第百五十七話 (番外編)ニセモノ
少女は、焦っていた。
もう日が暮れかけているのに、目指す阿東藩の城下街に辿り着くことが出来ない。
昨日の夜は、運良く小さな無人の神社のほこらを見つけて、そこで夜を明かすことができた。しかし、今日同じような場所があるとは限らない。
二つ山を越えた村から、彼女は職探しのために城下街を目指していた。
『前田拓也』という名前の商人の噂は、その村にも伝わっていた。
仙界と下界を自由に行き来する事が出来る仙人で、今では大商人となっている。
若く、美しい娘を選んで自分の店で働かせ、そして彼女たちが住む場所まで提供している。
それなのに、決して『いかがわしい店』ではないのだという。
そんな噂を聞く度に、彼女は『前田拓也』の元で働きたいと考えるようになっていた。
まだ数え年で十四歳、満年齢で十三歳の彼女だが、周りから『かわいい』とか『べっぴん』とか言われることが多く、自分でも器量はいい方なのではないか、と考えていた。
だから、彼に会いさえすれば、必ず雇い入れてくれるはずだ、と信じていた。
しかし、母親には反対された。
そんな噂などあてになるものか、大体お前に何ができるのか、と。
それでも、少女はあきらめなかった。
漁に出たまま行方知れずとなってしまった父。
彼の残した財産は、もうすぐ尽きてしまう。
そうなったら、自分達はどうやって生活していけばいいのか。
母親は「私がなんとかするから」と言ってくれるが、病弱な彼女に無理はさせられない。
そんなときに、『前田拓也』の噂を聞き始めた。
そして彼女は前日の朝、『前田拓也さんの元に雇ってもらいに行きます』と置き手紙を残して、家を出てしまったのだ。
「……城下街が、こんなに遠いなんて……」
彼女は後悔しながら、とぼとぼと道を歩いていた。
と、そこに荷を背負った一人の商人が、こちらに歩いてきているのを見つけた。
「助かった……あの人に聞いてみよう」
前田拓也は有名人。城下街に近いこの辺りの人であれば、だれもが彼の居場所を知っているはずだ……そんな短絡的な発想だった。
その商人は、三十歳ぐらいの小太りのおじさんだった。
彼女が『桜』という自分の名前と、これまでの経緯を告げると、彼は満面の笑みでこう言った。
「遠いところ、良く来たね。ちょうど良かった、私が『前田拓也』だよ」と。
優しそうな彼の言葉に、彼女は感動した。
そしてこんなに早く『前田拓也』に出会えたことを、神様に感謝した。
彼は握り飯を差し出してくれ、空腹だった彼女は喜んでそれを食べた。
彼の案内で、城下街へ向かうことにした。
だが、彼の後についていっても、徐々に道が細くなるだけで城下街にたどり着ける気配がしない。
すれ違う人はほんの数人で……中には、
「旦那、何かめぐんでくだせえ……」
とせがむ物乞いの姿まであった。
「ふざけるな、向こうへ行け!」
と怒鳴る商人に、彼女は『前田拓也』の印象が壊れる思いがした。
そしてすっかり日が暮れた頃、小さな集落に辿り着いた。
何人か、薄汚い服に身を包んだ男達が寄ってくる。
桜は怯えて商人に抱きついた。
「……怖がることはない。お前が抵抗しなければ、そんなに痛い目には遭わないはずだから。お前は貴重な商品なんだ」
彼はそう言ってくれたが……その穏やかな声を聞いても、不安は和らぐどころか、増す一方だった。
と、そこに深編笠を被った虚無僧が現れた。
そのあまりの不気味さに、少女は怯えた。
「権……お前がそんな小娘を連れてくるということは……身売りか?」
「へえ、そうです……家出娘らしくて、今日泊まるところもないと申しております」
えっ? と、少女は思った。
「身売り? 一体何のことですか……?」
「決まっているだろう、今日泊るところもないような娘が生きていくには、その身を売ることぐらいしかないって」
「そんな……拓也様、話が違います……」
「拓也? 俺が前田拓也だと、今でも信じているのか?」
その瞬間、桜は気付いた。
この人は、前田拓也なんかでなはい、ニセモノだ……。
しかし、その人物名には、意外にも虚無僧が反応した。
