第百三十四話 白無垢
ある春の日の夜、前田邸。
俺と優、凜さん、ナツ、ユキ、ハル。全員揃っていた。
みんなで食事をした後、俺は、みんなにちょっと話がある、と切り出した。
「なに、なに?」
と、心配そうに聞いてくる少女達。
「いや、大した話じゃないんだけど、いよいよ、養蚕事業……要するに蚕を育てて、絹糸を生産する準備が本格的に始まったんだ。桑畑でも、もう既に新芽が出て、順調に葉が育っている。二月もしたら、蚕を育て始められそうだ」
俺は得意げに話したが、いまいち彼女たちの反応は薄い。
「……ええ、その話は前から聞いていましたけど」
凜さんはなんかそっけない。
俺の「話がある」なんて切り出し方が、ちょっと大げさだったか。
「でもみんな、絹で出来た着物って、じっくり見たこと、あるかな?」
その質問に、みんな首をかしげる。
「そういえば……えっと……巫女の仕事していたとき、あれ、どうだったかな……」
「私達、『天女見習い』っていう良く分からない立場でしたけど……たぶん、普通の綿の着物だと思います」
ユキとハルが、それぞれ答えた。
「ああ、多分そうだろうな。巫女長の茜や、天女そのものとされたアキはともかく……例えば、全ての巫女に絹の着物なんて着せたらものすごい金額になるだろうから、それはないと思う」
「じゃあ、ほかには……あ、そういえば、あの三百年前から来ていたっていうお誠ちゃん、絹の寝巻きでしたよね?」
凜さんが皆に確認する。
「うん、確かにそうだったんだけど、火事から逃げてきたときに着てたものだからかなり汚れていたし、痛んでもいた。それに、じっくり見たりはしてないんじゃないかな」
「そうですね……」
皆、うなずく。
「そこで、『黒田屋』の主人に、みんなに見せてあげる見本として絹の着物を借りられないか、交渉しに行ったんだ」
「ふうん、黒田屋さんに……呉服屋さんも経営してるもんね」
これはユキのセリフ。あんまり興味なさそうだ。
黒田屋とは、かつて優の身をどちらが引き受けるか、セリで争ったことがある。
すんでの所で、俺が逆転勝利で優の引き受けに成功し、その後は和解して普通に商取引を行っていた。
「店に行ってみると、なんか、お祭り騒ぎだった。みんな、めでたい、めでたいって言って。一体何があったのだろうって思って、話を聞いてみると……黒田屋の主人、黒田貫太郎さんの、お子さんが生まれたっていうことだったんだ」
「「「「「……ええぇーっ!」」」」」
今まであんまり反応がなかった少女達が、この時だけは声を揃えて上げ、それがおかしくてみんなで笑った。
「あの方、もう五十歳越えてましたよね? お相手は?」
凜さんが食いついた。
「ああ、あのセリの後、持病だった脚気も治って元気になって、それで新しいお妾さんを囲ってたらしいんだ。歳は三十歳手前ぐらいらしかったんだけど……で、その人が無事、男の子を産んだって言う話だったんだ。それで、俺が来たことを取り次いでもらうと、黒田屋さん、ニコニコして出て来た。まあ、嬉しくて当然だろうけど」
さっきまでとはうって変わって、みんな俺の話に興味津々だ。
「機嫌がいいのは好機だと思って、まず祝福の言葉を言って、それでさっきの絹織物の話をしたら、二つ返事で了解してくれたんだ」
「……黒田屋さん、幸せになれたんだ……本当に良かったですね……」
優も感慨深げだ。
もし、あのとき運命の歯車が、ほんの少しずれていたなら、黒田屋さんの子を産んでいたのは自分だったかもしれない……そんな風に考えているのだろう。
「で、その着物、今俺の部屋に運び込んでるんだ。それでみんなに見てもらいたくて」
俺がそう話すと、「見てみたい」「見てみる」と上々の反応。
そこで俺は、みんなを引き連れて自分の部屋へ。
そしてもったいぶってゆっくりと襖を開けると……全員、うわあと声を上げた。
――そこにかけられ、飾られていたのは、『白無垢』だった。
「これって……婚礼衣装……」
優が、震えるようにつぶやく。
「ああ……黒田屋さん、一番上等の絹の衣装を渡してくれたんだ。帯、小物まで全て取りそろえてくれたよ」
「凄い……こんなの、お金出して買ったとしたら……十両ぐらい?」
凜さんも、少し声が震えていた。
「いや、二十両でも買えないだろう。それぐらい上等な物だ」
「そんなに……黒田屋さん、よくそんなもの貸してくださいましたね……」
「いや、貸してくれたんじゃない……タダでくれたんだ」
「「「「「……えっ!?」」」」」
また全員の声がハモった。
「なんか、黒田屋さん、自分の命を救ってくれた礼だとか言って……子供が出来たのも、俺が教えたとおりに食事を改めて、それで脚気が治ったおかげだって。その着物ぐらい安い物だと言って、ぽんと渡してくれたんだ」
「……だとしたら、これって、拓也殿の物……」
