第百二十四話 控えおろうっ!
御本尊を無事に取り戻した翌日の昼頃、女性陣に事の顛末を知らせようと思って『前田妙薬店』に行ってみると、店主の凜さんが
「あら、拓也さん。昨日は大活躍だったらしいですね。御本尊も取り戻したんでしょう? さすがですね」
と笑って出迎えてくれた。
「本当、私もその場に居たかったです」
と、これは手伝いに来ていた優の言葉。彼女も笑顔だ。
「いや、盗賊を捕まえてくれたのは三郎さん達だから……って、その話、誰から聞いたの?」
「その三郎さんですよ……あ、そういえば、拓也さん来られたら、『薬太寺に来るように伝えてくれ』っておっしゃってましたよ」
優が、ちょっとだけ真剣な表情でそう話した。
「薬太寺に? ……そうか、もう御本尊戻したんだな。そういうことなら、行ってみるかな」
そのときは
(薬太寺の副住職さんが、お礼言ってくれるのかな)
ぐらいにしか思っていなかったのだが……。
薬太寺に着くと、さっそく若いお坊さんが俺を見つけて手を合わせて一礼し、予想通りお礼を言ってくれた後、本堂の方に案内された。
現在、阿東藩の御家老、『杉村一ノ慎』様がご視察にいらっしゃっているという。
なんか嫌な予感がしたが、まあ、御本尊を取り戻すという大役は果たしているのだから大丈夫だろう。
本堂に着くと、ちょうど御家老と思われる人が帰ろうとしているところだった。
お供の侍十人ほどを従え、本堂から境内に降りようとする寸前だ。
なんか、僧侶とか参拝者もその場にひれ伏している。
俺を案内してくれたお坊さんもその場にひれ伏したので、俺も同じようにした。
少しだけ顔を上げて様子を見てみると、お供の一人が、俺の方を指差しながら、御家老と思われる方になにやら耳打ちしている。
「前田拓也、面を上げよ」
ドスの効いた大きな声が響いたので、それに従って顔を上げた。
はじめてちゃんと見る、阿東藩家老・杉村一ノ慎様。
五十歳ぐらいの強面、ぶっちゃけ悪人顔だ。
「此度は御本尊の奪還、ご苦労であった。褒めてつかわす」
「はっ、ありがたき幸せにござります」
と、俺は時代劇で聞いた事のあるようなセリフを返すが、ムチャクチャ緊張している。
だって、変なこと言ったら無礼打ちにされかねないんだから。
「……しかしながら、まだ何名か盗賊を捕らえられていない上、三千両という大金を持ち逃げされたままだというが、それはまことか?」
「……えっ? はっ、いえ……都合がありまして……」
実際には、それはこの事件の黒幕を突き止めるためにワザとやっていることだが、今この場で話すべき事ではない。
「都合だと?」
「は、はい、この場では申し上げられないことですが、取り戻す段取りは整えつつあります」
「ほう、では、いつまでに捕らえ、そして金を取り戻すつもりなのだ?」
「はい、ええと……期日までは決めておりません……」
「それはいかん! きっちと、いつまでに、どのように対処するつもりなのか、本日中にきちんと報告するように」
「え、本日中に?」
すっとんきょうな声を出すと、睨まれてしまった。
「……失礼いたしました、仰せの通りに」
慌てて言葉を変更し、頭を下げる。
褒められると思ったのに、怒られてしまった。
なんだろう、このやりきれない思い。
一生懸命、御本尊を取り戻すために頑張ったのに怒られるなんて。
これがこの時代ではあたりまえなのか。
これがどうしようもない、身分の違いなのか……。
「……お待ちくだされ……それでは、あまりに前田拓也殿が気の毒ではありませんか」
と、よく通る声が境内に響いた。
驚いてそちらの方を見ると、『前田美海店』や『水龍神社』で出会った、あのご隠居様が、いつの間にか立っていた。
そのすぐ脇には、初めて見る、刀を持った二人のお侍が、ご隠居様を守るように立っている。
「……なんだじじい、身の程をわきまえよ」
やばい、御家老が怒っている。
「だまらっしゃい、このような仕打ちが黙って見ておられますか! 前田様は仙人様なのですぞ!」
「……お前達、あの無礼者どもを捕らえよ」
御家老がお供の侍達に指示すると、彼等のうち三人が血相を変えて境内に降りてきた。
そして逃げようとしないご隠居様達を取り押さえようとしたのだが……。
「うおおっぅ!」
「ぐわっ!」
「い、痛てえっ!」
逆にご隠居様を含む三人に腕をひねられ、その間に押さえ込まれた。
これに驚いたのが御家老。
「ええい、きさまら、何をしておるっ! ……お前等も行って、取り押さえよ」
と、残りのお供の者にも指示。みんな慌てて境内に降りていく。
「……仕方ないですな……菅さん、岳さん、懲らしめてやりなさいっ!」
こうして、薬太寺の境内はとっくみあいの乱闘に。
……ていうか、ご隠居様を含む三人が強くて、阿東藩の侍達は人数では勝っているのに一方的にやられている。
菅さん、岳さんは当て身、関節技、蹴りなど、多彩な攻撃だ。
ご隠居様だって、杖で向かってくる侍を小突いて応戦しており、結構強い。
阿東藩士達は全員刀こそ抜いていないが、目が必死だ。
御家老の前でこんな失態を演じてしまっているのだから……。
「もういいでしょう。菅さん、あれを」
と、ご隠居様が何かを促す。
それを待っていたかのように菅さんが、懐からジッ○のライターぐらいの黒い何かを取り出し、それを眼前にかざす。
「ええい、控えい、控えおろうっ! 皆の者、この紋――」
――(著作権に触れる恐れがあるので、中略)――
三十秒後。
ご隠居様一行を除く、その場にいた全員が境内にて土下座していた。
御家老も、わざわざ境内に降りてきて、地面に頭をこすりつけるように土下座している。
もちろん、俺も訳が分からないまま、同じ格好をしていた。
「……前田拓也殿、貴方は頭を下げる必要はありません。どうぞ、お立ちくだされ」
ご隠居様の優しい言葉に戸惑ったが、ここでそうしないとかえって無礼になりそうなので、俺は申し訳なさそうに立ち上がった。
「ご老公様、誠に申し訳ありませぬ。まさか、貴方様のようなお方がこの場にいらっしゃるとはつゆ知らず、とんでもないご無礼をしてしまいましたっ!」
……あの御家老が平謝りだ。
ご隠居様、相当身分の高い……江戸幕府の重鎮だったようだ。
「……いや、それはこちらが正体を隠していたこともある。老人に対していきなり引っ捕らえようとするなど、多少行き過ぎな気はするが、刀を抜いていたわけでもないし、それは咎めはせぬ。しかしその方、もっと大きな過ちを犯しているのだぞ」
「なっ……もっと大きな?」
御家老、大量に汗を書きながら、ほんの少し顔を上げてご隠居様を見つめた。
「時空の仙人である前田拓也殿に対して、その方、なんという無礼をはたらいておるのだ?」
……へっ? 俺?
