第百十九話 情報戦
「ほう、ここがあんたのお勧めの店か……なかなかよさげじゃないか」
一人の大男が、『前田美海店』の暖簾をくぐってそうつぶやいた。
その後から、男性一人、女性二人が続いて入ってくる。
「「いらっしゃいませーっ」」
ユキ、ハルの声がいつもどおりハモって聞こえた。
時刻は、現代風に言うならば午後四時、店にとっては暇な時間帯だ。
四人は座敷に上がり、膳を挟んで男女二人ずつに別れた。
「……どんな料理がお勧めなんだ?」
二十歳代後半ぐらいに見える大男は、向かいの精悍な顔つきの青年……三郎に尋ねた。
「つい最近始めた『美海御膳』っていうのが、変わっている上にうまい。これが一番だ」
「ほう……ならばそれにするか」
と、隣の二十代前半ぐらいの若い女性に声を掛けた。
彼女も軽く頷く。
それを見た三郎は、自分の隣の女性……お蜜にも確認し、『美海御膳』四つをユキに注文した。
「……それで、俺たちに聞きたいことって何なんだ?」
大男は、にこにこと作ったような笑顔を見せながら三郎に語った。
「銀次さん、あんたらがこの阿東藩で、何を、何のために調べているのか教えてもらおうと思ってな」
単刀直入な三郎の質問に、銀次と呼ばれた男は隣の女性と目を合わせ、苦笑いした。
「いや、俺はこのお鯉といっしょに、住みやすい土地を探しているだけなんだ。そこで目を付けたのが、最近何かと話題の多いこの阿東藩っていうわけだ。自分達が住むかどうか決めるんだ、そりゃあ調べるだろう」
と、身振りを加えて話した。
「なるほど……それが表向きの理由って事か……ちなみに、その話題っていうのを、教えてもらっても構わないか?」
「ああ……別にいいぜ。まず驚いたのが、あの海岸の木道だ。あんなところに、あんな物が作られるなんて……すぐに腐っちまいそうだが、なかなかどうして立派な作りで、頑丈そうだ。っていうか、あの橋、一体何で出来てるんだ? あんな材木、見たことねえぜ?」
「……いや、俺も材質までは知らないな……他にもあるか?」
「あと、『鰻丼』……こいつはうまかった。この季節、なかなか鰻が捕れないとかで、予約が必要で食うまでに三日もかかったけどな……あとは金鉱山の話、かな。俺は力には自信があるから、鉱山で働けるなら是非そうしたい」
阿東藩を褒める彼の言葉は滑らかだ。
「ふうん……まあ、本当にここに住もうって言うなら、そのぐらいは調べるだろうな……それで、『鏡』と『真珠』の生産場所、突き止められたかい?」
三郎の鋭いその一言に、銀次の表情がすっと変わった。
「……実はこう見えても、俺は商人でもあってね。そういう噂もききつけて、こっそり調べてみたんだけど、さすがに商売のネタだ、みんな口が堅いねえ。誰に聞いても教えてくれやしねえ。ま、それならそれであきらめるだけさ」
銀次は、あくまで『住む場所を探している旅人』という設定を変えずに話を続けた。
「そうか、ならいいんだが……実はあんたは、『鏡』と『真珠』に関してこう考えたんじゃないか? 『阿東藩では、ご禁制の密貿易を行っている……』」
三郎の口調は冷静で、かつ正面の二人にだけ聞こえるだけの小声だった。
そして今度こそ、銀次の顔つきが大きく変わり、真剣なそれになった。
この時代、江戸幕府は鎖国政策を敷いていた。
密かに外国と密貿易など行っていたとあれば、藩がお取り潰しになる一大事だ。
それをさらっと口にする……銀次には、この三郎が相当胆の座った人間に思えた。
「……なるほど、阿東藩の忍は優秀だな。事の本質を冷静に見極めていやがる……で、それを口にするってことは、本当に密貿易なんかしてないのか、はたまた絶対にばれない自信があるのか……」
「前者だ。密貿易なんかしてやしないさ。あんたらもそんな証拠、見つけられていないだろう? それにあの『鏡』も『真珠』も、南蛮でも作れない代物だ。言うなれば仙界の逸品、だ」
三郎はわずかに笑みを浮かべながら話す。
「そう、それだ。『仙界』とか、『仙人』とか……俺達は何度、その言葉を聞いたことか。本当にそんな物が存在するのか?」
「……なるほど、あんたたち、それを疑っているってことだな……」
と、そこへお盆を持ったユキ、ハルの双子が
「「失礼しまーす」」
と元気に声を掛けてきたものだから、そこで会話が一旦途切れた。
「こちらが『美海御膳』です……まだお鍋は出来上がっていませんから、今から準備しますね」
と、彼女たちは四人の膳にそれぞれ白飯、漬け物、焼き魚に、それと小さな鍋を並べた。
