第1章 暗黒の幕開け
暗くよどんだ空気が流れる。
「陛下、出撃準備完了致しました。」
明かりも少なく周囲は閉め切られている。中央に長く伸びる赤い絨毯の先には、豪華にほどこされた玉座があり、そこには黄金の鎧を着込んだアグリード王の姿があった。
「よし、直ちにセルメン王国へ攻め入れ。奴の、カウレッドの首を取ったら速やかに戻るのだ。」
密閉された空間に、どす黒い声が響き渡る。陛下の前に跪く珍しい緑髪で黒い鎧を着込んだ兵士が顔を上げる。
「しかし陛下、今セルメン王国に攻め入ることが得策とは思えません。北のフィン王国が軍事の増強を図っている今、他国に軍を向けることはフィン王国に対して隙を作ることに…」
王は話が終わる前に遮り、
「黙れキラ。貴様は儂の言うことに従っておればいいのだ。余計な口出しをするな……ふん、一つだけ教えておいてやろうか…これはストイにも言っておらぬことだ。」
「はっ、陛下」
アグリード王の顔は不適に歪み、
「フィンはまもなく儂のものとなる」
「なっ」
兵士は、驚きのあまり声を出してしまう。
「他言は無用だ」
「しかしそれはっ……陛下の…思うままに。」
「よし、さがっていい」
「はっ…」
キラは密室から出ていく。
「ふん、若造め…ストイに似てきたな…ジェルム!」
「はっ」
王の前に人影がすとっと落ちる。
「ストイとキラをやれ」
「はっ」
そして影は再び闇へ消えていった。
同じ頃、場所は変わりセルメン王国王都フェレデ。
その中央を流れる川の分流地点にセルメン城はある。
特殊な形状をしており、古く、歴戦の古城を思わせる。実際その通りで、セルメン王国領土に以前あった王国エクセス時代初頭に作られたもので、今より700年も遡る。エクセス王国時代以前西大陸は、小国の興亡の連鎖で、紛争の時代であったが、その頃名もなかった小国ディルネキアによって統一された。しかしその翌年にエクセスが独立し、統一国家は1年で終わった。その頃のエクセスは現在のアグリード領までが支配域であったため、現セルメンとは交流が活発であった。しかし、突然アグリードは兵を率いてセルメン領をも侵し、独立した。その後国交を取り戻したが、近年再び関係が悪化している。
話を戻し、セルメン城。緑豊かで中庭はまるで森のようである。その中央の整備された道を一人の青年が抜けていく。腰には鋭い銀色の長剣が差し込まれている。
セルメン王子ルード。
艶やかな黒色の髪と同色の鋭い目、整った顔。彼からは力と勇気が感じられる。
彼の行く先の門の前に、2兵に守られた鎧姿の女性がいた。腰まで黒髪を伸ばし、その腰の鞘には、緑色をした細身の変わった剣が差し込まれている。
セルメン王女ミレット。
少しゆるんだ黒い目、こちらも整った顔。彼女からは優しさと内に秘めた闘志が感じられる。
「待ったかな?」
ルードがミレットの横まで来ると立ち止まる。
「ちょっとね。」
ミレットが城の中へ歩き出す。ルードもついていき、
「怒ってる?」
「ちょっとね。ルードのことだからまた訓練で時間忘れてたんでしょ…いいわよ、いつものことだからもう慣れました。」
ミレットが少し早歩きになる。
「さすが姉様。当たりです。」
「姉様はやめなさいって、いつも言ってるでしょ。」
「はい、ミレット王女様。」
「…姉さんでいい!ほんと、この会話何回目か・・・そろそろ腕の1本や2本斬り落としても…」
突然ルードの顔は恐怖に歪み、
「って、怖いよ、姉さん…」
「ちゃんと言えるようになったね…良かったね、体と腕が離ればなれにならなくて…」
「…(姉様ってこんな人だったっけ…?)」
二人はその後無言のまま玉座の間に到着する。そこには、威風堂々たる二人の父であり王でもある、カウレッド・セルメンの姿があった。ルードが跪く。
「父上、遅れてすみません。」
王が立ち上がる。
「ルード、久しぶりだな。しばらく見ないうちに大きくなった。」
頭をなでようとしたが、ルードは軽やかによけ、
「何を言ってるんですか、父上。この前の西賊討伐の時に一緒に軍を率いてからまだ2週間ですよ。」
「そうだったな。いや、まあ立て。ミレットもだ。」
「で、父上…今回の呼び出しはやはり…」
王の表情が突然固くなる。
「ああ、そうだ。西賊討伐をたのむ。最近再び勢力を盛り返してきたようだ。」
