20.魔王様、焦る
「お嬢様、おはようございます」
「……?」
突然掛けられた言葉に、寝ぼけたままのミニアは瞬きを繰り返した。
対ウェント用に仕掛けておいたはずの魔法が反応しないことに苛立ちつつ、ぼうっとする頭のままそちらを見る。
うやうやしく、紅茶セットの乗ったカートを引いて入ってきたメイドは、窓に近づいてカーテンを開けた。とたんに朝の眩しい光が大量に差し込んでくる。
それは魔界にはない人間界独特のすがすがしさで、ミニアにとっては少し不快な、馴染みのないものだ。さらに魔力がほぼ抑えられた状況に、ようやくここが人間界だと思い出した。
「今しばらくお待ちくださいませ、お嬢様」
モーニングティーの用意をしていたメイドは視線を感じ、ミニアに微笑む。ミニアは初めて見るそのその動作に見とれていた。
「何をしているの?」
初めて人間界の暮らしに触れて好奇心全開のミニアに、優秀なメイドは丁寧に答えてくれる。
「これはモーニングティーですわ、お嬢様。貴族の皆様はまず紅茶を召し上がって、目を覚まさせるんです」
「もーにんぐてぃー……」
メイドには、よく詳しい事情を知らされていなかった。ミニアにカップを手渡しながら、心の中で『モーニングティーも知らないなんて、この子はもしかしたらだんな様が拾ってきた孤児かなにかかしら』と余計な詮索をする。
目の前のカップに満たされている茶色の液体は、ミニアにとっては初めて見る飲み物だ。なめらかな色がカップの中で渦巻いている。おそるおそる小さく一口飲んでみると、なんとも言えない香りと味が口に広がった。寝起きの悪い頭が、珍しくはっきりと覚醒した。
「……不味い!」
「…えっ?何て言いましたか?」
幸いにも、反対を向いて作業していたメイドには聞こえていなかった。メイドはミニアの終わったのを見計らうと出て行った。
「……うっ…」
後にはベッドに突っ伏すミニアが残される。口の中には気味の悪い後味がまだ残っていた。たとえ力では魔族が勝っても、こんなものを食べさせられて戦争をしたら人間が勝つかもしれない。
「人間は……チャレンジャーだった…」
人間とは正反対の嗜好に項垂れるミニア。せめて気分を変えようとよろよろ立ち上がり、窓を開ける。
「あっ、ミニア様!おはようございます」
「……………。」
閉めた。
「ちょ、ちょっとミニア様?!酷いですよう、開けてくださーい!」
「……………どうして、ここにムンクが?」
そこには、魔王の側近の一人がいた。幅の狭い窓枠に人型のまま飛び乗る側近、名前はムンク。
見た目は、人間でいう十代後半くらいの優男だ。一応人目を気にしてきたのか、いつもの黒目黒髪ではなくどこにでもいるような茶髪茶目に変わっていたが。
「魔王様、やっと見つけましたよ!さっ、帰りましょう。皆心配しています」
「とりあえず、中に入って。誰かに見られたら大変だから」
ミニアはムンクを引っ張り部屋へ入れようとする。しかし小さな体では踏ん張りがきかず、バランスを崩したムンクもろとも床へと倒れこんだ。
それと同時にノックが聞こえたかと思うと、大きく扉が開く。寝転がった状態のまま、ミニアは入ってきた人物へと目線を上げた。
その頃、魔王城では。
血のように赤黒い、大きな楕円のテーブル。そこには大きさがばらばらな六つの椅子があり、そのうち五つが埋まっていた。
「今ごろはムンクが見つけているはずなんだけどねぇ…報告が来ないわ」
「魔王様でも、さすがにアイツからは逃げられんよ」
ガタガタガタガタガタッメリメリぶちっバチバチッ
「そうですよ~、この中でも一番魔王様に執着していますから~」
ぐおおおおお……ガタガタガタッ
「ムンクのことだから、きっと説教でもしてるんじゃないですか?」
「………」
ほのぼのと魔王様の帰りを待つ側近たち。もちろん、さすがに帰ってきたら三ヶ月のお説教が待っている。溜まっているはずの仕事をやることも無く、側近の四人はのんびり魔王の帰りを待っていた。
「フー……フシュウウゥー………」
そして上座から側近たちを睨む、獣じみて血走った眼。椅子に縛り付けられた体のほとんどが、巻きついた鎖によって隠れている。それはウェントだった。
魔王の留守の間だけ仮の魔王を任されたウェントは、幾度もミニアを追って人間界へ行こうと逃亡を図ったため、他の側近たちによって縛り上げられていたのだ。
虚しく鎖を引きちぎっては鎖が再生されるがウェントは止めようとしない。体が傷つこうが、ミニアが居ない状態のほうが耐えられないようだ。それを見ながら、側近の一人が呟いた。
「……魔王様、早く帰ってこないかなー」