21.魔王様と側近
さんさんと朝日が差し込んでくる、さわやかな朝。その窓は大きく開き、その下には朝日から身を隠すかのように二人の人影が蹲っていた。
その二人は、見るものがいたら確実に勘違いされる姿勢―――見た目十代くらいの若者が見た目十歳くらいの美少女の両側に手をついているという体勢―――のまま、開け放たれた扉を凝視していた。
まずい!と思ったのは、しばらく人間界に居たいミニアだけ。すぐに連れ戻す気でいるムンクは気にすることもなく、入ってきた人間が音も無くドレスを取り落とすのを無表情に見ている。
「し、侵入者よ!!誰か、誰か来て!」
それは、モーニングティーを持ってきたメイドだった。普通屋敷を狙うなら、手薄な午後を狙ってくるのがセオリーだ。それが、わざわざ替えのドレスを持ってくるまでの短い時間に侵入者が現れたことに混乱しつつも、大きな声を張り上げる。
メイドは、少女を助けるより他の大人を呼んできた方がいい、ととっさの判断をした。部屋を飛び出そうとして扉を振り返るが、
「ちょっと、大きな声をださないで!」
背後に回ったムンクによって、その口を塞がれる。男の強い力にメイドが敵うはずもなく、それでも侵入者を睨もうと仰ぎ見て…抵抗するのをやめた。
ムンクはさほど背は高くないが、女性であるメイドと並べば頭一つ分の身長差がある。しかも口を塞がれている今、仰ぐとかなりの至近距離で目が合った。瞬間、メイドの顔が沸騰した。
人間より美形率が高い魔族、しかもムンクは珍しい男のマーメイドの血を引いていた。マーメイドは美しい声で、もしくはその美しい姿で獲物を誘惑し、捕らえる。ムンクもまたその血を濃く引き継いでいたため、魔族を見慣れない人間には尚更、刺激が強いだろう。
「静かに、言うことを聞いてください。でないと俺が殺されますから」
メイドの耳に、心地良い美声が流れ込んできて、メイドの強張っていた体から力が抜けた。警戒するべき相手なことも忘れ、言葉の半分も頭に入ってこないがうっとりと頷く。
「よかった…ありがとう、お嬢さん」
言葉とともにメイドの顔を引き寄せると、ムンクの魔力が目に集中し、魔法が発動する。焦点が合わないほどの距離で目が合ったメイドの目から光が消え虚ろになり、ぼんやりとしたメイドはロボットのように無表情になった。
「じゃあ今ここで俺と会ったことも忘れてくださいね」
「…ここにはお嬢様しかいませんでした。誰とも会いませんでした」
「そうです。じゃあ、次の仕事に行ってきてください」
メイドが幽霊のような足取りで出て行き、すぐさまムンクが扉を閉めた。ミニアを振り返る。
「幸い誰にも聞こえていなかったみたいね」
ミニアは窓にもたれ掛かり、ニヤニヤと笑っていた。それをみたムンクがずるずると座り込む。
「まお…ミニア様、やめてくださいそれ!俺まだ死にたくないです!」
しぶしぶムンクに向けていた杖を自分の影にしまうミニア。ちなみにこのミニアの愛用している杖は、むかし城で主にお仕置き用として使われていた。ムンクのトラウマでもある。
メイドが部屋から出て行こうとした時、ミニアはとっさにムンクをけしかけて記憶を消させた。といっても、杖を取り出しただけでムンクが空気を読んだのだが。
ともかくも杖が収まるのを見て、ほっと息を吐くムンク。
「吃驚しましたー、やっぱり人間界って面倒くさいですね!さあ帰りましょう、ミニア様!」
「嫌よ」
ばっさりと断る。ムンクが不可解そうに眉を顰めた。
「どうしてそんなに帰りたくないんですか?」
「嫌よ。だって…帰っても、私の魔王としての仕事なんて無いじゃない」
無表情。生まれたころ、膨大な魔力を持つために出歩くだけで魔界のバランスが崩れるといわれ、城に閉じ込められた。退屈。毎日が、やる事もなく過ぎていく。
有能な側近、回ってきた仕事があればそれは既に処理済。目を通さなくてもハンコを押せば受理され、本来魔王がやるべきの魔界の統治は事実ウェントが仕切っている。魔王の座を狙う者と戦う、その瞬間だけが”魔王”だった。
「だったら、あんなお飾りの王なんて、居なくても同じでしょう?」
「…いいえ。違いますよ、ミニア様。」
気がつけば、ミニアはムンクに包み込まれていた。小さい子をあやす様に、ミニアの頭をよしよしと撫でるムンク。いつもだったら吹っ飛ばすが、今日は嫌じゃなくてされるがままになる。親指で頬を擦られて、初めて自分が泣いていたことに気がついた。
「そんなことありません。皆、ミニア様に支えられているんですよ。」
ムンクが優しく、あやすように言葉を紡ぐ。
「本当に?」
「ええ、本当です」
顔を上げ、ムンクの笑顔を受け止める。悪魔の娘であるミニアが本当か、なんて言われて信じる訳がない。でも、今日だけは受け止めた。どうやら、体が縮んだおかげで精神まで幼くなっているらしい。
「なら、いいわ」
普段には絶対やらないが、満面の笑みでムンクに抱きつく。
傍から見ていれば、感動のシーンかもしれない。が、そこらへんは魔族だ。お互いの肩越しでは、それぞれが見えないだろうと顔を顰めていた。
『絶対今こいつ、テキトー言ったわね。どうせ何にも考えてないんだから、まあ都合よく受け取っとくか。それにしても、退屈な魔界を思い出して泣けるってかなりだわ~』
『魔王様、けっこう悩んでたんだな…。でもまだ幼いから任せられないんだよなー。もしかして魔王様、どんだけウェントが目ぇ光らせてるのか知らないのか…?』
「…とりあえず、しばらくの間は俺の見張りつきですがここに居てもいいですよ」
魔王の我が侭に折れたように見えるムンクだが、内心(…なんかもう面倒くさいから、皆には言わないでおこう。…ウェントの野生な凶暴さが落ち着いた頃合いに帰ればいいか。)なんて考えている。
「いいの?なら、レオニードになんて誤魔化すか考えましょう」
面倒事が片付いたミニアは、さわやかな笑顔でムンクに提案した。
「…………………レオニーーーーードォ?」