第百三十五話 やましいこと
春の穏やかな日差しが降りそそぐこの日、俺は四人の少女達と、桑畑を訪れていた。
メンバーは、『女子寮』のお梅さん、桐、玲、そして恋人の優だ。
桑畑は『前田邸』から歩いて三十分ほどの距離で、標高三十メートルほどの丘になっている。
広さ約一ヘクタール。つまり百メートル四方ほどで、結構な広さだ。
一面に大人の胸元ぐらいまでの高さの木が植わっており、黄緑色の新芽が出始めている。
「これが桑畑……なんだかちょっと殺風景ね……」
と、お梅さんが素直に感想を漏らす。
「ああ、まだあんまり葉っぱが繁ってないからね。でも、あと二ヶ月もすれば一面緑で覆われるはずだ。きっと驚くと思うよ」
と、俺は得意げに語った。
本当は初めての試みだったので、かなり不安はあるのだが、調べた資料の通りであればそうなるはずだ。
桑は山に行けば普通に存在するのだが、人工的に並べて育てた場合、特に葉っぱが繁っていない頃は、本当に寂しく見える。しかし、だからこそ今の状況を知っておけば、二ヶ月後には驚きと喜びを持って迎えられるはずだ。
「わたすが知っている桑と、大分違いますね……」
「本当……大丈夫かな……」
玲も桐も、心配そうだ。
優に至っては、全くしゃべっていない。っていうか、なんか寂しそうだ。
「優、なにかあったのか?」
「……えっ? ……いえ、なんでもないですよ」
と、笑顔を返してくれた。
「そうか? ならいいけど」
ちょっと気にしつつも、俺は四人の女性達を、畑に隣接する養蚕小屋に案内した。
二階建てで、前田邸にも劣らぬほどの立派な、小屋と言うには大きすぎるほどの建物だ。
後々、一万頭以上もの蚕を飼育するということで、あらかじめそれなりの規模の飼育場を藩主様は用意してくれたのだ。
「……暖かい……」
小屋に入って、まず少女達はその室温に驚いたようだ。
炭火を使おうかとも思ったが、温度調整が難しいので、現代から持ち込んだ石油ファンヒーターで室温を二十五度程度に保つよう設定している。
灯油をこまめに運ぶ必要はあるが、ずっと炭火の番をしているよりは楽だ。
また、あまり湿度が上がりすぎないように、適度な風通しも必要になる。
今のこの環境を作るのに、かなり苦労した。
そして蚕座と言われる、仕切りのついた台の上に、うようよとうごめく蚕たち。
体長二センチほどの白いそれが、数百匹存在している。
それを見た少女達は、最初はちょっと引いていたが、与えた人工飼料に群がる様子に、なんだか愛着を持ち始めたようだ。
「本当は桑の葉を与えるんだけど、今はまだ十分には手に入らないし、試験的に育てているだけだから、仙界から持ち込んだこのエサを与えているんだ。本格的に飼育を始めたら、この十倍ぐらいの数になるはずだよ」
と、俺は誇らしげに語った。
「……それで、いつ絹糸を吐くんですか? もうすぐ?」
桐が目を輝かせてそう語る。
「いや……まだ二十日ぐらい先だよ。それに、いきなり絹糸を吐くんじゃないんだ。こんな風に繭を作るんだよ」
と、俺はあらかじめ用意していた、小さな饅頭ぐらいの、長丸く白い繭を見せた。
「うわあ、めんこいっ!」
玲が歓声を上げる。
「蚕は、この中で大人、つまり蛾になるために眠っているんだ。でも、そうなることはない。糸を紡ぐために、この繭を煮るからだ」
「えっ……そんなことしたら、カイコ、死んでしまうのでは……」
桐がちょっと怯えた表情を見せる。
「ああ、そうだよ。絹糸っていうのは、蚕の犠牲の上に成り立っているものなんだ……その死骸も、無駄に捨てたりはしない。釣りエサにして活用出来るんだよ」
「でも……なんだか可哀想……」
「ああ……けど、人工的に育てなければこの蚕たちは生まれてくることもなかったし、お腹いっぱいに餌を食べることもできなかった……って、それは人間の勝手な解釈なんだけどね。でも、この蚕たちの犠牲の上に、俺達は豊かな暮らしを手に入れることができるんだ」
少女達は神妙な面持ちだったが、これは農業に於いて仕方が無いことだった。
だからこそ、我々は天の恵みである絹糸を、決して粗末に扱ってはならないのだ。
