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【証拠はいらない】俺はここにいる

作者: Wataru
掲載日:2026/02/01

 深夜二時過ぎ。


 近所のコンビニは、いつも通り静かだった。

 冷蔵ケースの音と、電子レンジの低い唸りだけが響いている。


 レジの前で、男が声を荒げていた。


「だから言ってんだろ!」

「袋が破れてたんだよ!」


 若い店員は、何度も頭を下げている。


「申し訳ありません」

「すぐ、新しいものを——」


「謝りゃ済むと思ってんのか!」


 男の声が一段上がる。


「土下座しろよ」

「それくらいのこと、しただろ!」


 店内の空気が、ぴんと張りつめた。


 俺は、コーヒーを一つ手に取ったまま、レジから少し離れた棚の前に立っていた。

 介入する気はない。

 だが、背を向ける気もなかった。


 男は五十代くらい。

 安いスーツに、くたびれた靴。

 酒の匂いはないが、目だけが妙に乾いている。


「どうせ、あんたもだろ」


 突然、男が俺を見た。


「こういうガキ雇って」

「適当に謝らせて」

「こっちが悪者になるんだ」


 店員が、びくっと肩を震わせた。


 俺は、カウンターにコーヒーを置いた。


「関係ない」


 短く言う。


「は?」


「俺は客だ」

「あんたの判決係じゃない」


 男は鼻で笑った。


「いい身分だな」

「見て見ぬふりか?」


「違う」


 俺は、レジ横の灰皿を見た。


「怒鳴る理由が、袋一枚とは思えないだけだ」


 一瞬、男の言葉が止まった。


「……何が分かる」


「分からない」


 即答した。


「分からないから」

「決めつけない」


 沈黙が落ちる。


 男の拳が、震えているのが見えた。


「俺ばっかりだ」

「いつも、俺ばっかり」


 声が、少しだけ低くなる。


「真面目にやってきた」

「誰にも迷惑かけてない」

「なのに——」


 言葉が途切れる。


 俺は、ようやく男を見た。


「今」

「誰かに止めてほしいのか?」


 男は、ぎょっとしたようにこちらを見る。


「……何を」


「このままじゃ」

「自分が壊れるって」


 男の喉が、上下に動いた。


「……そんなこと、言ってねぇ」


「言わなくても分かることもある」


 店員が、恐る恐る口を開く。


「あの……」

「返金、しますので……」


「いらねぇ!」


 男は、叫んだあと、急に黙り込んだ。


 そして、ぽつりと言う。


「……あんた、覚えてろよ」


「ああ。ちゃんと覚えたよ、あんたの顔」


「……もういい」


 袋を乱暴につかみ、出口へ向かう。


 自動ドアの前で、足が止まった。


「……あんた」

「さっきの言葉」


「どれだ」


「壊れるってやつ」


 俺は、コーヒーを手に取る。


「壊れてない」

「止まってるだけだ」


 男は、出ていった。


 ドアが閉まる。


 店内に、元の静けさが戻る。


 店員が、震える声で言った。


「……ありがとうございました」


「礼はいらない」


「でも……」


「怒鳴られた理由は」

「袋じゃない」


 それだけ言って、コーヒーの代金を払う。


 外に出ると、夜風が冷たい。


 背後で、相棒の声がした。


「怖かったぁ……」


「本人が一番怖かっただろうな」


「そうなの?」


 俺は、夜道を歩き出す。


 壊れる前に止まれるなら、

 それは逃げじゃない。


 証拠も、

 判決も、

 土下座もいらない。


 ただ、

 止まっていい場所があればいい。


 ――もう、証拠はいらない。


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