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虎と兔が相撲をとる

蟄居を命じられた翌日の明4つ(九時八分頃)。明るい朝の陽差しの中、俺は自宅の小さな庭先で、木刀の素振りをしていた。

 不意に、何かが、ガツンと当たる音がした。と、すぐに騒々しい笑い声と、数人の足音が遠のいていく。音の出所は直ぐに解った。近所の悪餓鬼たちが、家の戸に石を投げ、直ぐに逃げたらしい。

 ついで、今度は、誰かが素早く戸を叩く音がした。俺は少し考えてから、木刀を置き、縁側から家に入って戸口に向かう。

 俺は戸口に降り、戸を少し開けたが、家の前には誰もいない。裏通りを歩いていく人たちが、足早に通り過ぎていく。俺は戸を閉め、部屋に戻って一つ息を吐く。

 同じようなことは、今までに数度あった。近所の子供が悪戯を仕掛けているらしい。不在の時も多いので、今まであまり気にしてはいなかったが、こんな状況だと、流石に気が滅入る。

 勝山町にあるこの家を借り、住み始めたのは、二十歳の頃だ。出島の番士として、兄の伝手で職を得てから、一人で暮らし始めた。すでにその頃、小川町の実家には兄嫁と、その子供たちが三人いた。だから番士の職を得られた時は、やっと家族に迷惑をかけずに済むと思って、ほっとした。

 俺は縁側の木刀を、ちらと見た。しかし、再び稽古する気にはなれず、木刀を片付ける。俺は、部屋の隅に投げてあった座布団を枕にし、ごろりと寝転んだ。

 縁側から差し込む、鈍い日差しをしばし眺める。燕の鳴き声が近くに聞こえた。隣の家の軒先にでも、巣を作ったのかもしれない。

 目を瞑ると、出島から消えた遊女、周防の顔が浮かんだ。

 副商館長ヘトルブロンホフは、常時四、五人の遊女を入れ替わりで呼んでいた。その一人が周防だった。

 出島を訪れる、『阿蘭陀おらんだいき』の遊女の面子は、そう頻繁には変わらない。だから、ある程度の頻度で呼ばれる遊女の顔は、俺も覚えていた。

 無論、仕事以外では言葉を交わさない間柄だが、姿を消したとなると、やはり気になる。

 周防を思い出すとき、真っ先に浮かぶのは、その礼儀正しい振る舞いと、意志の強そうな目だ。

 誰にでも丁寧で、俺たち番士に対してさえ、礼儀正しかった。探棒で身体を探る時、あからさまに厭そうな顔をする遊女が多い中で、周防は『お願いします』と自ら頭を下げた。

 ただ、やはりどう思い出してみても、昨日は周防が扉から出ていった記憶はなかった。こっそりと塀を超え、外に出たのだろうか。

 しかし、出島の背後は海、周りは堀に囲まれている。遊女の艶やかな着物姿で、堀を下りたり、よじ登ったりできるとは、考えにくい。また、それが可能だとしても、なぜ周防は、門を通らずに、出島を出たのだろうか。急な知らせを受け、急いで出島を出たとか――?

 俺の思考はそこで止まった。これ以上のことは、考えても解らなかった。

 だいたい、俺は、周防の身の上さえ、子細には知らない。新太に言った通り、周防がひょっこりと姿を現すことを、期待するしかない。

 俺は寝転んだまま、腕を大きく上に伸ばす。

 気分転換に茶でも飲もうと、俺は立ち上がった。箪笥から、しまってあった急須と茶碗を出す。茶碗の柄は、虎と兔が相撲をとる珍妙な図柄が、気入りだ。

 襖を開け、土間に向かった時だった。ふいに、土間の裏口を叩く音が聞こえた。今日は、山菜取りに行くと言っていて、下女たちは土間には居ない。


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