいにしか食べられなかった。
(ホダ木に切れ込みを入れ天然の胞子が付着するのを待つ栽培方法もあったが、菌糸を直接埋め込む現代の手法とは収穫量がケタ違いだ)。
生椎茸と干し椎茸、両方扱う。
いずれも阿東藩の薬太寺がオリジナルだということにして、『薬太寺しいたけ』という名称で売りだせば、阿東藩の宣伝にもなるだろう。
店売りだけでなく、まとめて買ってくれる大口の顧客も欲しいところだ。
品質には自信があるので、評判になればそのうち取引を申し込んで来るところもあるかもしれないが、それを待っているだけでは商売人として失格だ。
そこで目を付けたのが、江戸郊外に存在する神社、『明炎大社』だ。
ここは妹のアキが、時空間移動に失敗して出現、保護されて以来、何度もお世話になっている場所であり、我々も真珠の首飾りを礼として渡したり、ナツやユキ、ハルを『天女見習い』として派遣するなど(これはやむを得ない事情があってのことだが)、彼等の布教に一役買っている。
なので関係は良好。椎茸を氏子に提供する料理の材料として使って欲しい、という売り込みはしやすいし、うまくいけば我々としても『あの明炎大社で使ってもらえている』と宣伝もできる。
それに、明炎大社の巫女長補佐である茜とも、久しぶりに会いたかった。
タイプは異なるが、優に匹敵する美少女である茜、誘惑されかけたときは正直、後一歩で落ちる、というところまで追い詰められたものだ(これは実は彼女の演技だったのだが)。
しかし、今回訪れるのに変な下心など微塵もない。
目的は椎茸の売り込みであるし、それに今回は優と一緒に訪れるのだ。
もう一つの大切な目的――優の妊娠の報告と、安産祈願。
優秀な宮司代理や巫女長補佐に直接、お願いしようと思っている。
最初に明炎大社を訪れたとき、結婚していたことは茜に話していた。
ちょっと時間が経ってしまったが、妊娠したことをやっと報告できる。
彼女達、祝福してくれるかな……。
期待と不安を胸に、明炎大社の大鳥居を、二人で手を繋いでくぐったのだった。





