第百四十二話 次期当主
「……話っていうのは……」
なんとなく予想できたが、俺は少しはぐらかすように聞いてみた。
「拓也様……阿東藩の、次期当主になっていただけませんか?」
――それは、思っていたより遙かにストレートな言葉だった。
数秒間、言葉を失い……ようやく紡ぎ出したセリフは、
「……と、突然そんな事を言われても……」
だった。
「……このお話は、父や、お蜜さんから拓也様に、事前に打診があったはずですが……」
彼女の表情は、真剣そのものだった。
涼姫は、全て知っている。
彼女の父、つまり現藩主が、俺を婿入りさせ、次期当主にならないかと誘ってきたことも。
その話を聞いた五人の嫁達が、俺の背を後押ししてくれているということも。
「……分かったよ。君がそこまで決意してくれたんだ、俺も真剣に答えるよ……結論から言うと、その話は辞退させてもらおうと思っている」
「……そうですか。残念ですが……仕方ありませんね……」
涼姫は、寂しそうに下を向いた。
しばらく、沈黙が続く。
「……理由は、聞かないのか?」
「……拓也さんも真剣に考えていただいてのことなのでしょう? でしたら、あまり強くお願いすることはできません。ただ、個人的には参考として知りたいのですが……って、また『何でも知りたがる』悪い癖、出ちゃいましたね」
と、少しだけ笑顔で答えてくれた。
俺の事を『拓也さん』と呼ぶ、いつもの彼女だ。
「いや、俺もちゃんと説明する必要があると思っていた。まあ、ぶっちゃけていうと『荷が重い』……俺は藩主なんて器じゃない。実際、商人として二十人ほど雇っているけど、それだけでもかなりの重圧を感じているんだ。だって、俺がなにかヘマをして事業が失敗した場合、全員の生活が成り立たなくなるかもしれない。だからずっと気の抜けない日々が続いている。慣れの問題なのかもしれないけど……」
「いえ、拓也さん、真面目ですから。やっぱりずっと責任、感じてたんですね。今の私なら、それが分かる……」
彼女の眼差しは、以前は感じられなかった、大人のそれだった。
「……そういえば、君は過去の世界で、大活躍したらしいね。慶姫、誠姫と協力して地方豪族を統一し、さらには敵対していた『海円衆』まで配下に収めたとか」
「……実際にはそこに貴方の叔父である氷川様のご助力によるところが大きかったのですが。私はちょっとお手伝いをしただけで、本当に頑張っていたのは二人の姫君です。思い知らされました……『身分』っていうのが、これほど重いものだったっていうことが……半年前の私は、本当に子供でした……って、今もまだ、大人になんかなっていないかもしれませんが」
恥ずかしそうに小さく笑う彼女。さらに言葉を続けた。
「あの頃、私は単純に……父が決めた人と夫婦になり、その方や家臣の方々と協力して、この藩が豊かになるよう、一生懸命に頑張って行こう……そのぐらいの認識でしかありませんでした。でも、あちらの世界で思い知った……それがどれほど大変な事なのか、どれほど責任を感じなければならないことだったのか。一つ判断を間違っただけで、大勢の方々に迷惑をかけ、その生活を脅かし、さらには命の危険にさらしてしまいかねないと……」
「……本当に、ずいぶん成長したんだな……俺なんかより、遙かに強くなってる」
「いえ、そんな事ないです。拓也さんは、本当に凄い方です、あんなに多くの方々から、心から慕われているのですから……ですので、私のさっきのお願いは……私なりに、本当に一生懸命考えて、いろんな方々の意見も参考にしてお願いしたんですよ。私が今まで生きてきた中で、最大の決断でした……予想通り、断られましたが……」
「……予想、してたんだ……」
「はい、その理由も……予想通りでした。拓也さんは優しい……みんなに優しすぎて、時には厳しい判断をしなければならない藩主という身分にはなりたがらないだろう、と……でも、ひょっとしたらそれすらも、と……いえ、ごめんなさい。私の勝手な妄想です。拓也さんの優しさは、それが最大の魅力でもありますからね」
「……いや、確かにその優柔不断さは、俺の欠点だ。全ての人を幸せに、なんてできないことなんだ。藩主になれば、時には誰かを見捨てないといけないかもしれない。でもその決断が、俺には多分できない……これでも真剣に考えたんだ、もし俺が藩主になって、それで藩全体が豊かになったならば、『身売り』するような女の子もなくなるんじゃないか、ってね。でも、俺はそこまでの器じゃない……」
「……本当に真剣に考えて頂いたんですね……その……もうひとつ条件があったのに……」
彼女が急に、顔を赤らめたのを見て、その『条件』を思い出した。
「あ、あの……君に『婿入り』するっていう……ま、まあ、それは後付けって言うか……いや、大事なことなんだけど、その……君の気持ちが分からなかったのと……い、いや、俺は君の事すごく気に入っていたし、でも君が嫌っていったらそれまでだと思ったから……一応、嫁もいるし……あ、でも嫁達も『お涼なら構わない』って言ってくれてたし……って、俺、何言っているんだろう……」
思わぬ方向に話が進み、俺はドギマギしてしまった。
「……嬉しいです、そんな風にちゃんと考えていてくれていたなんて。私としては、さっき拓也さんが言ったように『後付け』の理由でも構わなかった。でも、正直に言うと……それも含めて、拓也さんに藩主様になって欲しかった……って、私も何言っているんでしょうね」
月光に照らされた彼女の顔は、真っ赤になっていた。
多分、俺も同じだっただろう。
「でも、仕方ありませんね……拓也さんが決断された事ですし……ただ、まだ最終決定というわけではない……いえ、未練がましいですね。拓也さんの意思を尊重します」
「ああ、ありがとう……正直に言うと、俺もちょっと残念に思っているところはあるんだけど、時間が経ったとしても、恐らく俺の考えは変わらない。もっと藩主にふさわしい人が必ず現れると思う。そうなったら、俺も藩全体のために、微力ながら協力させてもらうよ」
「はい、ありがとうございます……って、私はまだ、拓也さんお店の『従業員』で、修行中の身なんですけどね」
「ああ、そういやそうだったな。また明日から、店の手伝い、よろしく頼むよ」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします!」
彼女が元気よくそう挨拶をして、二人で笑い合ったところに、タイミング良くお蜜さんが帰ってきた。
まあ、どこかに隠れて俺達の様子を見ていたんだろうけど。
そして三人とも、笑顔で女子寮への帰路を急いだのだった。
――この時、俺も涼姫も、まだ知らなかった。
俺の他にもう一人、彼女が決して望まないであろう『婿入り候補』がいたことを。
そして阿東藩全体の行く末に、暗雲が漂い始めていたことを。
書き換えられた歴史のうねりに、俺も涼姫も、そして五人の嫁達までもが巻き込まれようとしていた――。





