第百一話 水龍神社
新店舗開店、および『七坂八浜』の木道建設が一段落したその日。
昼前の前田邸、優を除く少女たちは皆、仕事に出払っていた。
最近は源ノ助さんも用心棒として彼女達について行っており、つまり俺と優以外には番犬のポチしか居ないのが普通になっている。
しかしこの日は、三郎さんとお蜜さんが新しい仕事……いや、『密命』を持ってきていた。
「阿東藩内で水神に捧げる『人身御供』に選定されてしまった少女を、その運命から救って欲しい」……『藩の要職に就く方』の依頼ということだった。
俺も優も、『人身御供』がどこかで行われていたという噂は聞いたことがあるが……まずはその詳細を、三郎さんに教えてもらう事にした。
想像よりかなり込み入った話で、要約すると、以下のような事だった。
阿東藩には、阿東川の他に『日和野川』という、比較的大きな河川が存在する。
その流域にはいくつも町や村があり、合計すると数千人が住んでいるという。
しかしこの日和野川、数年に一度ぐらいの割合で氾濫を繰り返しており、その被害を最小限に抑えるため、女性を生け贄に捧げる『人身御供』が行われていたらしい。
ところが、現阿東藩主が十年ほど前にこの悪しき風習を禁じ、実施した者には刑罰を与えるようにお触れを出してからは、根絶された……はずだった。
しかし、やはり『人身御供』信仰は地元の者達の間で根強く……昨年の嵐の日、一人の女性が崖の上から濁流の中に投げ入れられようとしていたという。
それを見回りに出ていた藩の役人が見つけ、彼女を保護、そして投げ込もうとしていた男達を引っ捕らえた。
「……じゃあ、その女性、『人身御供』にならずに済んだのですね?」
三郎さんの話をじっと聞いていた優が、ほっとしたように尋ねた。
「ああ……だが、問題はより深刻になってしまった」
「……深刻に?」
「そう。知っての通り、昨年の嵐は強烈だった。日和野川は数十年ぶりという大氾濫に見舞われ……足腰の弱った老人を中心に数人が逃げ遅れて死亡、家も数十棟が流され、収穫前の多くの稲が倒れた……つまり大災害となったわけだ」
俺も優も息を飲む。
「日和野川流域の住民達は『人身御供』が実施されなかったせいだと激怒し、一揆が起こりかけた……まあ、それは引っ捕らえた男達を解放し、一定の食料の支援をすることでなんとか回避した……それでも、身売りしなければならない少女たちが大勢出た。まあ、これは阿東川流域でも同じ事だったが」
……優が、悲しそうに頷く。
「保護した女性は、地域に戻ったときにどんな扱いをされるか分からない。そこで藩主様のはからいで、家族と共に安全な土地に住まいを移させたらしいが、それについては詳細を知らない。それより問題となるのは……地域住民が密かに、次の『人身御供』を既に選定し、とある場所に閉じ込めているという事実だ」
「……次の『人身御供』……」
その恐ろしい言葉を、俺はつい口にしてしまった。
「ああ……その情報については、既に密偵を出してかなりの詳細情報を得ている。その娘の名前は『常磐』、十七歳。閉じ込められている場所は『水龍神社』だ」
「……十七歳……私の一つ年下……」
この時代の年齢はいわゆる『数え年』なので、満年齢に換算すれば一五歳か十六歳、ということになる。
「……でも、そこまで分かっているならば、いくらでも解放する方法があるのでは?」
「いや……その話を神社の神主達が認めている訳では無い。あくまで『うわさ』でしかない。それを藩の人間が強引に連れ去るような真似をすれば……」
「なるほど……ただでさえ悪化している住民達との関係がさらに危うくなる、というわけですね」
「その通り。そこであんたたちの出番だ。いざとなればその少女ごと『消え失せる』ことができるその能力で、助けてやって欲しいというわけだ」
