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昼休み②


屋上へ向かう生徒はいなかった。

俺自身、実際に屋上に入ったことは一度もない。

それもそのはず、屋上に繋がる階段の手前には、「立ち入り禁止」のテープが貼られているからだ。つまり、ここに入る人間は相当なヤンキーかイキリ陰キャの2択になるというわけだ。

普通、規則を破ってまで入ろうとは思わないだろう。

今回、ヤンキーとイキリ陰キャのどちらにも当てはまらない俺が規則を破っているのは、ポケットに入っていた一枚の紙切れが原因なわけだが、なぜその紙切れの指示に従おうと思ったのかは自分でもよくわからない。

衝動にかられたわけでも、ちょっと悪いことをしてやろうという若気の至りでもない。強いて言えば心のモヤモヤを振り払うため、確認しないと少し気持ちが悪いからだ。

だからもしこの悪行が見つかったとしても、怒られるのはこれを書いたであろう過去の俺を叱ってくれ、今の俺は悪くない。


誰かに対する弁明を考えながら、一段一段上る。

4階から屋上にかけての空間は、なんだか異質な場所に感じた。普段は誰も足を踏み入れないからか、無機質な空気が漂っている。

人気の問題なのか、それとも気温や湿度の問題なのか、わからないが俺の中に緊張が走っている。


階段を上り切ったそこには古びたドアと少しだけ開いた窓がある。

ドアの取っ手部分は錆びついていて、触るのにはそこそこの忍耐が必要そうだ。俺はこう見えて、少し潔癖なのだ。

ドアの横に並んで備え付けられている窓は、少し開いていた。太陽の光が差し込んでおり、外からの風を感じる。俺は必然的に窓を選択する。

ドアの施錠も確認せず窓から出ていくなんて、我ながら上品さに欠けるな。そう思いながらも躊躇いはなかった。


うわっ、まぶし。


窓を開けると、太陽の光をもろに受ける。俺は太陽光の摂取過多にならぬよう、手で視線に入る日光を覆う。


屋上はそんなに広くなかった。

厳密に言えば、柵で囲われているため狭い範囲で区切られていると言った感じだ。おそらくここ以外にも屋上に繋がる場所はあるのだろうが、俺はここ以外知らない。


紙切れに書いてあった屋上は、ここで合っているのだろうか。一抹の不安を抱えながら、周りをぼんやり眺めてみる。

とりあえず空は綺麗だ。屋上の床はコンクリートで、苔が生えるほど汚くはない。むしろ想像よりも綺麗だった。

俺は回り込むように裏側の様子も確認する。

入り口からは死角になる箇所で、自分の用事すら把握していない俺にとって確認しないわけにはいかない。


もちろんこちら側にも同じ光景が広がっていた。違うのはグラウンドの様子が一望できるくらいだ。

何もないと目線を切ろうとしたその時だった。

俺の視界の右下に、座り込んだ人影が映り込んで来た。

俺は咄嗟に振り返るのをやめ、再度その人影に照準を合わせる。


湿度を持った強い風が吹き荒れる。長めの栗色の髪がパタパタとなびき、目に掛からぬようそれを手で押さえるJKの姿が、そこにはあった。


時間が、止まったようだった。


見た目がすごく派手とか、他人にはないチャームポイントがあるとか、笑顔が最高に可愛いとか、そういうわけではなかった。横顔は至って普通のJK、真顔だ。悪く言えばロボットのように無機質だ、感情がないみたい。

でもどうしてだろうか、俺の中の感受性が脳内で無限回、叫び続けている。


ーーー彼女が、美しいと。


「…あの。」



無意識だった。

俺の口から漏れた言葉は彼女の耳にも届き、横顔がゆっくりとこちらを振り返る。瞳は薄く胡桃色がかっていて、ガラス玉のように透き通っている。ただ、きっとどの女子高生にも同じくらいの魅力があるのだろう。

俺はなぜ、この人にこんなに引き寄せられているのだろうか。風はまだ吹き続ける。



「なに?」



上目遣いで俺に問いかける。その無機質な声が、2人しかいない屋上に流れる。

しまった。何も考えていなかった。



「あー、えーっとー。」



歯切れの悪い俺を見て、彼女はその場からすっと立ち上がり、一歩二歩とこちらへ寄ってくる。

え、この人距離感バグってる?