「なっ……貴様、『前田拓也』の名前を出したのか?」
「へっ? へえ、そう言うとこの娘が付いてくると思いましたから……」
「……お前はなんということをしでかしたんだ、今からでも遅くない、その娘を本物の前田拓也の元へ連れて行け」
「へっ? それって、一体どういうことで……」
と、彼が驚いたように話したその時……。
「いや……もう遅いな……」
どこからともなく声が聞こえた。
虚無僧は、チッと舌打ちした。
権が訳がわからない様子できょろきょろしていると……いきなり目の前に、若い男が現れて、彼は仰天してしまった。
「サブ……相変わらず仕事が早いな……」
虚無僧が呆れたように声を出す。
「まあな……今回の件、あんたは関係無いようだな。この男、連れて行くが異論はないな?」
「ああ、好きにしろ」
権は、頭の中が真っ白になっていた。
烈風のサブ……阿東藩で最強の忍と噂される闇の者だ。
元々は下忍のはずだったが……仙人『前田拓也』と出会ってからめきめきと頭角を現し、今や藩主でさえも一目を置く存在に成り上がっていたのだ。
それにしても、なぜこの娘を騙して連れてきたことを、彼が知っているのか……それすらも忍術なのか、と権は怯えた。
『忍』は、彼等の生命線として情報網をいくつも持っている。
今回の場合、引っかかったのは物乞いの男だった。
彼等は、金銭を恵んで貰うだけで仕事をしていない。
あまりその存在を意識されないため、一般町人は彼等の前でも平気で世間話などをしてしまう。しかしそこに、彼等にとっては『おいしい』情報が紛れ込んでいることがある。
『拓也』という名前の男は、この時代ではめずらしい。
その名前を語り、少女を連れて歩く三十代の小太りの男……そしてそれが『性悪の権』と知っていた物乞いの男にとって、それは絶対に逃してはならない情報だった。
そして彼は、何かめぼしい情報がなかったか尋ねに来た間者にそれを伝え、そして三郎の耳に入ったのだ。
彼にかかれば、そのニセ拓也が娘を連れているとすれば、騙して身売りする魂胆なのだろうと思い至るのは必然だった。
小悪党の『権』が、そんな事を知る由もない。ただ震え上がるだけだ。
「さあ、行こうか権……ただで済むと思うなよ……」
三郎は凄みを利かせた声で彼を脅す。
「あの……待ってください、その人は悪い人じゃありません」
「……なんだと?」
意外にも、止めに入ったのは桜だった。
「その人は、私に握り飯をくださいました。だから……私は恩があるのです」
「馬鹿な……お前は売られそうになったんだぞ……」
「あ……でも、売られませんでしたし……」
怖々彼女がそう言うと、三郎は
「チッ……握り飯一つに救われたな……この娘に感謝しろよ」
と、権を離した。
彼は、へなへなとその場に座り込んだ。
「いいか、今度『前田拓也』の名を悪事に使ってみろ。今度は生きて返さないぞ……あんたもだ」
三郎は、途中から虚無僧に顔を向けてそう言い放った。
「無論……我らにとって『前田拓也』は何ら敵対すべき者ではない。お前にもな」
「……ならいい。ところで、娘……おまえ、今晩泊るところもないというのは本当か?」
「あ、はい……」
と、桜は涙目でしょげる。
「まったく、家出なんかするからこんな目に遭うんだ……少しは懲りたか?」
「はい……もう二度としません……」
本気で反省しているようだった。
「……しかし、これだけ遅くなるともう家には帰せないな……仕方無い、本物の『前田拓也』のところに連れて行くとするか」
「……ええっ、本物の前田様に……会えるんですか?」
と、彼女は喜びの表情を見せた。
やれやれ、と三郎は肩をすくめた。
その時、二人はまだ知らなかった。
置き手紙を見て仰天した桜の母親が、病弱な身であるにもかかわらず、丸一日かけて本物の前田拓也の元を訪れていたことを。
そして、母子と拓也の話し合いの末、彼女が『二期生』として正式に雇われる結果になることも。
また、裏の世界では、本人の知らないところで、『前田拓也』に決して手を出してはならない、という暗黙のルールが出来ていたのだった。





