第十三話 歓喜と絶望
旧暦の九月一日。
身売りっ娘たちの支払期限である九月十四日まで、あと二週間に迫っていた。
全員買い取るには五百両必要なのに対し、今まで稼いだ金額は三十両に満たない。
普通に考えれば、五百両は到底到達しない途方もない大金だ。
しかし、それはあくまで地方である「阿東藩」での話。
江戸であれば経済規模も全く異なり、卸問屋と手を結べば、一気に大量の商品を売ることだって可能なはずだ。
それこそが、俺の「起死回生」の一手だった。
具体的には、いつもお世話になっている万屋、正式名「阿讃屋」と手を結び、そのルートを通じて俺が現代から仕入れる珍しい商品を江戸の卸問屋に一括購入してもらおうという算段だ。
俺としては時空間移動装置である「ラプター」で地点登録できれば直接江戸に行くことが出来たのだが、その「地点登録」するために現地まで行かないといけないのがネックだった。
正式な「商人」の身分をもらったのは最近で、それまでは関所を通過することも出来なかった。
また、歩きでは江戸はあまりに遠い。
仮に江戸にたどり着けたとして、啓助さんのような知り合いがいるわけでもなく、自分が卸問屋に売り込んで、いきなりうまくいくとは思えない。
やはり、ここは「阿讃屋」の協力を仰ぐのがベストだった。
そしてこの日は、江戸の卸問屋からの回答が来る日だった。
俺は「阿讃屋」の奥の部屋で、啓助さんにその内容について報告を受けていた。
「まず、『しゃき』ですが……これは注文がもらえませんでした」
「ダメ……でしたか……」
「ええ。物珍しいカラクリであることは認められたのですが、やはり消耗品が本当に継続して供給できるのかどうか、不安だということです。あと、故障したとき直せるのか、ということも」
「うーん……それは仕方ないなあ。まあ、正直厳しいとは思っていたので。問題は、鏡の方ですが……」
俺は、半分聞くのが怖かった。
現代の、すばらしく映りのいい鏡。これは高値で売れるはずだ。
これが受注出来なければ、彼女たちを救い出すことは絶対に不可能なのだ。
「鏡については、ある程度まとまった注文をいただきました」
「本当ですかっ!」
「はい、初回注文として、一千枚です」
「一千枚……」
やや期待はずれだった。
鏡は「阿讃屋」に引き取ってもらう金額が、一枚一朱、十六枚で一両。
つまり、千枚でも、六十二両ちょっとにしかならないのだ。
これでは、誰か一人を助け出すこともできない。
「ただし、我々の主人が江戸での取引が増える事を喜んでおりまして、さらに急な受注にも応えられるよう、五百枚を『阿讃屋』として追加で保存しておくことを決めました」
「……それじゃあ、合計で一千五百枚……」
「そうです。お支払金額は、九十三両三分になります」
救われた気分だった。
これで手持ちの資金と合わせると、百二十両近い金額となる。
現代の価値にして、約一千二百万円。
ただ、これでも「百両」という金額の身売りっ娘は、たった一人しか買い取る事ができない。
「拓也さん、よく頑張りました。百両あれば、前にお話ししたあの手段が取れます」
「はい……彼女たちの了承があれば、ですが」
「拓也さんなら大丈夫です。間違いなく、彼女たちを説得できますよ」
「だといいんですが……」
言葉では不安そうに見せたが、俺は確信していた。
「前田邸」の五人娘は、絶対にこの話に乗ってくれると。
その日の午後、「前田邸」に戻った俺は、五人全員を囲炉裏部屋に集めた。
現在、そして今後の彼女たちの処遇について、早めに話しがしたかったのだ。
「まず、今の状況だけど……今日、啓助さんと話をして、江戸でまとまった数の鏡を売ってもらえることになった。とりあえず、啓助さんのところで予備として買い取ってもらえる分も含めると、百両近く入ってくる」
「百両……」
全員、目を見張った。
「ただし、このままではたった一人しか買い取る事ができない」
俺の言葉に、緊張が走る。
ただ、こんな風に「五人中、○人しか買い取りできない」と言う状況は、あらかじめ想定されていた。
たとえばナツは、「自分は一番最後でいいから、ユキとハルを優先させて欲しい」と言っていた。
凜さんも同意見。本当は実の妹の優を優先させたかったかもしれないが、優は「絶対にユキちゃんとハルちゃんを優先させて」と言っていたので、結局三人とも双子優先、と決めていた。
年齢が幼い順でいくと、本来は「ナツ」が次に優先されるが、彼女は「自分が身を売って稼がねば、両親のいないユキとハルを食べさせてやれない」と主張。優と凜さんを優先させるように、密かに俺に頼み込んでいた。
俺と優が仲が良いことも、彼女は気に掛けていた。
けど、そう考えると、「ひょっとして、ナツはわざと俺と仲良くならないように、そっけない態度を続けていたのではないか」と深読みしてしまう。
こんなふうに、「誰を優先するか」という問題は、俺の頭の中でも、常に悩みの種になっていたのだ。
そして現状のままでは、双子の片方しか助けられない。
もちろん、どちらかを選ぶなんて残酷なことは、俺にはできない。
あと二週間、頑張ったとしても、今のペースでは「よほどの幸運があって二人目を買い取る事ができるかどうか」という、ギリギリの線だった。
このままでは、凜さん、優、そしてナツの三人は身売りされてしまう。
