「乙名殿が、そうすべきとお思いならば」
五つ半(八時四分)から今まで、新太は俺たちとともに、昼番をしていた。
どこか朝から元気のなかった新太は、九つ半(十二時五十三分)頃に、腹痛を訴えた。朝食った刺身の残りに当たったらしい。新太は五十平に許しを得ると、出島の内部にある厠へ直行し、その後は小半刻ほど、厠に籠っていた。
新太は弾かれたように顔を上げると、口を開く。
「しかし、某は本当に――」
「煩い! 頭を下げろ! 口答えするな!」
織之助が、まくし立てるように、新太を怒鳴りつけた。
「何を言っても無益だ! お前が厠に入り、出るまでを見張っていたものはいない――まったく、こっちは植物採集で疲れ切っているというのに、余計な仕事を増やしおって……」
織之助はふと、口元を歪めるように微笑んだ。
「お前は明日から、ここに来なくていい」
「そんな。それではあまりに――」
新太が抗議しようとして、一歩足を踏み出した。
刹那、織之助は、歪な笑いを浮かべたまま、横にいた二人をちらりと見た。
その途端、丸顔の男が、新太を勢いよく突き飛ばした。新太が尻もちを突くと、三人はさも愉快そうに、大声で笑った。
新太は、尻餅をついたまま、肩を震わせていたが、やおら五十平を振り向いた。だが、五十平は、目を地に向け、新太を見ないようにして、ひたすら黙っている。
次に、新太は俺を見た。何かを訴えるような、義憤に満ちた眼には、涙が浮かんでいた。
俺の足は、いつのまにか一歩前に踏み出していた。
「新太が厠にいたことは、本当です」
場の全員の目が、俺に向いた。
織之助が、臭いにおいを嗅いだ時のように、鼻に皺を寄せ、俺を仰ぎ見る。
「なんだ、お前は。それに、その顔の痣はなんだ?」
難癖をつけられることには慣れている。俺はいつも通りに口上を述べた。
「幼き頃に病を得、跡が残りました――乙名殿。新太は昨日から足を痛めておりまして、出島の高い塀は登れません。それに、新太は若輩者ではありますが、嘘を吐いて遊女を逃がすような男ではありませぬ。それについては、私が証立ていたします」
織之助の顔は、俺の言葉を聞くにつれ、怒りで赤く染まっていった。俺の言葉が終わったと同時に、織之助は、唾を撒き散らしながら怒鳴った。
「恥知らずが! 余計な事を申すな!それとも、お前が代わりに、処罰を受けるとでも申すか?」
傍に立った新太が、何か訴えるように此方を見、口を開こうとする。俺はそれを目で抑止しすると、織之助に向かって言った。
「乙名殿が、そうすべきとお思いならば。某は、新太とともに、昼番を務めておりました故」
刹那、織之助と、その取巻たちは、呆気にとられたように黙った。それから引き攣ったように笑い始めた。織之助などは、笑い過ぎて咽せている。
ひとしきり、笑うと、織之助は不意に真顔になり、俺の前に踏み出した。
「お前の名は何だ」
「橘頼母鉄杖にございます」
「では鉄杖。あとは、さっきの――新太だったか? お前たちには、上からの沙汰があるまで、蟄居閉門を命ずる。そして、番士頭、中村五十平と、同じく昼番の彦六は、番が終わり次第後、乙名部屋に来い」