御家老の視線が、恐る恐る俺に向けられる。
「その方、前田拓也殿を部下にでもしたつもりなのか?」
「……いえ、決してそのようなことは……」
「ではまさか、ただの町人の様に考えていたつもりではあるまいな……」
「……」
御家老、なんにも言えなくなってしまった。
「わしは、この地を訪れる前から、『阿東藩には仙人がいる』という噂を聞いており、楽しみに思う反面、危惧もしておった。商人であるというその者は、怪しげな術をもって人心を操り、私服を肥やしておるのではないかと。特に若い女子ばかり集めておると聞き及び、ますます心配になっておった」
……なんか俺って、噂だけ聞くと相当な悪者なんだな……。
「しかし実際に会ってみると、なんと謙虚で善良な若者であったことか。実際に前田殿に世話になっているという十数人の女子とも話をしてみたが、皆一様に明るく、朗らかに笑っておった。そして前田殿を心から慕い、恩を感じていると……わしはこれまで諸藩を旅してきたが、女子がこれほど笑顔で暮らしている例を見たことがない」
……そうなんだ。俺の知り合い、みんな、笑顔だったんだ……。
「それだけではない。金の鉱脈を発見したのも、危険だった海岸に木道を設置したのも……そして今回、盗まれた御本尊をみごと取り戻したのも、前田殿の仙術があったからこそではないか。これほどまでに阿東藩に貢献しておる仙人様に、その方、なんという仕打ちをしておるのだ? よいか、前田殿は阿東藩のみならず、この天下全てを良い方向に変えていけるだけの器の、大仙人ですぞっ!」
「はっ……ははーっ、私、とんでもない思い違いをしておりましたっ!」
「前田殿にお謝りなさいっ!」
ご隠居様に叱られ、こちらを向いて土下座する御家老。
「前田拓也様、この杉村一ノ慎、とんでもない思い上がりをしてしまっていました。数々のご無礼、平にご容赦をっ……」
これには、俺の方が慌ててしまった。
もちろん、全く気にしていないので顔を上げてくださいと申し出たのだが、実はちょっとスッとした気分だった。
「これからは、前田殿の言葉はわしの言葉と思いなさいっ!」
……ご隠居様のその言葉、ちょっと大げさな気がした。なんかみんな、俺に対しても頭を下げているし……。
そしてご隠居様は笑顔になって、
「前田殿、女子だけでなく、実際に貴方と繋がりを持つ人々からは、貴方の事は良い言葉しか聞かれませんでした。貴方は本当に信頼の置ける時空の仙人様だ……どうですか、私と一緒に来て、江戸でこの日の本のために知恵を貸していただけませんかの」
えっ? ……まさかの幕府への誘い?
いや……でも、それは困る。まだ阿東藩での改革は道半ばだ。
「……私はまだ若輩者で、そこまでの力はありません。しかしいつか、もっと思慮を深めた暁には、なにかお手伝い出来る事がありましたら光栄です」
なんか、断っても無礼な気がしたので『いつか』という言い方にしたのだが、ご隠居様は笑顔のままだった。
「……そうですか……では、いつか。それまでは、あなたが面倒を見ていらっしゃる女子達を、ずっと幸せにしてあげてくだされ。なにか、無理な接待を……幕府から派遣される役人というのは、ここにいる二人のことですが……接待を強要されていたようですな。それも不要です。そんな強要された接待など、二人とも受けたくもないでしょうしな」
と、笑顔を絶やさないご隠居様。
「……いえ、それはご老公様、あなたも含めて、是非接待させてください」
この俺の言葉に、ご隠居様ははじめてきょとんとした表情を見せた。
「……貴方のおっしゃる『女子達』が、接待の練習を重ねて……今ではすっかり、それを実践することを楽しみにしているんです」
――ご隠居様は再び笑顔になり、大きく頷いてくれた。