ナツが、白無垢と俺の顔を交互に見比べながら声を出した。
「いや、これは俺達みんなの物だ」
全員、あっけにとられて、なかなか声が出ない。
「タクッ……これ、触ってもいいかな?」
「ああ、もちろん。手触りも十分味わって欲しいんだ」
俺がそう言うと、みんな次々と、けれど恐る恐るそれに触れてみる。
「……すごく滑らか……」
「布なのに、こんなに光沢があるなんて……」
みんな大喜びで眺めたり、触れたりしている。
「……着てみたい……」
と、ナツがぽつりとつぶやき……皆の視線を浴びて、真っ赤になる。
けれど他の子達も同調して、私も着てみたい、私も、と次々に声を上げる。
「ああ、もちろん構わないよ。実際に絹がどんな物か、体感して欲しいしね」
とはいえ、これはただの絹の衣装ではない。
最高級の、しかも婚礼衣装だ。
誰とも祝言を挙げていない俺に取っても、これは特別な物だ。
「じゃあ……最初は、優だな……」
ナツが切り出す。
すると、双子の妹達もうん、うんと頷いた。
凜さんも、
「そうね、最初に拓也さんのお嫁さんになったの、優ですし……さ、優、早くこっちに来て。支度するわよ」
と、優をせかす。
「え、でも、支度って……」
「じゃあ、拓也さん、準備出来たら呼びますから、ちょっと向こうで待っていてくださいな」
と、俺とナツ、ハル、ユキは凜さんに追い出される。
優は戸惑っていたが、嬉しそうでもあった。
待つこと、約一時間。
「おまたせしました……もういらしても大丈夫ですよ」
ようやく凜さんの声が聞こえた。
俺の部屋の前まで行くと、襖が閉じられており、その前に凜さんが座っていた。
さっきの俺と同じく、もったいぶっている。
「じゃあ、開けますね……ナツちゃん、ちょっと手伝って」
と、ナツを呼んで、そして掛け声と共に、二人で襖を同時に開けた。
――昼間と変わらぬ明るさで照らすLED照明の下。
正絹製の真っ白な打掛、掛け下、綿帽子。
末広(扇子)、筥迫(化粧ポーチ)、懐剣(アクセサリー)まで、全て白。
純白の婚礼衣装に身を包み、凜さんの巧みな化粧、そして小さく、赤く塗られた口紅と、綿帽子から覗く黒髪がアクセントとなっており……そこにたたずむ、数え年で十九歳、満年齢で十七歳の美少女は、まさに天女そのものだった。
先程以上に大きく、「うわあぁ」っと声を上げる、ナツ、ユキ、ハルの三姉妹。
その声に、満足げにうなずく凜さん、恥ずかしそうに微笑む優。
……ユキとハルは、どういうわけか涙を流していた。
呆然と見とれていた、ナツまでも。
それを見て、つられるように凜さんも目頭を押さえ……そして俺も優も、目に涙を浮かべていた。
あまりに美しく、可憐な優の花嫁姿。
それは、これまで幾度と望みながら、実現できていなかった光景だった。
「本当に綺麗……これでしたら、拓也さんの衣装も用意しておけば良かったですね……」
凜さんが涙声でそう話す。
「いや……黒田屋さん、俺のも作ってくれたんだけど……」
ぼそっとつぶやいた俺のセリフに、全員、「えっ」と反応する。
みんなの視線に堪えきれなくなり……俺は箪笥の引き出しから、袴を取り出した。
前田家、六角桔梗の紋付き袴だ。
「そんないいものまで用意しているなんて……拓也さん、もちろん、着ていただけますよね?」
もう、ここまできたら引き下がれないし、優一人だけの花嫁衣装なんて可哀想だ。
俺も隣の部屋でそれを着た。
――二人並んでの結婚衣装。
他の娘たちがひやかす。
デジカメまで持ち出して、記念撮影を行う。
「こんなことでしたら、金屏風とかもあったらよかったですのに……あら?」
凜さんが、何気なく障子を開けて、そしてみんなの方を見た。
「今日は満月じゃない……これを背景にして撮影すればいいんじゃないかしら?」
その発案に、皆、賛成の声を上げた。
月明かりに照らされた、純白の花嫁衣装を纏った優。
それはあまりに幻想的で、あまりに美しすぎる光景だった。
ちょっと緊張した面持ちの俺と優は、並んで、満月をバックに記念撮影を行った。
これは本当に、俺にとって……いや、俺達にとって、一生の宝になるだろう。
……一通り撮影が終わった後、凜さんはこう言った。
「じゃあ、次はナツちゃんね」
えっ、と俺は声を出した。
「凜さん、えっと……ひょっとして今日の内に、全員の撮影を行うのかな……」
「ええ、だってそうでないと、明日はもう満月じゃなくなるでしょう?」
……なんか、徹夜になるような予感がしてきていたのだが――。
その後、月の位置が微妙にずれてしまった事もあり……話し合いで、一月に一回、満月の日に、順番にこの撮影会を開くことになった。
それはそれで大変な気もしたが……それでもこの日は今までの人生で最高の日であり、こんな幸福感を毎月味わえるなら、それもいいかな、と考えたのだった。