……ふーむ、そういうことか。
「もちろん、そうするのは最終手段だ。閉じ込めている者達を説得できれば一番いいのだが」
「……でも、どうやって、その『水龍神社』の人たちと接触すればいいんですか?」
「ああ、それなんだが……じつはその『水龍神社』、『明炎大社』と同じ系列の神を祭っているんだ。『炎』と『水』、属性は反対だが、神としては一括りらしい。だから『明炎大社』からの使者、という事にすれば話は聞いてくれる筈だ」
「明炎大社の……そういうことなら何とかなるかもしれないけど……事前にいくつか準備が必要ですね……」
こうして、話の概要が分かったところで、改めて正式にこの密命を受ける事にした。
実際に『水龍神社』を訪れたのは、それから七日後の早朝だった。
この神社、日和野川の中流域に存在し、さすがに『明炎大社』ほど大規模ではないが、それでも数十名の職員が住み込みで働く、そこそこ大きな施設だ。
敷地内には、樹齢数百年はあると思われる大木がいくつも存在し、しめ縄が巻かれている。
小さな小川というか、水の流れがあちこちにあって、それぞれに小さなほこらが祭られている。
回廊、拝殿、本殿と続く石段があり、あちこちに石碑が建てられている。
社の作りはそれぞれ古いが、それが歴史を感じさせてくれた。
「……思ったより大きくて立派だな……」
「ええ……阿東藩内でも一、二を競う規模らしいですよ」
やはりこの時代、現代よりずっと信仰が厚いんだなと感心してしまった。
拝殿まで行くと、四人の巫女さんが境内の掃除をしていた。
最初はちょっと、「おっ」っという感じで期待したが……全員おそらく三十五歳は過ぎている、まあ、あえていえば「おばちゃん」っぽい感じだった。
挨拶をして、俺と優が『明炎大社』から来たことを告げると、巫女さんの一人が本殿の方に歩いて行き……しばらくして、一人の小さな女の子がトコトコと駆け寄ってきた。
たぶん十歳ぐらい、おかっぱ頭で、一応巫女さんの格好をしている。
「ようこそー、『水龍神社』へー。ここから先は、私、『瑠璃』がー、ご案内しますー」
なんか語尾が間延びする愛らしい女の子で、満面の笑みで出迎えてくれている。
その様子に、周りのおばちゃん巫女さん達も、口に手を当てて笑っていた。
「どうぞー、こちらへー」
彼女の案内で、旅人姿の俺と優は本殿の方へと並んで歩いていく。
「……拓也さん、この子、凄いです……」
「うん? 確かに、この年で巫女さんの仕事してるなんて感心だな」
「ううん、それもそうですけど、そうじゃなくって……私、短期間ですが『明炎大社』で巫女さんの仕事をしていたから分かるんですが……この子の着物の柄、そこそこ上位の役職の物です」
「へっ? どういうことだ?」
「えっと……わかりやすく言えば、この子、さっき掃除をしていた巫女さん達の上司です」
「……なっ、まさか?」
さすがにちょっと驚いた。
「ひょっとしたら、高い身分の方の娘さんかもしれません……」
うーん、確かに明炎大社の『茜』も、宮司の娘と言うことでそれなりの地位を貰っていたし、この子もそうなのかもしれない。
少女『瑠璃』に本殿まで案内されたところで、男性の神主が出てきた。
その人にも『明炎大社』の使者であることを伝える。
三十歳ぐらいの彼は、最初いぶかしげに俺達を見ていたが、事前に『明炎大社』からの連絡が伝わっていたらしく、身分を証明する巻物を見せ、『常磐』という名の巫女に会いたいと告げると、特に疑いも無く西側の社へと案内された。
そこに目的の少女が住み込みで働いているという。
建物に上がり、襖を開ける。
そこに居たのは、着物を幾重にも重ね着し、冠を付けた一人の可憐な少女だった。
「ようこそ、『水龍神社』へ。巫女長の『常磐』です」
……巫女長っ!
