なぜ寝間着なのだ
白い光に照らされた、細い石畳の坂道を、俺と藤馬は駆け下りていく。家の裏から聞こえる、女たちの楽し気な笑い声。通り沿いの桶屋では、主人と客の男のんびりと言葉を交わし合っていた。粘り気のある風が強く吹いて、俺たちの羽織をはためかせる。
長崎は坂の多い町だ。長崎に来た人間は、町の背後に迫る、愛宕山や烽火山を抉り取ったような傾斜に、まず驚く。さらにそこには、張り付くよう隙間なく、家が立ち並んでいる。
長崎という町は、けして広くはない。僅か一町五反(一・五?)程度の斜面に、港町としての機能が集合している。そこに三万の町人たち、遊女たち、外国人居住者と他国の商人達、加えて幕府から派遣された武士達が棲んでいるのだから、相当に過密していると言える。
勝山町の俺の家から、小川町の、新橋までは、僅か五町(五百四十五m)にも満たない。まず南に道を下り、御制札の立つ所を右に折れると、岩原川に掛かる橋が新橋だ。俺は前を歩く藤馬に訊いた。
「藤馬。聞いておきたいんだが、なぜ周防は、阿蘭陀人たちと一緒に植物採集に行かなかったのだ」
「いざ出発という時刻に、急に身体の加減が悪くなったらしい。立ち上がるのも億劫だということで、黒坊と内通詞に監視と看病を任せ、特別にブロンホフの部屋でしばらく休むことになった」
「ブロンホフの部屋で、休んでいたのか? 周防はよほど信用されていたのだな」
「ここのところ、周防は加減が悪く、なかなか来られなかったらしい。嬰児がいたのかもしれぬ。ブロンホフのほうも、揚げ代を渡したいと思っていたのやも」
嬰児と聞いて、俺は再び胸が痛んだ。
「そして、戻って来た時には周防はおらず、翌朝に死体が発見されたのか。出島には誰が残っていたんだ?」
「まず、留守居の乙名付筆者が二名、晩飯の用意をしていた葛練(料理人)が二名、残りはお前たち番士だな。しかし乙名付筆者と料理人は常に一緒にいるから、互いが互いの潔白を証明している。お前と、厠に籠っていた奴以外の番士についても同じことが言える」
塩気を含んだ強い風が吹き、笠が煽られた。藤馬が己の笠を、目深に被りなおす。俺も藤馬も、顔を見られないように、笠を被っていた。長崎は旅人も多いから、町中で笠を被っていても、そこまでは目立たないはずだ。
また、これは日差しの下に出て解ったのだが、藤馬はやけに草臥れた着物を着ていた。綿の薄群青の単衣は、色が抜け、よく見るとあちこち繕ってある。俺の目に気が付いて、藤馬が眉を上げる。
「なんだ?何か変わったところがあるか」
「いや、今日はいつもと雰囲気が違う、と思っただけだ」
「当たり前だ。寝巻だからな」
なぜ寝間着なのだ、と疑問に思ったが、すぐに人集りが見えてきたので、俺は話を止めた。
橋の袂には、すでに十人ほどの見者衆がいた。見者衆は互いに、しきりに何かを囁き合っている。
ちょうど、半径一間(一・八m)ほどの半円形に集まっている見者衆の中央に、筵に包まれた遺体が置いてあった。川下に向けられた足だけが、ちらりと見えた。町司と散司が一人ずつ、辺りの警衛をしている。
ふと藤馬を振り向くと、藤馬は何故か己の下瞼を引っ張り、白目を指で擦っていた。眼が赤くなっている。
「何をしている? 目に何か入ったか」