確かに、まだ鍋は熱そうではない。
出来上がっていない鍋物を出してどうするつもりなのか……。
銀次達が不思議そうに見ている前で、彼女たちは奇妙な行動を取った。
黒い金属製の小さな湯飲みのような物の中に青い固まりが入っており、その周りをやはり金属製の、三本の太い爪の生えた筒で囲った。
さらにその上に蓋をしたままの小さな鍋を置き、彼女たちはその筒をのぞき込んでなにやら細長い棒を刺し、カチッと音を立てた。
と、筒の下に置かれた固まりから青い炎が生まれ、ゆらゆらと揺れているではないか。
「……な、なんだ、この仕掛けはっ!」
銀次は驚き、思わず大声を上げてしまった。
それを聞いて、三郎がニヤリと笑った。
「……これも仙界の道具だよ。この青い炎はしばらく燃え続けて、その鍋を煮立たせる。面白いカラクリだろう」
得意げにそう話した。
銀次は、怯えているユキに作り笑顔で、
「……びっくりさせてすまない、その仕掛けに驚いたもので……その細長いやつ、見せてもらっていいかな?」
と声を掛けた。
彼女もちょっと笑顔になり、その細長い物を彼に渡した。
銀次は、根本の引き金を引いてみた……すると、細い筒の先に小さく、黄色い炎が生まれた。
二、三回火を点けては消し、を繰り返し、礼を言って彼女に返した。
ユキは
「どういたしまして」
とにっこり微笑み、ハルと共に厨房へと帰っていった。
「……確かに、見たことのないカラクリだ……それをあんな女の子が使いこなすとは……」
「あんなの、たいしたものじゃないさ。それよりも彼女たちの工夫、褒めてやって欲しい。みんな頑張っているんだ、近々大きな接待があるとかで、どうにかして客を喜ばそうと試行錯誤しているのさ」
「なるほど、接待、か……そういうことか……」
銀次は、納得したような様子だった。
「……可愛いわね、ユキ、ハルの双子……それにナツ……綺麗な顔……」
と、銀次の隣のお鯉が、つぶやくように声を出した。
「へえ、彼女たちの名前まで調べているんですね……」
と、お蜜が、感心したような、呆れたような口調で話す。
「ええ……特にユキ、ハルは、明炎大社に居たときより、ちょっと背が伸びたみたいね……」
お鯉その一言に、今度は三郎とお蜜の顔色が変わった。
それを見て、さっきとは逆に銀次がニヤリと笑った。
「……お鯉は、一度見た顔は絶対に忘れないんだ。ナツ、ユキ、ハルの三姉妹は、一時期江戸の明炎大社で修行していた、それも、天女見習いとの肩書きで。そして今、阿東藩のこの店で普通に働いている。なのに、関所を通った形跡がない……もちろん、お鯉の記憶だけで関所破りの罪を着せる事なんてしやしないが……ただ、どうしても不思議でしょうがない。あの子達は、どうやって江戸からこの阿東藩まで移動したのか……」
その問いに対しては、三郎もお蜜も無言を通した。
「……この阿東藩では、奇妙な事が起きすぎていやがる……さっき話した木道といい、鏡、真珠、それに金鉱脈……それら全てで、ある一人の男子の名前が上がった」
「仙人・前田拓也、だな」
「ああ、その通りだ。どんな凄い奴なのかと思っていたが、実際に見て、拍子抜けした。まるっきり、ただの平凡な男にしか見えない」
それを聞いて、三郎は声を上げて笑った。
「……確かに、てんでたいしたことのない奴だ。それにもかかわらず、誰にも真似できないようなことをやってのける。側にいる俺でさえ、しょっちゅう驚かされているよ。ただ、これだけは言える。あいつは根っからのお人好しだ。悪い事なんか出来やしない……言い方を変えれば、する根性もない。いくら叩いたって、ホコリも出やしないさ」
三郎が屈託のない笑顔を浮かべたものだから、銀次もお鯉もしばらくきょとんとしたが、やがて彼等も笑い出した。
そうしている内に、鍋がぐつぐつと煮えてきた。
「おっと、そろそろ良いようだ……腹も減ったし、食うとするか……」
四人は一斉に鍋の蓋を取った。
途端に沸き上がる、うまそうな水炊きの香り。
思わずつばを飲み込む銀次。
みなそれぞれに、具材を小皿に取ってその味を確かめた。
「ほふっ、熱い……うまい……」
銀次が食べた白菜には、昆布と鰹節、それに椎茸のダシがしっかりとしみこんで、煮えすぎてもおらず、食べ頃の絶品状態だった。
皆、今までの深刻な話はとりあえず置いておいて、夢中で箸を進める。
結果的に忍同士の会合となったこの席に於いて、両者とも何となく、互いが敵同士になる事はないだろうと予感し始めていた――。
 