少し後ずさりした俺に、お構いなく近づいてくる。俺とJKの間はゼロ距離という言葉が適切だった。



「すみません、ちょっと聞きたいことがあって…!」



言葉を最後まで聞くことなく、彼女は俺の腰に腕を回す。

逃げ道を失った俺の思考が冷静になるより先に、俺の唇は彼女と重なった。非常に、柔らかい。


え?

夢かこれは。


現実と空想の判断がつかなくなっている俺は、口に当たる生々しい感触について冷静に考える。

彼女が寄ってきたときに感じたシャンプーの匂い、少し甘いフローラルな香りが錯覚だとは思えない。これは匂いフェチである俺による断言だ。

つまりは…。


現実だ。


そうわかった瞬間、俺は反射的に彼女から離れようと肩を押して突き放す。

つもりだったが、彼女が俺の腰に回していた手が頭まで登り、そのまま自分の方へと強い力で引き寄せた。俺の重心は彼女の方へと向き、体を預けるような形になってしまう。うまく離れられない。なんならバランスを崩した拍子に俺も彼女を抱いている格好になってしまっている。


やばいやばいやばい。なんかわからないが、このままではやばい。


頭の処理が追いつかず沸騰しそうになる。

離れられない、一応男である俺が本気で抵抗しているのに!

この人、マジでなんなんだ?!

俺は抵抗を続けるが、彼女とのゼロ距離は全く変わらない。彼女はさらに目を閉じ、この瞬間を楽しんでいるようにすら感じる。


まさか、これが噂に聞く逆痴漢というやつなのか。

俺は唇から生気を吸い取られ、それ以上抵抗する力が沸かなかった。





ちゅぱ、という音で俺の唇から柔らかい感触は消えた。

どれくらいの時間だったのか、30秒なのか1分なのか3分なのか5分なのか。離れた今でも鮮明に思い出せるあの感触。

世の男性はみんなこんなことを経験していたのかと思うと、今さらながら尊敬してしまう。いや、いきなり初対面の女子高生にキスを迫られる経験なんて誰もあるわけがない、というかあっちゃいけない。経験者としてそう思う。


そんな俺なんか気にも留めず、人差し指と中指で唇を触りながら空を見上げる暫定変態JK。


何か言ってくれ。


俺はどう問いかければいいかもわからず、切れた息を整えつつ、じっと彼女を見つめる。

相変わらず表情は崩れない。やがて彼女も俺の方を向き、満足げな顔で薄く笑う。



「どうだった?宰くん。」



え?今俺の名前を…。

心臓が痛むほどドキッとする。それはキュンと来たとか運命を感じたとかではない。この人に名前を知られていることへの恐怖だ。何よりトーンの変わらないその声が怖い。

心臓は休む間もなく激しく鼓動する。



「な、なんで俺の名前知っているんですか?というか、あなた誰なんですか?」



動揺を隠し切れない。それを見て、目の前の顔はイタズラの笑みに変わる。こんな時でも彼女の顔に見惚れてしまう自分の危機感の無さが恐ろしい。



「私は月ヶ瀬希夜香。3年生。あなたと4ヶ月ほど前からお付き合いさせてもらっています。」



あぁ、もう今日はダメな日なのかもしれない。

こういう時は一度深呼吸をしてみるのがいいかもしれないな。そうしたら脳もスッキリするだろう。俺は大きく息を吸い、吸った分だけゆっくりと吐く。

これを3度繰り返した。よし、これでOKだ。俺はひとり頷く。



「それで、なんて言いました?」



「私は月ヶ瀬希夜香。3年生。あなたと4ヶ月ほど前からお付き合いさせてもらっています。」



彼女はロボットのように繰り返す。俺から一切視線を逸らさず。

うん、やっぱりダメな日だ。思考が止まる。



「つまりそれって、どういうことですか?」



俺は諦めて一度事情を聞いてみることにした。ここであったことが、何かの間違いだと信じて。



「言葉通りの意味よ。私とあなたは4ヶ月前からお付き合いをしていて、こうやってあなたはまた私を迎えに来てくれたってわけ。」



とても嘘をついているとは思えないまっすぐな眼差し、いや俺をおちょくって楽しんでいる顔と言っても納得できる。口元が少しにやけているもん。

もしかしたら新手の勧誘か?