「私も同行ですか?」
「いや、ミレットには国外に出てもらう。」
「トス、ですか?」
「ふむ…そうだ。トスに向かいこの密書をヌーブル王に渡すという重大な役割だ。やってくれるな?」
「はい。」
突然兵士が息を切らせて間に入ってきた。
「伝令!アグリード軍が領土内に侵入、ゴルダゴ要塞に攻撃を仕掛けました。」
二人は驚愕するが、王は平然としているように見える。
「予想より少し早かったが…二人とも、それぞれ任務をこなしてくれ。」
「はい。」
二人は出て行く。
王は誰にも聞こえない独り言をつぶやいた。
その表情は、決して偽ることの無い決心でいっぱいだった。
「どうしたの、姉さん。暗いよ。」
「うるさいわね、この国が今攻められてるのよ。命を懸けて戦ってる人がいる。そんな人たちのことを思ったら暗くもなるわよ。」
ルードはじっと姉を眺める。
「なによ、なにか文句でもある?」
「いえ、無いです。」
しばらく歩く。
軍の駐屯地までは同じ道のりで護衛もつけず二人は行く。
ふいにルードが口を開く。
「姉さんは…」
「え?」
「姉さんは、僕が守るから…」
「…!」
思いがけない言葉にミレットは驚く。
「今はまだ弱いけど、修行して、強くなって姉さんを守る。今回も本当はついて行きたいけど、国を守るためだから仕方ない。」
「ルード…」
「この戦争が終わったらまた会おう、姉さん。」
「うん、きっとね。」
言い終える瞬間、ルードは頭に激しい衝撃を覚える。
「…っ」
あまりの痛さに声も出ず、しゃがみ込むことしかできない。
「ルード!?」
ミレットの呼び声に言葉を返せない。
「っ…くっ……」
外部からの衝撃ではなく内部から破裂するかのような衝撃だ。
次第に痛みは治まってくるが…
「ど、どうしたの!頭が痛いの?医師を呼ぶわ。ちょっとそこでまっ…」
苦しさの滲み出た声で王子は遮る。
「だ、大丈夫…だよ。軽い頭痛…よく、あるんだ…」
姉に迷惑はかけられないと言う気持ちから出た言葉だったのか?
「そんなこと聞いたことなかったわ。ちゃんと診てもらったの?」
「いや…でも大丈夫、すぐ…おさまるから…」
「でもっ!」
そのとき、王女の背後から澄んだ
「ミレット様?」
そこには王国の騎士が立っていた。
馬を引き剣を携えている、白銀の鎧を着込んだ騎士だ。
「フィーガ!」
ミレットの声に騎士フィーガはルードが倒れているのに気づいた。
「お、王子!どうなさったんですか!は、はやく城内へ!」
「大丈夫、よくなってきたみたい。ただの頭痛だよ。」
「頭痛といいましても危険なものはあります。一度医者を呼んだほうが…」
ルードは再び遮り、
「フィーガ、心配かけてすまない…でも、僕たちには時間が無い。すぐにでも出撃できるようにしてくれ。」
痛みは嘘のように無くなっていた。
フィーガは微笑んだ。
「…そう仰ると思っていました。すでに準備は万端です。今すぐ発ちますか?」
「うん、そうする。ミレット、絶対生きて帰るから。心配しないでね。」
「ルード…私も、きっと帰るわ。お互い、生き抜きましょう。」
そして二人は別れた。
いつ会えるか分からない。
もう会えないかも知れない。
密かに蠢く野望を知らず、
溢れつつある闇を知らず、
二人は旅立つのだった。
「フィーガ、僕たちは何のために戦うんだろう。本当に手に入れたいものは何だろう。僕は姉さんを失いたくない。父上を失いたくない。国も失いたくない。フィーガも失いたくないものはたくさんあるよね。失わないと分からないものもあるかもしれない。僕は戦争を好きになれない。守らなくてはいけないけど、それで死んでしまった人やその家族は悲しむと思う。そして憎しみが生まれる。そんなことで国が良くなるとはどうしても思えないんだ。」
フィーガは、分かってしまった。
「王子…」
英雄を信じるかと聞かれたら俺は信じないと答えるだろう。
この大陸に住むほとんどの人が信じないと言う。
この平和な時代に英雄など必要ないからだ。
その平和が少しずつ崩れようとしているのに、人々は気づかない。
避けては通れない道なのに人々は避けようとする。
それはつまり破滅であり絶望である。
確実に迫る闇と欲望。
人々はもう感じない。
先に待つものも知らずに滅んでゆくのだ。