ユキ、ハルにしても実の姉のナツと引き離されてしまうわけで、その表情は硬い。
「確かにこのままじゃあ、一人、よっぽど頑張って二人しか買い取れない。でも、一つだけ抜け道がある。そのためには、みんなの承諾が必要だ」
「承諾……?」
全員、顔を見合わせる。
「それは……君たち自身を担保にして、一人八十両、計四百両、半年間の期限で借りることだ」
……全員、ぽかんとした顔になる。
「つまり、手元にある百両と、借金をして手に入る四百両、計五百両で君たちを買い取る」
「……それで、あの……つまり、私たち、どうなるんですか?」
凜さんがよく分からない、という表情で質問してくる。
「君たちは、半年後に俺が利子を含めた五百両、返せないときの借金のカタだから、閉じ込められることになる……そう、この家に」
「えっ……ということは……」
「まあ、単純に言えば、ここでの今まで通りの生活が、半年間延長されることになるんだ。もちろん、その間に俺が五百両貯めてしまえば、その必要もなくなるけど」
「じゃあ……私たち、あと半年も……身売りされなくて済むんですか?」
これは優のセリフだ。
「その通り。飲み込みが早くて助かるよ。ただ、いままで同様、この敷地から一歩も外に出られないし、不便だと思う。だからこそ、承諾が必要だって言ったんだ」
「承諾もなにも……」
凜さんが、涙を浮かべて他の娘たちを見る。
「身売りされるか、この家に残るかなんて言われたら、残る方を選ぶに決まってるじゃないか。タクヤ殿……ありがとう……」
ナツが、珍しく泣きながら礼を言ってきた。
それをきっかけに、全員が泣きじゃくり始めた。
俺も泣きそうだったが、意地でこらえた。
「みんな、そんな大喜びするのは早いよ。後半年のうちに五百両、稼がないといけない事実があるんだ……まあ、江戸っていう一大消費地と取引できるようになったんだから、大丈夫だと思うけど」
「……そうですわね。みんな、協力して拓也様を支援しましょう。とりあえず……今日はみんなでお風呂に入って、拓也様の背を流して差し上げましょう!」
「い、いや、凜さん、それはちょっとおかしいから……」
「優、あなたは前回、真っ暗にして裸、見せなかったんでしょう? 私たちは見せたんだから、そんなズルはダメよ」
「えっ……は、はい、拓也さんが望むなら……」
「いや、俺はそんなの望んでないからっ」
思わずそう言ってしまうと、それはそれで優はショックだったみたいで、悲しそうな目をする。
「……ごめん、望んでる……」
「貴様っ、やはりそんな目で優の事を見てたんだな。……まさか、妹達に対してもそうだったんじゃないだろうなっ!」
ナツがいつもの調子に戻った。まあ、この娘はこれがデフォルトだ。
「だあぁ、どうしろっていうんだっ!」
逆ギレした俺に、また皆から笑いが起こった。
完全ではないにしろ、最悪の事態が遠のき、みんな心からほっとしていた。
風呂はまだ沸かしていなかったので、実家に帰らなきゃ、といって逃げ帰った。
そのかわり、翌日はごちそうでお祝いした。食材は俺が用意したんだけど……。
思えば、この二日間が、最も幸せだったのかも知れない。
翌日の九月三日も、俺は鏡を「阿讃屋」に運び込んでいた。
一度に現代から持って行く鏡の枚数は限られるため、受注分全て揃える為には、こうやってこまめに足を運ぶ必要があるのだ。
そんな俺の様子を見て、青くなった啓助さんが近づいてきた。
「拓也さん、話があるんだ……」
不審がる俺を、彼は奥の間に連れて行った。
「拓也さん……まずいことになった」
「まずいこと? ……まさか、江戸の受注が取り消しになったとか?」
「いや、それは問題ない。既に前払い金もいくらか入ってきているし」
ほっと胸をなで下ろす。
「そうじゃない。けど、重要な事です……私たちの商売敵でもあり、盟友でもある『黒田屋』という店があるのですが……」
「はい、もちろん知ってますよ」
「黒田屋」は「阿讃屋」と並んで、この地方の二大卸問屋となっている。啓助さんの言うように商売敵でもあるが、他の問屋がこの地方に入り込んでこないよう、協力して排除活動を行う盟友でもあるのだ。
「そこの主人が、あたなの所の「身売り娘」たちに目をつけて……百両よりずっと高い値段で買い取る、と言い出したのです」
「えっ……そんなっ! 俺と阿讃屋さん、契約してますよね」
「はい……とくに既にお支払いいただいている『仮押さえ』費用については揺るぎないものです。いかに阿東藩において最上位の特権を持っている黒田屋の主人でも、期限の切れる十四日夕刻までは手出しできません。問題はそのあとです」
「そのあと?」
「そう。その後の娘たちの処遇については、あなたと我々は売買がまだ成立していません」
「そんな……約束してるじゃないですか」
「そう。『約束』だけなんです……そしてその『約束』だけの契約の場合、黒田屋は割り込んでくるだけの特権を持っているんです。そしてそういう話になると、我々『阿讃屋』は、より高い買い取り価格を提示した人に対して、娘を売るより他ありません」
「……つまり、わかりやすく言うと、どうなるんですか」
次の言葉を、息を飲んで待った。
「彼女たちは十四日の夕刻、セリにかけられます」
……俺は、目の前が真っ暗になるのを感じた。