となるとオカルト研究会ってところだろうか。そんなものが存在しているかは知らんが、七海以外にも熱狂的オカルト好きがこの学校に存在するとは。あいつ喜ぶぞ。


すると彼女は、何の前触れも無く俺が入ってきた窓から校舎の中へと入っていった。ふわっと浮かぶスカートを気にもせず、軽い身のこなしで消えていく。


本当に、何を考えているのかわからない。

さすがにこのままでは気持ちが悪いので後を追う。俺はぎこちなく窓から校舎へ入った。



「もしかして、これから俺どこかへ連れていかれるんですか?」



「何を言ってるの?高校2年生の分際でホテルなんて早いわ。せめてあと一年待って、責任を取れるようになってから出直して来なさい。」



うーん、違ったらしい。そしてもしかしたら俺も変態側に引き込まれたのかもしれない。



「でも俺、あなたの名前も知らないんですよ?そして俺はあなたを新手の変態だと思っています。」



正直に言ってみせた俺に対して、彼女が初めて含みのないカラカラの笑顔を見せた。

新手の変態だと思っているのは本当だ。だけど、それでも抗えない彼女の素朴な魅力に目を奪われる。肌、綺麗すぎないか?



「心外ね。これでも私は色恋には奥手な方なのよ。指と指が触れ合うだけで顔を真っ赤にする乙女なの。だから新手の変態だの、鬼畜JKと呼ぶのは止めること、いいわね?」



え、なんの冗談だ?高等ギャグすぎてついていけない。てか鬼畜JKってなんだよ。


首を少し傾げながら彼女はそう答える。変態行為からの奥手宣言。神秘的な彼女の謎は深まるばかりである。しかもどこから取り出したかも分からない本読み始めてるし。



「私の、”呪い”のせいよ。」



今度はなんだ、呪いって言ったのか?

4階の踊り場にある窓越しにグラウンドを一瞬見ながら彼女はそう言う。

改めてみると彼女のスタイルの良さには感服だ。スレンダーという言葉のよく似合うスタイル、身長は平均的だが規律正しさを思わせる姿勢の良さと佇まいがそう思わせる。見惚れていた俺は彼女の言葉を右から左へ受け流しそうになっていた。



「今なんて言ったんですか?呪い?やっぱりオカルト研究会の勧誘じゃないですか。」



「オカルト研究会?」



おっと、つい心の声が。俺は手で話の続きを促す。彼女は気にせずに続ける。



「1週間経つと、みんな私の事を忘れるの。なにもかも。」



彼女は本に目を落としながら話し続ける。その目はもう本の世界に入っているようだった。その横顔も角度が変わって美しくみえる。



「1年ほど前だったかしら。私はみんなの記憶から消えたの。本当に突然の出来事だった。先生も生徒も、誰も私のことを覚えている人はいなかった。

それから毎週月曜日になると綺麗さっぱり、1週間の中で私に関わった記憶は全て消えていった。道でたまたま出会った他人のような顔でみんなが私を見ていた。まるで世界から私だけ孤立させられているような感覚だった。

でも私、もともと目立つの好きじゃないし、大して不便も無いんだけどね。すごく仲の良かった友達もいなかったし。まぁなんだかんだあってそれから8ヶ月ほど経った頃、あなたは急に屋上に現れたわ。」



今から4ヶ月前ってこと、だよな?俺の脳のメモリには全く保存されていない。4ヶ月前というと俺は何をしていたんだろう。過去の行動を振り返るが、大したことをしていた記憶が微塵もないのは明白である。