「……じゃあ、こっちに来てみて……ほら、これが『座繰り機』だよ。これで繭を糸に変えていくんだ。ちょっとずつ引っ張られて、糸になって巻き取られる様子が分かると思うよ」
俺はそう言って、タライの湯に浮かべた繭から糸を巻き取る作業を実践して見せる。
複数の繭から何本もの細い糸を取りだし、束ねて一本の糸にする。
「本当、糸になっていく……綺麗……でも、これってかなり手間がかかりそうね……」
お梅さんは、今後自分達が関わる仕事とあって、真剣に関心を持ってくれている。
桐も、玲も、そして優も、負けじと俺の作業をしっかりと見てくれた。
「まあ、この『座繰り』に関してはもう少し効率のいい道具を持ち込むつもりだけどね……でも、これでもまだ糸の段階だ。これを機織りで反物にして、ようやく呉服店に売られていくんだ……桑の栽培から考えると、ものすごく多くの手間がかかる。大勢の人たちの労働力が必要になる。でも、それに見合うだけの値段がつくんだ」
「ということは……それだけ、大勢の人たちの仕事が確保できる、ということですね……」
優が、感心したようにそう口にした。
「ああ……さっきの『座繰り』なんかだったら、力は必要無いから女の子でも出来る」
「それが、私達の仕事になるんですよね……」
桐は何度も頷きながらつぶやいた。
「その通りだよ。順調にいけば、もっと多くの女の子達を雇うことが出来る。賃金も払うことができるようになる」
「……そうすると、もう阿東藩からは、身売りする様な娘はいなくなるということですね……」
優が、少し目を潤ませながらそう話した。
俺はちょっと、ドキリとした。
彼女は元々、身売りされそうになった経験を持っていたからだ。
「ああ、そうだな……藩全体が豊かになれば、そんな思いをする娘もいなくなる。それが俺の目標だよ」
「本当、この蚕を育てる……養蚕の仕事は、拓也さんの理想に完全に合っている……そして拓也さんは、いつも藩全体のことを考えている……やっぱり、すごいです……」
と、優はいつになく俺のことを褒めてくれる。
しかし、その表情は、なんだか少し憂いを含んでいるように見えた。
「優、なんだか今日はいつもと違う……何かあったのか?」
「えっ……い、いえ、なにもないですよ」
と、いつもの笑顔を見せてくれた。
「そうか? なら、いいんだけど……」
ちょっと気になったが、他の娘達もいたので、それ以上は聞かなかった。
その後、この施設を俺と交替で管理してくれている、藩の役人の後藤房良さんを紹介して、とりあえず、この日の『養蚕施設』見学は無事、終了。
また後日、今回は来られなかった女性陣を連れてくる約束を後藤さんにして、その日は女子寮、及び前田邸に帰ったのだった。
帰り道でも、優は寂しそうにしていたが、俺が声をかける度に笑顔を返してくれる。
それが、徐々に無理のある作り笑いの様に見えて、さすがに気になってきた。
夕暮れの、前田邸へと帰る道。周りには誰もいない。
俺は思い切って、優に何があったのか正直に話して欲しいと尋ねてみた。
すると彼女は、真剣な表情で俺を見つめて……そして躊躇するように下を向いた。
「ひょっとして、俺の事……嫌いになった?」
優は、慌てた様に首を横に振った。
「じゃあ……何があったのか、教えてくれないか? 俺、力になりたいんだ……君がなんだか悲しそうにしている様子、黙って見ていられないんだ」
すると彼女は、また目を潤ませて、じっと俺の事を見つめた。
「拓也さん、あの……思っていることを、正直に答えてくださいね」
「……ああ、神に誓って、嘘をついたりしないよ」
そう、俺には優に対してやましいことなんて、これっぽっちもない。
「……お涼ちゃん……涼姫が帰ってきたら……彼女に婿入りして藩主様になるっていう話……本当なんですか?」
――刹那、頭の中が真っ白になり、口の中が乾いた。
なぜ、優がその話を知っているんだ……ひょっとして、他の前田邸の女の子達も……。
俺はそれを了承した訳では無い。だから、やましいところがないことには違いない。
だが……優がその話を知っていること自体が問題だった。
彼女は……俺の恋人の優は、俺の手によって阿東藩が豊かになる事を、誰よりも望んでいたからだ――。