『常磐』って、巫女長だったんだ……。
『明炎大社』に比べれば規模はずっと小さいとはいえ、満年齢で十六歳のこの少女が巫女長とは、なかなか凄い。
そして彼女の体つきを見て、少し安心した。
優よりも小柄で、華奢だ。
これなら、いざとなれば優の『ラプター』で、二人一緒に現代に時空間移動できる。つまり、一瞬で逃がす事ができるのだ。
「わざわざ『明炎大社』からのご公務、ごくろうさまです。それで、私にお話とは、どのような事でしょうか」
笑顔でそう語りかけてくる常磐。
うーん、優とはまた違ったかわいらしさだ。
『明炎大社』の茜とも雰囲気が異なる。なんというか……リスのような小動物っぽい感じだ。
「……お話の前に、まず、私の正体を先にお伝えしておきます。私は、明炎大社では『宮姫』と呼ばれていた、天女です……これがその証です」
優がそう言って、おもむろに懐から真珠の首飾りを取り出した。
虹色に輝く白珠が幾重にも連なるその逸品に、常磐と、側に居た神主の二人ともが目を見張り、声を詰まらせた。
「……お噂は伺っております、天女様。まさかこの『水龍神社』でお会いすることができますとは、光栄の極みです……」
うんうん、とりあえず「いきなりびびらす」作戦は成功したようだ。よし、ここからたたみかけるぞ。
「……貴方は、日和野川の『人身御供』に選ばれし巫女……そうですね」
優の、微笑みの中にも厳しさを含んだ表情、そしてその質問の重さに、常磐と神主が一瞬固まった。
優、演技がうまいなあ……それなりに修羅場を潜っているからなあ。
「……あの……その通りでございます、天女様……」
……常磐、あっさり認めてしまった。
これに仰天したのが神主、慌ててどこかに走り去ってしまった。
まあ、その方がこちらとしてはやりやすい。
そして常磐に、『人身御供』の件について詳しく聞いてみた。
その結果、新しく分かったことがあった。
『人身御供』に選ばれるにはいくつか条件があり、要約すると
「日和野川流域自治体の運営費を払えない貧しい農民の娘の中から、くじびきで選ばれたのが彼女」
ということだった。
つまり、貧しい家の娘なら誰が『人身御供』となってもおかしくはなく、彼女は運が悪かっただけなのだ。
「……でも、私は運が良かったと思います。これほど高貴で、重要な使命を受ける事ができたのですから。私なんかのこの命を、多くの人のために役立てることができる。すばらしいことです。それに……そのおかげで、私の実家にも、多くの寄付が送られることになりました……」
そう語る彼女の表情は、しかし、どこか寂しげで、悲しげだった。
しかしそれも一瞬で、その後は饒舌に、自分が神に捧げられることのすばらしさ、この世に生を受けたのはこの使命を全うするためだった、等の前向きな発言を繰り返していたが……それが急に、止まってしまった。
優が泣いていることに、気づいたからだ。
「……あまりに過酷で、けなげで、可哀想で……私より年下の女の子が、家族のため、地域のためにその命を犠牲にする覚悟を持っているなんて……その運命を、受け入れているなんて……どうしてそんなに……強くいられるの……」
泣きながらそう語りかける優の様子に、最初、常磐は困惑していた。
しかし、『天女』である優が本気で自分の事を哀れみ、涙を流していると知って……彼女もまた、涙を流し始めた。
「これも定めです……それに、そのおかげで私自身も敬われる立場にして頂いています……私は、貧しい小作農の娘です。それでも『選ばれし巫女』としてこの神社に預けられてからは、とても大切に扱っていただきました……この歳で『巫女長』という地位を頂いているのも……私が神に捧げられる尊い存在と考えられているからです……」
所々で言葉に詰まりながらも、彼女は恨み一つ口にせず、ただ感謝の言葉を述べた。
俺も理解した。
彼女は命を捧げることが決まっているからこそ、これほどまでに高い地位を与えられているのだということを。
「……ええっ!……まさかっ……」
不意に、優が叫びにも似た大きな声を上げた。
目を見開き、両手を口に当て……その表情は強ばり、青ざめ……そして何かを否定するように、顔を左右に動かしていた。
「……まさか、あの子も……」
その言葉に、俺は優が何に対して動揺したのか気づき……ズクン、と背中に冷たい何かが走るのを感じた。
常磐がゆっくりと口を開く。
「……その様子だと、もうお会いになったのですね……私の次の『選ばれし巫女』に……」
――俺は、今回の使命がどれほど残酷で、困難で、深刻なものであるかということに、ようやく気づいたのだった――。