「最初は私、全然相手にしなかったわ。あまり関わりたくなかったの、面倒だし。それでもあなたは毎日屋上に来て、私とお話をしてくれたわ。それはもう熱烈に、くどいくらいに。

特に、女の子の匂いについて熱く語っているあなたはすごく気持ち悪くて最低、いや最高だったわ。」



え?何をしているんだ過去の俺は。

急に羞恥心で死にたくなってしまった心を抑えて黙って聞く。



「週が変わった月曜日にも、あなたは来てくれたわ。これで16週連続、おめでとう。」



そんなデイリーボーナスみたいな感覚で言われても。まだ俺の頭は混乱している。



「申し訳ないですけど、今の話を簡単に信用はできないです。なんせついさっき、変なことされたし…。」



「変なこと?」



本から視線を切ってこちらを覗き込む瞳は相変わらず透明度が高い。

俺はなぜか目の前で扇のように手を振り彼女の視線を遮る。ちくしょう、可愛い。



「あぁ、もう。言ってしまえば現実味がないんですよ。俺が信じられる根拠は何かないんですか?」



「宰くんは人を信じるのに理由が必要なタイプの人間なのね?」



なんか釈然としない。こちとら初対面の人間にそんなこと言われて信用できるわけがないだろ。



「じゃああなたが私と知り合いではないという証明をすればいいんじゃないかしら?」



「それは俺が知らないんだからそれだけで証明になってるじゃないですか。」



「いいえ違うわ。だって私はあなたのことを知っている。つまりそれだけでは私たちが知り合いではないという証明にはならない。むしろこれは知り合いである証拠なの。

この世はあることを証明するのは簡単だけれど、ないことを証明するのは極めて難しい。なぜなら証明をするためには網羅的に事象を捉える必要があるから。悪魔の証明ってやつね。つまりは宰くん、あなたは私の知り合い、というより恋人となる他ないの。わかったかしら?」



急に理屈をこね始め、さらには”彼氏になるしかない”という脅迫まで。一級の詐欺師のように話をまとめられそうになっているが、納得できないもんはできない。



「まだ信じられないのかしら。あんな情熱的な告白をしておいて、一度振り向かせた女の事はすぐに忘れるのね。さすが宰くん、鬼畜ドグサレヘニャちん野朗ね。」



信じられない言葉に耳を疑う。それと同時にズボンを押さえる。詳細な箇所は察してくれ。

はぁ、なんだか完全に彼女のペースに乗せられている気がする。

正直、彼女の話は100%信じれるものではない。むしろ半信半疑といったところ。

しかし、ポケットに入っていた謎のメモ。俺の素性を知っている目の前の変態JK。そして、その変態を遺伝子レベルで美しいと思ってしまっている俺。何より嘘にしては嘘すぎる。

彼女を信じる理由としては、とりあえず十分なのかもしれない。


俺は大きく息を吐いてセリフを考える。



「じゃあ、俺とあなたは今交際関係にあるってことですよね?」



「希夜香さんって呼んで。」



彼女の顔は、いつの間にか俺のすぐ隣に迫っていた。近くで見ると、先ほどの燃え上がるような記憶がフラッシュバックする。



「はやく…」



甘めの声で俺の耳をくすぐる彼女。

いちいちドキドキさせるなぁ、この人。

俺は耳を押さえながら一歩退くも、少しだけ嬉しかった。



「俺と希夜香さんは交際関係にあるんですよね?」



今度は小さな頷きが返ってくる。満足したのか、いつの間にか視線は本に戻っている。



「じゃあ俺、希夜香さんの呪いとやらが解けるよう協力しますよ。」



今の俺が言えるのは、これが精一杯だ。

視線は変わらなかったが、今度はさっきより大きめの頷きが返ってくる。



「それは助かるわ、よろしく頼むわ。」



乗りかかった船だしな、俺は一応彼氏らしいし。


ただ、これは人助けではなく仕事だ。

決して超タイプで俺のフェチに刺さる匂いを発する彼女に見惚れたからとか、そういう私情は全くない。仕事だ。


そう決意を固めながら、俺は彼女の通った道で鼻から息を吸った。


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