第百四十六話 (番外編) 大晦日とお正月
今回は、番外編として半年ちょっとさかのぼり、涼姫と出会う前の、年末年始のお話です。
享保五年、大晦日。
この時代、この日は商人にとって、最も忙しい日だ。
なにせ年内に、立て替えて置いた代金の支払いや取り立てをしてしまわないといけない。
『前田屋号』の各店は基本的に現金払いだし、小売りだから掛け売りもしていない。
だから借金取りや回収の必要はあまりないのだが、周りが店を閉めていないので、雰囲気に飲まれ、各店舗とも開けていた。
『食い物通り』は深夜になっても活気に満ちている。
やはり蕎麦屋が一番忙しい。年越し蕎麦の習慣は、この時代でも存在していた。
なんというか、お祭り騒ぎっぽく、なぜか俺も、嫁達も、雰囲気を楽しんでいる。
門松も立てている。
しかし、現代の門松とはかなり異なり、三本の竹を切ったのではなく、葉っぱの付いた、細い、屋根まで達する長い竹を束ね、店の両脇に飾っているのだ。
松は下の方に数本刺さっている。
見上げるような高さだが、緑一色で、あまり派手ではない。
しめ縄も飾り、正月の準備は万端だ。
やがて、除夜の鐘が聞こえて来た。
百七回が年内に突かれ、最後の一回が年が明けてから突かれる。
つまり、鳴り終わったらもう年が明けているということだ。
やれやれ、とようやく『前田屋』、『前田美海店』、『前田妙薬店』とも店じまい。
天ぷら蕎麦のために同じく営業していた『いもや』のヤエと、その母親のお鈴さんは挨拶をして先に前田女子寮へと帰ろうとする。
そこに、同じく女子寮へ向かうお梅さんと桐、玲が加わり、女子五人、賑やかに帰って行った。
鰻料理専門店『前田屋』の良平とその彼女の梢も、同じく先に帰って行く。
二人はすでに同棲していて、祝言をあげるのも間近だ。
こうして残ったのは、俺と優、凜、ナツ、ユキ、ハルの嫁五人だ。
この日は新月、帰り道は真っ暗だが、LEDが入った特製提灯で足下は万全。
寒さ対策も、厚手の半纏と手袋、それに使い捨てカイロを使っているのでバッチリだ。
現代にも続く正月イベントに参加するのだが、徹夜になるのでその前に腹ごしらえをしたい。
既に年が明け、おめでとうの挨拶は済ませている。
帰り道もみんな、テンションが高いままだ。
この時代の正月は、盆と同じく、天気が良くても店を閉めていられる本当に特別な日なのだ。
前田邸に帰ると、あらかじめ用意していたお雑煮を食べる。
すまし汁に、焼いた四角い餅。小松菜やかまぼこ、三つ葉、大根、里芋などが入っていて、美味しい。
さすがナツが仕込んでいただけのことはある、とみんなが絶賛すると、めずらしく照れていた。
少しだけ時間があったので、かるたで遊ぶ。
なにか懸けないと面白くない、ということで、優勝者は明日の夜、俺と二人きりで過ごす権利を得る、ということになった。
ちなみに、俺は読み上げ係。
「絶対私、一番になるからっ!」
こういうときに俄然張り切るのはユキだ。
「……私、自信ないです……」
対照的に、苦手なのはハル。双子なのに、こういうときは全く性格が異なる。
「あら、本気の私に勝てるかしら……」
凜も中盤から追い上げ始める。なんか大人げない。
「ふん……私は別にご褒美がどうとかは興味無いが、勝ち負けにはこだわらないとな……」
序盤興味なさそうだったナツも、だんだん本気になってきた。
優はこんな時、一歩引いて、みんなを立てようとする。
一応、自分の目の前にある札は取るのだが、真ん中とか、他の人の前にある札は取ろうとはしない。
うーん、俺と今年初めて二人だけになることに、興味ないのかな……。
しかし、終盤に来て状勢が変化。
ユキとハルが睡魔に襲われ、戦線離脱してしまったのだ。
こうなると、興ざめしたナツもやる気を無くしてしまう。
とすると、凜も妹の優に譲るようになってしまい……結局、優勝者は優。
めでたく優と一緒に今年最初の夜を過ごすことと決まったのだった。
そうこうする内に、そろそろ出発しなければいけない時間となってしまった。
目的地は、阿東川河口。初日の出がよく見えるポイントだ。
ちょっと可哀想だけどユキとハルを起こして、また防寒対策を万全にして出発。
新月のため、あいかわらず真っ暗だ。
ちなみにこの時代、旧暦つまり太陰暦のため、正月は必ず新月。
そう言う意味でも、最初の日の出は真っ暗な中から現れる明るい太陽ということで、また格別の意味がある。
この時代、交通手段は一般の人は徒歩。
最初は真っ暗で提灯が必須だったが、河口に近づくにつれて、だんだん空が白ばみはじめる。
既に海岸には、他数の人でごった返していた。
この時代でも、初日の出を拝むのは一大イベントだ。
幸いにも天気は晴れで、半刻後には、オレンジ色の美しい太陽が現れ、そのご来光をみんな手を合わせて拝んでいた。
帰り道、「綺麗だったね」と眠そうに目をこすりながら話すユキとハル。
まあ、俺も優もあくびをしていたのだけれども。
そして最後のイベントは初詣。
といっても、この時代には元旦に「初詣」という習慣はなく、初めての縁日に寺社にお参りに行くのが「初参拝」となる。
しかし、近所の神社は毎月一日が縁日。つまり、たまたま正月最初の縁日が元旦だ。
そのため、結果的に現在の初詣と同じように早朝から参拝することとなった。
屋台とかも出ていて、賑わいも現代の初詣と遜色ない。
手水舎で手と口を清め、神殿まで進み、賽銭を入れる。
鈴を鳴らし、二礼二拍手をし、各々お祈りをする。
最後に一礼し、参拝終了。
このあたり、凜を除く四人は巫女の経験があり、凜も彼女たちから教わっていたために完璧だ。
最後にみんなでおみくじを引く。
その結果、なんと全員大吉という信じられないような結果。
けど、なんか周りも大吉が多かったから、ひょっとしたら半分以上のくじがそうだったのかもしれない。
しかし優曰く、おみくじというものは、「大吉」とか「凶」とかの総合結果よりも、描かれている箇々の内容のほうが大事なのだという。
そしてこの神社のおみくじ、非常によく当たるらしい。
それで俺の結果をみんな見たがる。
まず、商売。
『ますます繁盛 大きな利あり』
うんうん、これは何よりだ。
病気:
『心配なし』
シンプルだけど、まあ、いいに越したことはない。
失物とか、待人とか、どうでもいいのは置いといて……。
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……へっ?
「いやいや、これはないだろう。もうすでに五人もいるんだし……」
と笑って済まそうとするが、その五人はジト目でこちらを睨んでいる。
「……やはり貴様、まだ女好きのクセは治っていないようだな……」
やばい、ナツは本気で怒っている。
「ち、ちがうって。おみくじに書いてある内容でそんな目で見られても困る!」
「……でも、さっき優も言ったとおり、凄く良く当たるんですよね? それにひいたの、拓也さん自身ですよね?」
凜もなんとなく言葉がきつい。
「ああ、もういいっ! もう一回ひくっ!」
と、俺がヤケになったところで、みんな笑って許してくれた。
まったく、そんなわけないよな……と、俺はその時、そう信じていた。
こうして、更なる飛躍を目指すべく、享保六年は無事始まったのだった。





