第九話 恐悦至極に存じますっ!
旧暦の八月十九日。少女達を仮押さえした日を一日目とすると、この日で五日目だ。
ユキ、ハルの双子は熱もさがり、すっかり元気になっていた。
ただ、この日、俺は今までの人生で一番緊張していた。
阿東藩藩主・郷多部元康公に謁見すると聞かされていたからだ。
なんでも、現代から持ち込んだインスタントカメラ「シャキ」や、映りが抜群にいい「鏡」が、お殿様の目に止まったのだという。
うまく取り入る事ができれば商人としての身分が与えられ、商売の幅が広がる。
しかし万一機嫌を損なうようなことがあれば、その場で成敗される可能性もあるという。
啓助さんの話では、「大層立派な方だという噂なので、たぶん大丈夫だろう」ということだ。
「噂」とか、「たぶん」とかやめて欲しいのだが、啓助さんも会ったことがないそうなのでしょうがない。
朝八時、俺と啓助さんは、迎えの使者が来るという城下町近くの茶屋で待ち合わせ。
この時間、茶屋はガラガラだった。
やがて被り笠で顔を隠したお侍さんが三人、茶屋の中に入ってきた。どうやら、使者に間違いなさそうだ。
俺と啓助さんは立ち上がってお辞儀をする。
するとその三人は、まあそう固くならずに、と俺達を椅子に座らせ、自分達も卓を挟んで反対側の席に着いた。
一番左側のお侍が小さくつぶやく。
「これから見聞きする内容は、くれぐれも他言しないように」
もちろん、俺達は「承知しました」と神妙に頷く。
すると真ん中の人が笠を上げ、その顔を見せてくれた。
「余は、阿東藩藩主・郷多部元康だ」
……。
ええーっ! お殿様、本人じゃないかっ!
俺も啓助さんも思わず叫びそうになるが、にわかに信じがたいことでもあったので、なんとか自重した。
「私は護衛を努めます尾張六右衛門と申すものです」
「同じく、護衛の羽生育次郎です」
左右のお侍がそれぞれ挨拶をする。
「余と城内で公式に会うことは、藩士でないと許されないしきたりなのでな。忍んで領内を視察中、偶然茶屋で会ったという体裁を取らせてもらう」
……ひええぇ……そんな面倒なしきたりがあるんだ……。
改めてお殿様のお顔をちらりと見てみると……一言で言うと、「渋い中年のお侍」だ。
確かに威厳のようなものも感じるし、鋭い目で格好いい。体格も大きく、強そうだ。
左右の二人はまだ二十代前半ぐらいに見えるが、かなりいかつい顔をしていて、怖い。
「仙人と呼ばれているのは……そっちの男子だな。確かにこの国の者とは少し違うようだ」
うう、一目で見抜かれた。
「はい、私です」
「で、実際のところはどうなんだ? 本当に仙人という訳ではあるまい」
「いえ、あの……『仙人』が『理解しがたい不思議な能力を持つ人間』という意味なら、そう言えなくもないというだけです」
「回りくどいな……では、質問を変えよう。おまえの故郷は何里ほど離れた場所なのだ?」
うう、結構ガンガン鋭く突っ込んでくる。ここはもう、正直に話してしまおう。
「いえ、距離の問題ではありません。正確に言うと、私は三百年後の世界からやってきたのです」
「……三百年後?」
左右のお侍、六右衛門さんと育次郎さんが驚く。
「ほう……未来から来たと申すか。それで『しゃき』も『鏡』も、その時代から持ってきた物か」
「さようでございます」
俺は時代劇の口調を真似て、冷や汗をかきながらなるべく丁寧に話す。
「では、未来と今を行ったり来たりできるのだな?」
「はいっ、ただ重量の制限と時間の制限があります。大量の荷物を短時間のうちに運んだりすることはできません」
「ふむ……では問うが、三百年後、我が藩および郷多部家は、どうなっておる?」
「……三百年後、『藩』という呼称そのものがなくなり、日本は一つの国家として成り立っています。けれど、郷多部家は現在でも地元の名家として、市長や国会議員……いや、大臣さえも輩出されています」
「ほう、大臣まで? しちょう、とは?」
「はい、簡単に言うと、阿東市十六万人の長、ということになります」
それは事実だった。郷多部家は現代でも大きな権限を持っているのだ。
「……十六万人の長、か。それは凄いな……まあ、三百年後も存続しているならそれで構わない。ところで、その時を超える能力、おまえ以外にも持っているものがいるのか?」
「いいえ、幸か不幸か、私だけです」
「うむ……今のところ、答えに澱みはない。にわかには信じがたいが、本当の事を申しておるようだ」
お殿様は、しばらく考えを整理しているようだった。
「まあ、いいだろう。おまえには不思議な力があり、珍しい品物を持ってくることができる。その事実は間違いない。ただ、欲を言うならば、その珍しい品物が我が藩に大きな富をもたらすほどのものであって欲しいと、余は思っているのだ」
「藩に、富をもたらす……」
「そうだ。確かにおまえの『しゃき』も『鏡』もすばらしいが、たとえば我が藩の『専売品』になるほど数が揃えられるものではないのだろう?」
