第1話 「知らないなら、自分の頭で解くしかない」
シャンデリアの光が眩しいほどに降り注ぐ夜会の大広間で、婚約者――第一王子アルベルトの声が朗々と響いた。
「アリシア・ヴェルンハルト。貴様との婚約は、本日ここに破棄する」
数百の視線が、一斉にアリシアへ突き刺さる。
誰も驚いていなかった。むしろ、ようやくかという顔ばかりだ。まるで、今夜こうなると台本を読んでいたかのように。
(――綺麗に決まりすぎてて、逆に怪しいくらいね)
浮かんだのは困惑ではなく、そんな醒めた感想だった。同時に、頭の奥で何かが弾ける感覚がある。
そうだ。私には、前世の記憶がある。
思い出したところで、都合の良いものは何もなかった。アリシアの前世は、休日返上で働いていたごく平凡な会社員だ。「乙女ゲーム」というジャンルが存在することは知っていても、指一本触れたことすらない。
つまり――この修羅場を切り抜けるための攻略情報も、断罪フラグを折る正解ルートも、頭のどこにも存在しないということだ。
(知識チートは、無し。使えるのは、自分の頭だけ)
内心で独りごちながら、震える令嬢を演じる余裕も惜しんで、アリシアは静かに問い返した。
「王子。私が何をしたと仰るのですか」
「しらばっくれるな。お前は男爵令嬢セシリアに毒を盛った。彼女の部屋から検出された毒と、お前の私室から見つかった毒は同一のものだったそうだな」
証拠品として掲げられた小瓶に、会場の空気が一段と冷たくなる。だがアリシアは震えるどころか、静かに目を細めた。
――時系列が、おかしい。
「王子にお伺いします。セシリア様の体調が崩れたのは、いつのことでしょう」
「三日前の昼だ」
「その毒は、症状が出るまでに丸一日はかかる遅効性のものと記憶しております。三日前の昼に盛られたのなら、発症は最短でも翌日の昼以降のはず。……ですが、セシリア様が倒れられたのは、三日前の『夜』だったと伺っておりますが」
しん、と広間が静まり返った。
遠巻きに見ていた貴族たちの間に、戸惑いにも似たざわめきが広がっていく。「令嬢の言う通りでは」――そんな囁きも、確かに聞こえた。
アルベルトの顔が、初めてわずかに歪む。
「そ、それは……調べ直させる」
「毒物の種類が誤っているか、盛られた時刻が誤っているか。いずれにせよ、今この場に掲げられている証拠だけでは、筋が通りません」
たった一つの、小さな矛盾。それだけで、断罪一色だった空気に、細い亀裂が走るのをアリシアは肌で感じ取った。
(――使えるじゃない、これ)
前世の知識でも、乙女ゲームの攻略情報でもない。ただの論理。それでも、目の前の理不尽を押し返す武器にはなる。
けれど亀裂は、すぐに塞がれた。
玉座から、静かな一声が響く。
「証拠の解釈がどうであれ、令嬢セシリアを害そうとした疑いは消えぬ。三日後、大聖堂にて公開の審問を行う。それまでの謹慎を命ずる」
国王の一言で、その場の流れは強制的に幕を引かれた。
ふと気づく。――そういえば、当の被害者であるはずのセシリア嬢の姿は、今夜この会場のどこにもなかった。
連行されていくアリシアの前に、一人の男がすっと歩み出る。護衛騎士の制服。見覚えのない顔だった。
「貴族のご令嬢が、壇上で証拠の矛盾を淡々と指摘するところを、初めて見ました」
低い声だった。顔を上げると、彼は微かに笑っていた。
「あなたが処刑されるところは、まだ見たくないので」
――処刑。
まだ誰も、その言葉を口にしていない。国王は「審問」としか言わなかった。
なのに、この男は。
「……どうして、その言葉をご存知なんですか」
アリシアの問いに、男は答えなかった。ただ一礼だけして、静かに人混みへと消えていく。
残されたのは、小さいけれど、無視できない違和感だった。
(誰が味方で、誰が敵なのか。ここから先は、全部、自分の頭で解くしかない)
三日後の審問までに、真犯人へたどり着けるか。アリシアにとって前世でも味わったことのない謎解きが、今始まった。