「それは……その通りです」
「正直だな。余としては、藩全体が豊かになって欲しいのだ。そうすれば、今お前が携わっている『身売り』をするような少女も出てこなくなるだろう」
お殿様の言葉に、俺は驚いた。
「ご存じでしたか。でも、私が身売りに直接関わっているわけではありません」
「分かっているさ。お前は売られていく少女達を助けたのだろう? 今時珍しい奴だ」
「そこまでご存じでしたか」
「ああ。玄斎を通じて聞いた」
「げんさい……?」
「知らぬか? 坊主頭に白ひげの医者だが」
「……ええっ! あのお医者様がっ!」
心底驚いた。
「あれは名医だが、欲がないというか、藩専属の医師になりたがろうとせん。ただ、余とは旧知の間柄なので、たまに世俗の情報を教えてもらっているのだ。そしておまえの話題が出た。感心しておったぞ、『少女達のため自分が倒れるほどかけずり回り、そして彼女らに心から心配されていた』と」
「あの方が……そんなことを……」
「それから、娘達をかくまうことになった経緯も聞いている。これは源ノ助が玄斎に詳細に話したことらしいが」
「……源ノ助さんのこともご存じなのですか?」
「ああ、余の元家臣だからな。引退した後ヒマに耐えかねて、たまに用心棒のような仕事をしているようだが」
……そんなにすごい人たちだったんだ。
「おまえがただ珍しいものを売り歩くだけの人間だったなら、余は会おうと思わなかっただろう。だが、窮地に立たされた娘を五人も助けようと行動を起こしたと聞き、どんな若者か、見たくなったのだ。なるほど、おまえは澄んだ目をしている。頭も良さそうだ。そして多くの者に信頼されている。今日も、なにかごまかすような様子もなく、すべてありのままを話した正直者のようだしな……よかろう、おまえに商人としての身分を与えよう」
「あ……ありがとうございますっ!」
やった! これで商売がやりやすくなるっ!
「おまえの不思議な能力に期待している。さっきも言った通り、この藩は……特に今年は夏の嵐により稲が倒れ、凶作となり多くの民が苦しんでいる。身売りする者も多数おり、それ故におまえのところの娘だけ特別扱いするわけにはいかぬ。ただ、最低限の権限だけは与えよう。精進し、もっと大きな商売を営むようになれば、さらなる権限を与えることも可能だろう。そうやって、少しでもこの藩を豊かにしてくれることを願う」
「はい、恐悦至極に存じますっ!」
俺は知っている最大限の敬語を使った。これが正しいのかどうか分からないけど。
それにしても、このお殿様、本当に噂通り、立派な方のようだ。
なるほど、このような精神がずっと現代まで伝わり、それが故にいまでも名家として君臨しているんだろうなと感心した。
そこまでで、事実上の謁見は終了だった。
両脇の護衛の方が、そろそろ時間ですと、お殿様を催促する。
うむ、と返事をし、立ち上がろうとしたとき、お殿様は少し顔をしかめた。
「……ひょっとして、具合がお悪いのですか?」
今まで話を聞くだけだった隣の啓助さんが、初めて口を開いた。
「ああ……少し胃を痛めている。玄斎には心配のしすぎだと言われたが」
ストレス性の胃炎、胃潰瘍かもしれない。
なかなかやっかいな病気だが、現代では新薬「H2ブロッカー」の登場で、比較的治しやすい病気となっている。
俺はこの三日後、お殿様に「H2ブロッカー」成分入りの胃薬「ケスター100」を10箱献上し、ますますの信頼と一両の褒美をいただくことになるのだった。
夕刻、「前田邸」にてお殿様との謁見がうまくいったことを話すと、出迎えてくれた少女達の表情が一気に明るくなった。
といっても、すぐに大きな稼ぎにつながるわけではない。
それでも、希望は見えた。彼女達にとっては、それで十分だったのだ。
みんな、安心して母屋の中に戻っていく。ただ、凜さんだけが残った。
「拓也様、本日は本当にお疲れさまでした。お礼といってはなんですが、ちょうどお風呂が良い湯加減で沸いております。入って行かれてはいかがでしょうか」
「お風呂、ですか……」
俺はなんとなく、定番で王道でテンプレでフラグ的な何かを感じて警戒した。
「まさか、凜さんが俺の背中を流しに入ってくる、なんてことはないでしょうね」
「あら、お望みでしたらそういたしますが」
「いやいやいや、それは困る」
すると、凜さんは悲しそうな顔をする。
「いや、あの……凜さん、あまりに綺麗だから、その、冗談で済まなくなるというか……」
「あら、そういうことですの。でも、それならば心配いりませんわ。私は拓也さんの背中を流しに入ったりしません。私は、ね」
凜さんは意味深な笑みを浮かべた。
刹那、トクン、と鼓動が高まった。
凜さんは、入ってこない。ただ、凜さんは、というのを強調している。
なら、ひょっとして、優が……?
「……わかりました、お風呂、いただきます」
俺の期待は、頂点に達していた。





